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「すいませんーお先です」
軽く声をかけて、退勤を押す。
昨日、今日フレックス時間にやるべきだった仕事を巻き取っておいたおかげで、余裕をもって会社から出ることができた。
昨日は久しぶりに業務時間後に集中してできたと思う。
病院までのバスに揺られながら、昨日の事を思い出していた。
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終業時間少し前に徐に袖机から封印していたヘッドフォンを取り出した。
作業を始めたときは流石に周りは驚いていたけど、そのヘッドフォンがノイズキャンセリングがついたものだと知っている人が多かったようで、だれも声をかけてこなかった。
気づいたら2時間も過ぎていて、ほとんどの人が帰宅していた。
ヘッドフォンを外して、氷が溶けてぬるくなった水をがぶ飲みする。
「おわったー?」
椅子を声の方に向けると、彼が帰る用意をしていた。
「なんとなく形になったところ」
「じゃ、切りよくかえろ。おなかすかない?」
「すいた。言われてめっちゃすいたことに気づいた」
「あはは。じゃご飯いこ」
「美味しいところでよろしくー」
「さーちゃん相変わらずだなぁ。先に下行ってるよ?」
「わかった」
腕を伸ばして体をほぐし、資料を保存してパソコンを閉じる。
散らかしたゴミ類をダストボックスに捨てて、トイレに向かう。
ポーチの中は相変わらずの品揃えで、ある程度の化粧直しと香りを付け足して、エレベーターに飛び乗った。
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彼が見つけたお店でガッツリ定食を食べて、腹ごなしに駅までゆっくり歩いていると、あのときの公園を見つけた。
「あのさ、あのときの話なんだけど」
思わず声をかけてしまった。
少し先を行く彼の体がほんの少しビクッとしたのを見たとき、あ、今じゃなかったかもしれないと思ってしまう。
「ん。」
「待つ、って言ってくれたけど、伝えていいかな」
「俺まだなんにもしてない。まだまださーちゃんになんにも伝えてない。」
すごく真剣な顔で、拒まれてしまう。
それでも、伝えたいことはあるんだ。
「あの時、私は何も伝えられなかったでしょう?」
「そうだね。一方的に言っちゃったなってちょっと反省してる」
「ううん、それはいいの、驚いてしまったのはあるけど。でも考えてね、私なにも伝えてないなって思って」
「そっか」
「嬉しかったよ。好きだって伝えてくれたことも、その気持ちも。驚きも同じくらいあったけど。」
「うん」
「真摯に言葉をもらったのって、多分初めてなの。だからちょっと混乱してしまったけど、しっかり噛み締めてみた。」
「なんかスルメっぽいね」
「じわじわと?」
ふふっと空気を変えてくれる優しさに気づく。
「しんと一緒にいる時間は、とても居心地が良くて、自分が自分らしくいられる。なんというかナチュラルでいられるっていうか」
柔らかい笑顔で、先を促され、聞いてくれるスタンスになったんだなとわかったので、話を続けた。
「この前ね、昔のみんなと居たときの夢をみたんだけど、思い出したの。あの時の気持ちとか空気とか雰囲気とかを。それでね、気づいたの。ああ、あの時大好きだったなって」
少し驚いた目でこちらをみた彼に、ニコリと笑って視線を外すことなくいう。
「真摯に伝えてくれたからこそ、ちゃんと説明したいなと思って。あの時だったら、間違いなくあなたの手をとっていたと思う。一瞬一瞬が大事な時間で、それを今でも鮮明に思い出すことができるくらい記憶にとどめてる。でも、それを思い出した時に、懐かしいなって感じてしまったの。今の気持ちじゃないなって。小さな恋心だったんだなって。こんなこというの卑怯だと思うし、ひどいって言われても仕方ないことだと思うけど、これが私の本心。」
「あなたは仲間で、同僚で、上司。あなたの気持ちに、応えることはできない。」
言い切った瞬間に、頬を伝うものを感じる。
泣いたらダメだってわかってても。
「・・・ごめんね」
「さーちゃん・・・」
慌てて頬を拭う。
ハンドタオルに顔を埋めて、大きく深呼吸する。
「さーちゃん。気づいてた?」
「ん?」
「久しぶりに俺の名前呼んでくれてたこと」
「え・・・?」
「しんって、さーちゃんに呼ばれたの、多分1年以上前かもしれない」
はははと苦笑する彼をみて、言われたことに気づく。
まったく意識していなかった。
でもどこかで意識して、名前を読んでなかったんだと思う。
もうそこで線を引いていたのかもしれない。
「さーちゃん、ちゃんと伝えてくれてありがとう。なんとなくね、わかってたんだ」
「え?」
「さーちゃんの心の奥に、支えがちゃんとあるんだろうなって」
「支え・・?」
「気づいてないのかもしれないし、気づいてるけど見ないふりしてるのかもしれないけど」
「そっか・・。」
パンと手を叩いて、「帰ろっか?」と優しい顔で言ってくれる彼に、笑顔を浮かべて頷き、後を追う。
駅までの道のりは、今までの空気を感じさせない昔の雰囲気が戻ってた。
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病院最寄りのバス停で降り、総合窓口で受付を済ませる。
ファイルに挟まれた受付票を受け取り、外来のいつもの診察室の前に移動する。
もう面会時間も終わる頃だというのに、まだ人はいた。
一番最後の診察枠なのはだいたい先生の予定と私の都合が理由だけど、この時間でも人はいるし、心配そうな顔の人もいれば、院内着を着て点滴を転がしながら移動している人もいる。
一人ひとりにいろんな想いがある場所だなと、病院なのに思ってしまう。
悲しさと嬉しさが同時に存在する場所ってあんまりないよなぁなんてぼんやりと思っていると、横に人が座った。
「人間観察?」
「なんだ、健兄か」
「1週間ぶりの兄に対してそれはないとおもうんだけど、紗絢」
「うん、そうだねなんかごめんね」
「感情がない」
「今日は落ち着いてるの?」
「ああ、比較的。このまま夜まで平和であってほしいな」
「そうだね、平和が一番いいよ」
「どうした、なんかあった?」
「医者ってすごいなって思って」
「いきなりだな」
「人の命を自分の持ってる知識で判断しなければならないという、とても考えられない仕事。私には無理。だから健兄たち医者を私は尊敬する。」
人の流れを見ながら、ボソっというと、健兄に頭を撫でられた。
「兄ちゃんはこんなかわいい妹に尊敬されて今非常に高揚している。今ならどんな手術でも成功できそうだ」
「単純だなー」
「医者も人だからな」
「そうだね」
「これから診察か?」
「うん、順番次」
「そっか、半沢によろしくいっといて。あいつちょっとここんとこ見てらんない感じだから」
「なんかあったの?」
「なんかあったんだろう?」
お前知ってるだろ、という目で見られて答えられずにいると、兄の携帯がなり、職場に戻っていった。
彼とのシーンはある方のライブDVDのある曲を聞いた瞬間にこれだとおもいました。いい曲なんだよねぇ・・・アイドルだけど(え