第32話
――全ては”バルトサール・ライティカイネン殿下”のために。
俺が、その一文を読み解いたのと同時だった、リリィが扉を開いたのは。
いいや、こちらの方が若干遅れていたくらいだろうか。
(なんだ、この、寒気は……?)
リリィが扉を傾ける光景が、やけにゆっくりと見えた。
逆立った神経が、危険を告げていた。敵はあの”バルトサール”だったのだ。
リリィの直の上司だ。ヤバい、ヤバい、ここまでの間、あいつからの攻撃がないのはおかしい。
ここまで平坦に来られたことが既に”異常”なんだ――!
「……え? バルトサール、筆頭……?」
「ッ――逃げろ!! リリィ!!!」
高度な魔術式によって封じられていた”最奥”
その向こう側に、そいつは居た。リリィと同じ真紅の髪、真紅の瞳を持った”アマテイト神官”
アカデミア一帯の教会支部においてかなりの権力を持つ”筆頭神官”が、そこに待ち構えていた。
「ご苦労だったね、リリィ・アマテイト――君の仕事は、ここまでだ」
その言葉が、引き金だった。こちらが拳銃を引き抜くよりも速く、男は構えていた。
右の指先から放ったのは、高純度の力の塊。それが魔術師のものであれば魔力光線、神官のそれであれば太陽光線とでも言うのだろうか。
――とにかくだ。今、リリィの胸は撃ち抜かれた。自分の上司に、神官が放った太陽に、胸に象った太陽の紋章ごと撃ち抜かれた。
「バルトサール……ッ!! てめえ!!」
2丁のデバイスから魔力弾を放つ。放ちながら、リリィを庇いに入る。
「ジェ、フ……逃げ、なさい……私は、……」
「――うるさい! 神官なら傷くらい治せるだろう!!」
リリィの胸に手を当て”太陽の雫”から俺の腕を通し、生命力を注ぎ込む。
俺がアティにやってもらったこと。そして神官ならば誰でもできる”治癒”の力だ。
「ふふっ、涙ぐましいねえ。無駄だよ、サーヴォ君。
私が撃ち抜いたのは心臓だ。リリィはどんなことをしても、助からない」
「ハッタリはやめろ、バルトサール! 心臓を破壊された人間は即死する! その程度の知識が俺に無いと思っているのか?」
――俺が行った治癒、そしてリリィ自身が行い始めた治癒によって多少は持ち直してきた。
だが、こちらの攻撃は1発たりともバルトサールに届いていない。
あいつの展開している防御壁が厚すぎるのだ。とてもじゃないが撃ち抜けない。
「ふっ、ならば無意味な治癒を繰り返せばいい。それだけ君を殺しやすくなるというものだ」
嘲笑を浮かべながら、背後に6つほど疑似的な小型の太陽を浮かべるバルトサール。
この技を見せられれば、なるほど、神官というのは本当に恐ろしい存在なのだと思い知る。
「――君は聡明だな。戦力差を理解したように見える」
「ッ……フランセルは、お前にとってのなんだ? あいつはお前のことを”坊ちゃま”と呼んでいたんだろう?」
……今、追い込まれているのは俺の方だ。そして俺からバルトサールに会話を吹っ掛けたのは”時間稼ぎ”だ。
だが、今回はあの時と違う。フランセルと戦っていた時とは違う。アティのように”時間を稼いでいる間に考えてくれる仲間”は居ない。
その仲間は息も絶え絶えなんだ。俺はこいつを守るために死力を尽くさなければいけない。時間を稼ぐことも、脱出路を考えることも、両方やらなきゃいけない。
少なくとも目の前にいる敵は、今倒せる相手じゃない。ここで勝てる相手じゃない。しかし、証拠は手の中にある。……逃げることだ、まず、逃げるんだ。
「教えてくれよ、バルトサール・ライティカイネン――」
「……ふふっ、リリィから聞いていないかね? アマテイト神官にとって、神官以前の”姓”を聞くのは禁忌だと」
「今更そんなことを気にするのか? 自分を慕う魔術師に、都市ひとつを死都に変えさせたお前が? 悪辣な禁忌破りを犯したお前が!」
下手には出過ぎるな、簡単に殺されるだけだ。相手を挑発しながら、乗せるんだ。
こちらの意図に、乗せろ……!
「……言ってくれるね。そしてよく知っている。あいつめ、また無駄に事細かな”記録”を残していたな?
それが魔術師としての優秀さなのだろうが、諜報役としては二流止まりなんだよ」
クスクスと笑いながら、腕を組むバルトサール・アマテイト。
こんな男にさえ、太陽神は微笑むというのだから、あの女神様は随分と”男の趣味”が悪いように見える。
「だが、あいつはお前のために死んでいったんだろう? 最後までお前の存在は、その影すら感じさせなかった。優秀な男だったよ」
正直に言って、あれは復讐者になど見えなかった。忠誠を誓う男にも。
ただの狂人、気の狂った魔術師、そういう存在にしか見えなかった。そのことに疑問さえ感じさせないほどに。
「……ああ、そうだ。あいつは優秀な男だった。ライティカイネン家にとって随一のお抱え魔術師だ。
そして誰よりも義理堅い男でもあった。誰もが我が家を見限り、去っていったというのにあいつだけは残った。
生まれたときから教会に捧げられていた”私”までをも見出して、ライティカイネンの再興を夢想していた」
――ライティカイネン家というのが没落貴族なのは読み通り。
そしてフランセルは、その没落貴族のお抱え魔術師だったというわけか。
だからタンミレフトを滅ぼすことさえ正当化できたわけだ。
「――私もあの狂気には当てられた。思うようになった。ライティカイネンの復興を、それが叶わぬのならば”復讐”を」
……奪われたものは取り返せ。それができないのならば報いを与えろ。
そんな母親の言葉が脳裏を過る。
……やれやれ、没落貴族の家系というのはどいつもこいつも、そういうものらしいな。
「なぁ、サーヴォ君。私は知っているのだよ、君もまた私と同じ”没落貴族”なのだということを」
「……それが、どうかしたか?」
「君は、知りたくはないかな。君の父親がなぜ殺されたのかを。そして、それを知れば君も私と同じことを望むはずだ」
ッ……!? 知っているのか? こいつは、親父の死の真相を!
母さんが追い求めながら死んでいった、あの”死の真相”を……ッ!
「――私の元へ来い、ジェフリー・サーヴォ。君と私は、同志になれる」
「俺に、何を望む……?」
理性はずっと警鐘を鳴らしている。腕の中のリリィが、瀕死の彼女の存在が、俺に抑制をかける。
ダメだ、信じるな、こいつの話を信じるな、ロクなことにならない。
そう分かっていても、知っているのならば聞き出したい! 父親の死の真相を、知っているのなら!
「そうだな、手始めに――リリィを殺せ。彼女が私に寝返らないことは知っている。
彼女は本当に敬虔なアマテイト神官だからね。そういう意味では信頼しているんだよ。
だから、殺せ――それが出来たのなら、君を同志として迎え入れてやろうじゃないか? ジェフリー・サーヴォ」
――ああ、なんて、とんでもない要求を突き付けてくるんだ。
ここでリリィを殺してしまえば、危険から逃れられる上に、父親の死の真相まで教えてくれるのだという。
そんなの、俺に利益しかない話だ。ならば、俺の答えは決まっている――”最初の最初から”ずっと。
「よろしい。さぁ、それを引き込んだら魔力弾が出るんだろう? やってみせてくれよ」
引き金に指をかけた俺に、バルトサールはニヤリと微笑んだ。




