第35話
――アティのいう”隠れ家”
それはタンミレフトの民家、その地下にあった。
(地下室かよ、なんでこんなものを……)
(――私の依頼主の持ち物。多少の食糧の備蓄もあるし、音も響かない)
荒れ果てた貸家の空室、そこに用意された地下室への扉を開くアティ。
地下へと進む彼女の背中を見ながら思う。
……こいつの背後に居るものは、なんだ? アマテイト教会が見落としたフランセルとバルトサールの動きを、把握している”依頼主”ってのは。
「さぁ、腰を下ろして。その胸の傷、塞がったくらいで完治はしてないはずよ」
「……よく目が利きますね」
「ふふ、その血塗れの服を見れば簡単に”治癒”できる傷じゃないことくらいは分かるわ」
言いながらリリィに水筒を投げ渡すアティ。
「飲みなさい。すぐに食事も用意する」
「……水筒くらい、自前のものがあります」
「じゃあ、それは後に取っておくことね。長丁場になるわよ、今回の戦い」
地下室の中の貯蔵庫を漁り始めるアティ。
……いくら温度が保たれているからと言って、ここに貯蔵されて食えるということは、おそらく魔術的なものが使われているのだろうな。
「エルト、明日の夜明けには”太陽落とし”が行われることは、知っているな?」
「ああ、もちろん。聖都直属の大神官ルビア・アマテイトが招集されていることも知っているよ」
……聖都直属の大神官ルビア・アマテイト、か。
そんなところまでは知らなかった。流石は貴族様だ。そういう情報には敏い。
「――さてと、即席の簡易スープよ。魔力の回復にはまず体力の回復。とりあえず食べなさい。特に2人はね」
この地下室の中でこんな温かなスープを、短時間で用意できるとはいったい何をどうやったんだ?
なんて思うが、とりあえずそれに口を付ける。
……約半日ぶりに口にする温かな食事は、それだけで生命力が回復していくようだった。
「……ジェフ、そしてリリィちゃん。あなたたちはタンミレフトの屋敷で何を見たの? 何と、戦った?」
アティから向けられる核心的な質問。その答えを口にすることをリリィは躊躇っているように見えた。
それもそうだろう。だって自分の直属の上司に裏切られたのだ。
何の躊躇もなく、殺されかけた。それを易々と語れるはずもない。
「――フランセルの、協力者。この事件の首謀者。お前の標的だよ、アティーファ」
「それは、誰……?」
アティの琥珀色の瞳が、こちらを見つめている。
……本当に、美しい瞳だ。
「……バルトサール・アマテイト、ここの筆頭神官サマだ」
「ッ、やはりそういうことだったのね」
「驚かないんだな? 情報は掴んでいたのか?」
懐に仕舞っている”フランセルの日記帳”は出さない。
アティという女個人のことは信頼しているが、こいつの後ろに居るものは信頼していない。
だから決定的なものについてはまだ伏せておく。
「フランセルの存在を掴んでいるような奴が依頼主なのよ?」
「……アティ、お前はバルトサールを、殺せると思うか?」
「不可能だとは思わないわ。どうして?」
スープをスプーンでかき混ぜながら、俺は溜め息を吐く。
……確かに”不意打ち”に近い形でリリィという戦力を奪われていたという不利はあった。
だが、それがなかったとして、あいつに勝てるか? こちらの弾丸を1撃たりとも受け付けなかった、あの男に。
「……強かったからさ。こちらの弾丸が通じなかった。”太陽の雫”で強化したエクスプロードが、1撃も」
「っ、相手は、そこまでの実力者って訳ね……」
「それも当然ですね。バルトサール筆頭は飛びっきりの武闘派神官です。人竜戦争の時代に生まれなかったことが悔やまれているくらいだ」
――そして私の直接の”師”でもある。
そんな言葉が、リリィの言葉が、どうしようもなく重かった。
「……アティ、殺しを目的にしているお前には悪いが、俺たちの任務は”証拠収集”だ。そしてそれは既に果たされている」
「へぇ、ジェフ。あなたは握っているのね? 決定的な証拠を」
「ああ、だから俺たちはこのままタンミレフトから脱出するつもりだ。エルト、お前はどうする?」
エルトだ、エルトさえ落とせれば3対1になる。事は有利に運べる。
できれば俺はアティにも諦めてほしいのだ。
こんな死に溢れた街で、あんな強敵と命を削るような戦いをするなんて無謀に過ぎるから。
「ああ、僕もできればそうしたかった。けれど、それはできないんだよ、ジェフ」
「ッ、どうして……?」
「この死都を生み出した奴らの、バルトサールの目的が果たされてしまうから。そしてそこから生まれてくるものは、手に負えない”怪物”だから」
ッ――そうか、死都ひとつ分の”穢れ”
その集積ができるのか。太陽が落ちてくるよりも、早く……ッ!
「ジェフ、フランセルが発動しようとしていた”自動化”の術式は覚えている?
私ね、あれがひとつだけだったとは思っていない。他にもあるはずよ、いざというときのためにひとつふたつの安全策、残していないはずがないもの」
アティの言葉に”あの部屋”を思い出す。
バルトサールが待ち構えていた”あの部屋”を。
漆黒と真紅、あの部屋に描かれていたのは”魔術式”だ。
あの時、フランセルが発動しようとして、俺とアティが邪魔をした、アレだ……ッ!
「……だから、あいつ、追ってこなかったのか。クソッ! じゃあ、俺たちは、アレと戦うしかねえってことじゃねえか!」
死都ひとつ分の”穢れ”を一身に集めた者。それが、どれほど危険な存在か?
そんなこと考えなくても分かる。あの”霊体”を思い浮かべてみろ。あれが複数集まって、より強固なものになったとしたら?
それがたった1人の人間の意志で動いたとしたら? ……それはもう”太陽落とし”でも倒せない”怪物”だ。
そしてそうなる前のあいつを殺せるのは、今ここにいる俺たちしかいない。俺たちしか。
「そういうことだ。今、この状況を見逃すことはできない。少なくとも王国貴族であるこの僕には」
「……貴族の義務かい。俺にそんなものはないぜ」
「けれど”正義感”はあるはずだ。僕の目に狂いがなければね」
ッ、何が正義感だ。そういうお綺麗な言葉で粉飾されるのは好きじゃない。
「違うね、俺にあるのは復讐心だけさ。今、あいつを殺さなければ間に合わないというのなら、確実に殺す。それだけの話だ」




