第22話
――リリィ・アマテイトの提示した金額は、破格だった。
それだけで”まとまった金”と呼べるほどの金額で、マルティンからの依頼、アティからの依頼で稼いだ金貨2枚と合計すると、完全に生活費と分離できる資産が形成できる。
つまり、このまま上手くやれば俺は”金で金を稼ぐ”領域に入れるかもしれないというわけだ。
(まぁ、こんなちっぽけな元手でいったい何に出資するかって話、か)
まとまった金の運用方法が具体的に思いついているわけでもないし、そもそも目の前に提示されている仕事の内容は途方もなく難易度の高いものだ。
フランセルという死竜が居ないとはいえ、一度は死にかけた場所へ再び飛び込もうというのだから。
(……与えられた猶予は、1日)
こちらの手札は2つ。2丁の拳銃と”太陽の雫”だ。
戦力としては申し分ないし、特別に用意するべきものもない。
負ってしまった傷もアマテイト教会によって完治している。おかげさまでこうやって食堂で、飯を食えている訳でもある。
(時間が欲しいのは、リリィの方なんだろうな)
あいつは俺に足元を見られないように、俺に対して時間を与えたと言っていたし、俺もそれに乗っかった。
だが、実際のところ時間が欲しいのはあいつの方だ。あいつは組織人だからな。通さなければならない義理が無数にあるはずだ。
しかし、リリィが時間をくれるというのならば、俺にもやるべきことはある。
(――筋書きとしては、これで、いけるか)
明日という1日に何をするべきか? それを組み立て終わるころには、夕食のカレーを俺は食い終えていた。
かなり雑多な具材を濃い目のスパイスで煮込んでいる。教会には俺のような病人や身寄りのない孤児も少なくない。
だから、この食堂の食事も食べられる程度の味だけを確保して、量を優先させている。
でも、それで悪いというわけじゃない。やはり多くの量を一度に用意するだけで味が良くなるのだ。料理人の腕も良いのだろう。
「――へぇ、目が覚めたって話は本当だったらしいね? ジェフ」
殺気だった嫌な声が、首筋に響く。大人の女の声、女狐の声だ。
「生憎とな。どうやらサータイトに嫌われているらしいぜ、俺は。残念だったな? トリシャ」
「残念? ふざけたことを言うんじゃないよ。私はお前の才能を評価しているし、お前に投資もしている。
タダで死なせると思わないほうが良いぞ――」
……それもそうか。この女は入学資金のもろもろまで俺に貸し付けているし、土地を買い込んだのだって俺への投資だ。
全くもっていい迷惑だが、こいつが俺のために突っ込んだ金額は正直なところ生半可なそれではない。
ならば俺に死なれるわけにいかないというのも道理だ。だって、トリシャにとって俺は最高の債務者なのだから。
「俺を死なせたくないのなら、俺を帰らせるしかないぜ? 姉さんの元に」
「――冗談。まだお前には何も教えてないんだ。死なれても困るが、帰られても困る」
トリシャが、俺の真向かいに腰を下ろす。
……いつもの革のジャケットにスラックス。相変わらず挑発的な女だし、それが妙に似合っている。
背が高く、足が長い。そして身体の線もメリハリがついている。見た瞬間に”これは強い女だな”と思わせる力がある。
「……なんだよ、話があるなら話したらどうだ?」
向かい側に座ったトリシャは、しばらくのあいだ無言だった。
無言でこちらの瞳を、ただ見つめてきた。その圧力に耐えられなくて、俺は口を開いてしまう。
おそらくはこれが悪手であることを自覚しながら。
「――簡単な話さ。お前は今、私に説明しなきゃいけないことがあるはずだ」
「知らんな。俺はお前に話したいことなんてないね」
トリシャの漆黒の瞳と向かい合う。
「じゃあ、聞いてやろうか? ジェフリー。
お前はどうしてその傷を負った? いったいどんな危険に首を突っ込んだ?
私はお前に貸しがあるんだ。お前に死なれちゃ困るし、お前には私に対する説明をする義務がある」
……やれやれ、厄介な話だ。エルトの奴にもリリィの奴にも話したんだぞ。
3回も同じ話をしろというのか。冗談じゃない。
「――簡潔に話してやるよ。俺はアンタの読みの通り”タンミレフト”にいた」
「ッ……?! どうしてだい? あんなところに何の用事が?」
「少し変わった仕事を初めてな。運び屋としての初仕事さ。楽に終わるつもりだったんだが、実際はそうじゃなかった」
絶え間なく新しい情報を投げつけて、トリシャの頭を飽和させる。
こいつに主導権を渡すと必ず面倒なことになる。今この瞬間においては必ず。
「どうしてそんな危険な仕事を……!」
「危険だったのは結果論に過ぎないし、怪しいほどに利率のいい仕事を引き受けたのは”金が要る”からだ。
俺に”押し貸し”をしているアンタが、俺に文句をつける道理はない。違うか?」
トリシャが俺の襟元を捻り上げる。
……なまっちろくて、細い指先。似合わないことは、しなければいいのに。
「ジェフ……!」
「怒るなよ、債権者サマ? 朗報がひとつあるんだぜ?」
「この期に及んでなんだってんだい……?」
マズいな、これを話せば恐らくトリシャはアマテイト教会に殴り込みに行くだろう。
まぁ、それでも良いか。俺自身への追及は多少は弱まるはずだ。
「俺はアマテイト教会の依頼で、タンミレフトに再び潜入する。神官様の護衛兼水先案内人だ。
ガッツリ儲かるぜ? お前からの貸しを返せる日も、ずっと早くなる」
「ッ……?! あのリリィ・アマテイトの差し金か?! いや、あの娘じゃない……バルトサールだね?」
ほう、リリィの上司の名前がバルトサールなのだろうか。
「さぁな? 俺と交渉したのはリリィだが、あいつが上からの命令なしで動いているってことはないだろうよ」
「……分かった。お前の新しい仕事、今から叩き潰してくる」
「できるもんならやってみな。今の俺は、アマテイト教会にとって唯一無二の存在だ。お前にも潰せやしないぜ? トリシャ教授サマよ」
こちらの捨て台詞を一瞥してから、トリシャの奴はカツコツと足音を立てながら歩き去っていった。
行き先は”バルトサール”とやらのところなのだろう。そして走らないのは、そいつとの交渉を考えてのことだ。
あいつは今、足音を敢えて鳴らしている。存在力を高めているのだ。
(――これでトリシャが教会の方を止めたら、稼ぎ口はなくなるが、危険ともおさらばって訳か)
まぁ、それはそれで悪くないな。なんて思いながら、俺は自室に戻った。
明後日に備え、2丁のデバイスを確実にメンテナンスするために。




