第38話
――衣服を脱ぎ、下着の上に外套を羽織るだけになる。
そうして脱いだ衣服を、目の前で見知らぬ女性が縫い合わせてくれている。
こういう風に、他人からの施しを受けるのは、いったいいつ以来のことだろう。
最後に故郷に帰ってから、何年過ぎてしまったのだろう。私はもう、それさえ思い出せなくなっていた。
「なに? 裁縫している女が珍しい?」
「いえ、貴女がジェフと共に”この事件の実行犯”を殺したほどの実力者だと信じられなくて」
「ふふっ、こういう”女子供”みたいな作業をしているとそうは思えないといったところかしら?」
ランディールの言葉に頷く。本当に彼女が凄腕の暗殺者には見えないのだ。
こんな認識だから”人を疑うことが下手だ”なんて言われるのだろうけれど。
……おかげで筆頭の本性も、見抜くことができなかった。
「こういう1人でどんなところにでも潜り込んで仕事をするような真似を繰り返しているとね、何でもできるようになるのよ。
普通の人間なら奥さんにでもやらせれば済むようなこともね」
「……そうですね。私もまず最初に仕込まれたのは料理と寝床の確保でした」
彼女の言葉で、自分にもそういうことが仕込まれていたことを思い出す。
だから実は、裁縫もできる。単純に彼女の好意を無為にしたくないというだけの話でしかない。
「まぁ、神官っていうのも結構どろ臭い仕事なんでしょ? 普通の街の教会に派遣されるとかならともかく」
「……ええ、ドラゴニアからベインカーテンその他の勢力、諸々を監視し、時には実力行使も行いますからね」
相手の情報を掴むための張り込みも、相手の根城を叩き潰すための突入も、どちらも経験済みだ。
そしてこの仕事の実態は”待ち”が長く、根競べの連続で、上手く行かないことの方が多い。
神官という才能、その中でもひときわ優れた”力”を女神に与えられているというのに。
「……実際のところ、自分の上司と戦うって、どうなの? 大丈夫なの?」
琥珀色の瞳が、こちらを見つめてくる。
……筆頭と戦って大丈夫なのか? そう聞かれると何とも答えにくいところだ。
彼は、私にとって戦闘の基礎を教え込んでくれた師匠といえる人だから。
「――私はアマテイト神官です。女神の使徒として、やるべきことは違えませんよ」
「あら、こんなところでまでお題目? 良いのよ、私相手にくらい懺悔してくれても」
……懺悔、か。言ってくれる。
実際のところ、私はたとえ誰が敵であろうとも、それがアマテイトの敵であるのならば容赦なく叩き潰せる。
そういう風に生まれてきたし、そういう風に育てられた。そしてそれへの自負も、誇りもある。でも、それ以上に――
「――正直なところ、私、そこまで好いていなかったんですよ。バルトサール筆頭のことを」
「へぇ、意外な感想ね」
「別に何が嫌いというわけじゃありません。それなりに優秀な神官でしたし、彼がいなければ今の私もいなかったでしょう」
ただ、なんだろう。本性を知れた今だから言えるだけかもしれないけれど、あの人のことを信頼できないと感じている自分は確かに居たんだ。
それはきっと、あの人が私を真っ先に殺そうとしたのと同じ。感じ合っていたのだ――ああ、これは自分と相いれない人間なんだって。
「けれど、好いてはいなかったんだ?」
「ええ、どうしても合わない人間っているでしょう? それでも仕事上はとても良い関係だとは思っていたんですけれどね」
「よくあることよ。でも、貴女がそういう感覚でいてくれると安心できるわ。下手に情けをかけられると上手く行くことも行かないもの」
――都市ひとつを滅ぼした相手に情けをかけるほど、私は甘い人間ではないですよ。
そんな風に答えた。実際その通りだからだ。
タンミレフト首都で奪われた人命、この土地との関わりが薄いジェフでさえ涙を流しそうになった相手がいたのだ。
ここで失われた人々の数だけ、その悲しみがあるのだ。ならば情けなどかけるはずもない。こんな事態を引き起こした、張本人に賭ける情けなど、存在しない。
「……私からも、質問して良いですか? ランディール」
「ええ、構わないわよ。いったい何かしら? かしこまって」
「どうして、バルトサール筆頭を殺そうとしているのですか――?」
こちらの質問に”仕事だから”とだけ答えるランディール。
その答えは予想していた。私が知りたいのは、その先だ。
「その仕事は、どこから?なんていうのは答えてはくれないのでしょうね」
「そうね。依頼主のことをペラペラ喋る殺し屋なんて一瞬で廃業に追い込まれるもの」
……だけど、実際、何者なんだろう?
アマテイト教会だって一枚岩じゃない。内部にいたバルトサールが裏切っていたとしても、内部に対する牽制が全く効いていないわけじゃない。
たとえば地方の筆頭に対する聖都直属の神官は本当に分かりやすい牽制だ。そんな彼らが気付かなかったことに、先に気づいて殺し屋を送り込んでくる。
いったい、どこの勢力なんだろう? どこの勢力ならばそんなに鼻が利く?
「……筆頭を殺そうというのは”口封じ”ですか? 死霊呪術の足跡を、辿られないようにするための」
「答えられないわ。そして2度と同じことを聞かないで。私は今、味方を敵にしたくないの」
――図星でしょうね。ならばベインカーテンの関係者でしょうか?
でも、ベインカーテンの関係者が、ここまで大事件を起こした人間を迎え入れずに暗殺しようとするのは不自然だ。
どうにも腑に落ちない。けれど、これ以上の詮索は危険に過ぎる。ここまでにしよう。少なくともバルトサールを無力化するまでは。
「分かりました。ここまでにしましょう。私も今、貴女を敵に回す余裕はありません」
「そういうことね。少なくともここを出るまでは協力しましょう?」
ランディールの言葉に頷く。こいつこそ私の求める”情報”に最も近い人間なんだろう。
けれど今、彼女を攻める余裕はない。そのことが少し歯がゆかったけれど、もう少しの間は彼女との協力関係を続けられるというのは、悪い気分ではありませんでした。
それどころか少し、良い気分なくらいなのです。我ながら不可思議なのですが――




