第24話
「……ジェフ。逃げ出すのなら、今のうちですよ?
この馬車がタンミレフトに到着してしまえば、そこにはもう教会の人間しか居ません」
マルティンとのやり取りから、馬車に揺られ揺られてしばらくのことだ。騎手が外に出ているのを良いことにリリィの奴はとんでもないことを言ってきていた。
まったくお前の情報さえ売り飛ばして金に換えた男に向かって、随分と甘い神官さんだぜ。
「どうしたんだよ? 今更になって怖じ気づいたのか?」
リリィ・アマテイトという少女が、神官として生まれたからといって死を怖れぬ異常者ではないことは分かっている。
ここまでの長旅でよく分かってしまったのだ。しかし、ここで逃げ出したいと思うなんて……なるほど、神官というのも”人の子”じゃないか。
「怖じ気づいてはいますね。気づいていますか? ジェフ。
私たちの向かう方向に向かっているのは、教会関係者だけなんですよ。
こんな景色、私は見たことがなかった」
ッ……やめろよな、本気で目を逸らしていたことを突きつけて来やがって。
「まぁな。じゃあ、逃げ出すか? リリィ。それならそれでそういう仕事に鞍替えしても良いんだぜ?」
「――私は逃げません。私は神官です。こういうときに戦うための力を与えられている。そのことへの誇りもある」
真紅に染め上げられた瞳に、偽りはなかった。
なるほど、これを本心で言っているんだからさ、凄いんだよな。
俺はこういう風に真っ直ぐには、なれない。
「私が怖いのは、貴方のような一般人をこのような仕事に巻き込んでしまうことだ。
この先に待つものを考えると、私は貴方の命を保証できない」
――神官として、ベインカーテンとの戦いに教会以外の人間を巻き込むことが許せない、というわけか。
「だからジェフリー。貴方は、地図をおいて逃げなさい。
あとは、私がやります。誰も貴方を咎めはしない」
前金はそのまま貰えるってわけなのか? だとしたら悪くない話ではあるな。
俺はアティから貰った地図を売っただけで前金が手に入るんだから。
「……嫌だね。リリィさんよ、アンタ勘違いしてるぜ」
「何を、ですか?」
「やらなければいけないことを前に、命を賭けるのは神官だけの特権じゃないってことさ」
悪くない話だが、ここで降りてしまえば残りの報酬は貰えないし、この話が下手に広がれば致命的だ。
逃げ出した傭兵というロクでもない悪評が立つことになってしまう。
「俺だって傭兵だ。金を受け取ってアンタの仕事を受けた。死ぬつもりはないが、自分の身を自分で守るくらいの覚悟はある」
「……なるほど。私の心配は、要らぬ心配だったようですね」
そう微笑むリリィの表情を見ていると思うのだ。
これは信頼できる部類の人間なのだろうと。
「そういうことだ。1日もあれば充分に”証拠”を集めて離脱できるさ」
俺たちに与えられている時間制限は1日だ。
次の夜明けまでに戻ってこれなければ教会による”太陽落とし”が決行される。
時間としてはまぁ、充分に用意されているし、怖れるような話でもない。ただ、のんびりはしていられないというだけの話だ。
「そこも含めて、本当に申し訳ないのです。帰還確認もせずに焼き払うだなんて、本来ならばあり得ないことなのに」
「いや、俺は良いのさ。そんなものだろうと思っているからな」
信用できないことがあるとすれば、そんな任務にリリィという若者を使うことくらいだろうか。
確かに同輩として俺を口説き落としやすいという利点はあるが、だからといって俺と同い年くらいの人間を使うか? こんな任務に。
「そういえばよ、バルトサールってのは何か言っていたか? トリシャに詰められたんだろう?」
「……いえ、私には、何も」
ふぅん? リリィには何の報告もなく、俺がこの馬車に乗っているんだから、例の男はトリシャの奴を丸め込んだって事か。
相当なやり手のようだな。
「トリシャ教授は、今回のことにご不満が?」
「まぁな。俺が危険に飛び込むのを良しとしてないのさ。だが、アンタが気にするような話じゃない」
――ふと、マルティンの奴と話した”内部犯”の可能性を思い出す。
眼前の少女リリィが内部犯である可能性は薄いだろう。
彼女に、あのフランセルのような男との繋がりがあるとも思えない。
(内部犯の可能性があるとして、仮にそうなら”そいつ”は、教会全体の動きを鈍らせられるだけの実力者である必要がある)
では、該当するのは、どんな人間だろうか?
いいや、そもそもこの筋道での予測は正しいのか?
「リリィ、今回の首謀者フランセルに出し抜かれたことに理由があると思うか?」
「……アマテイト教会側の諜報網が甘かったということでしょうね。
まさか貴族のお抱え魔術師に”ここまで”の事をする人間はいない。そんな甘えがあったのでしょう」
妥当な推測だ。だが、本当にそれだけなのだろうか。
仮に内部犯がいたとしたら”証拠”を押さえて帰ってくる俺たちは、どうなる?
(――ッ、これは、ヤバいな。生きる死体に溢れる街を抜けるだけの話じゃなくなるぞ)
肝の冷えるような予感に寒気を感じながら、俺は思った。
この予感が外れてくれればいいのに。そう思ったのだ。




