第17話
「大丈夫よ、あなたは助かるわ。安心して、大丈夫――」
アティの言葉が反響していることに、気が付いたのはいつからだったろうか。
身体と意識が繋がらない闇の中で、彼女の言葉がずっと反響していた。
(ここが、あの世か……?)
いや、違うな。ここがあの世だというのならば、このような虚無であるはずがない。
アマテイトかサータイト、そのどちらかの陣営の手荒い歓迎があるはずだ。
それがなくて、かつ、まだこの魂が消え去っていないということは……。
(――俺は、まだ、生きているんだな)
それを自覚した瞬間、指先がビクリと動いた。
身体に巡る血の流れが感じられて、瞼が、開いた。
「……夕暮れ、か」
真紅に染められた一室そのものに、見覚えはない。
けれど、壁や寝台、その他に置かれた机などから”懐かしさ”を感じる。
……なるほど”アマテイト教会”という場所はどこも似たような造りだというのは本当のことだったらしいな。
(アティは、俺のために”転移魔法”を使った)
事後に魔法を使えるような魔道具の存在そのものが信じられないが、それで発動できるのが”転移魔法”というのがまた信じられない。
転移魔法の使い手は、そもそも希少種である魔術師の中でもさらに希少であり、生まれ持った特性でもない限り殆ど身に着かないというのに。
希少に希少が重なりまくって、その価値は天井知らずだ。そして彼女の言い方からしてあの小道具は”使い捨て”なのだろう。
「……返せない借りを、作っちまったな」
アティーファ・ランディール、か。
もう二度と会いたくないな……借りているものを支払うのが大変だから。
なんて容易には思えないほどに”もう一度会いたい”と思っている自分がいる。あんな絵にかいたような傭兵と再会して何をするんだ?って話なのに。
「太陽の、雫……?」
傷口にあてがわれていた”太陽の雫”が、首元に下げられていた。
感じ取ろうとすると、その宝石からはまだ熱が流れ込んでいて、俺は自覚した。
俺の瞳がまだ炎のように紅いことを。俺はまだ、疑似的なアマテイト神官であることを。
(こんなものまで、あいつは俺に、与えたっていうのか……?)
アティ、お前はいったい何を考えているんだ。
見捨ててもいい男のために、どうして、ここまで……。
これは本当に”借り”を返さないと、死んでも死にきれなくなっちまったな。
「――ふふっ」
真紅の宝石を撫でる。ふと、笑みが零れる。
あの地獄の中で、彼女に救われたことを喜んでいる自分に気づく。
そして同時に、あの地獄の中に落としてしまったものに、心が痛む。
「……タンミレフト、フランセル」
いったい、あの都市はどうなった? 首謀者たるタンミレフト領家お抱え魔術師フランセルは討伐した。
だが、だからといって一度バラ撒かれた死が消えるわけではない。
あの都市の人口全てが”生きる死体”に変わったことは覆せないし、消えてなくなりはしない。
(アマテイト教会は、封じ込めに成功しているのだろうか。もし、失敗していれば……)
そこから起きるであろう”大拡散”については、想像もしたくない。
下手をすれば、あの都市の”穢れ”を取り込むつもりだったフランセルの目的が成功していた方がまだ良かったと言われるような事態になりかねない。
……だが、この窓から見える街は穏やかだ。この心配は考え過ぎというものだろうか。
(そもそも俺は、どうしてアマテイト教会にいるんだろう)
転移魔法で何処かに出た後、アティが俺のことを教会に放り込んだのか?
……考えられるな。怪我人の治療ができる場所など教会くらいしかない。
高い金を積めば、それ専門の魔術師に見てもらえるが飛び込みでは無理だろう。
「――ジェフ? 目が覚めたのかい……?」
開かれた扉、その向こうから現れる見覚えのある顔に、俺は胸を撫で下ろす。
「……エルトか。その様子だと、あれか。俺の見舞いは慣れてるって感じか?」
推測を走らせながら回答する俺に笑みを浮かべるエルハルト・カーフィステイン。
黄金色の髪と、緑玉色の瞳が美しい美少年。
俺も女みたいだと何度も言われてきたが、目の前のこいつほどじゃない。そう思えるような男だ。
「ふふ、頭は錆びついてないみたいだね。ジェフ」
「まぁな。だが、何があったのかは知らねえ。教えてくれないか? 俺はどうやってここに来た? ここに来てから何日経つ?」
「今日で2日目が終わるよ。1週間は目を覚まさないんじゃないかって言われていたのに、良く戻ってきたね」
柔和な笑みを浮かべながら、俺の寝台に腰を下ろすエルト。
……こいつと同じ布団に居ると変な噂が立ちそうだな。なんて下らない事を思ってしまう。
「ああ。俺には”女神”がついているからな。2日か。その間に何があった?」
「――君が倒れたこと以上の報せなんて……ぁあ、アレか。タンミレフトが落ちた。
ベインカーテンの仕業だろうという話で、教会とアカデミア教授陣が全力で封鎖に掛かっているよ」
「それは上手く行っているか?」
俺の問いに頷くエルト。そして一瞬だけ、いぶかしむ表情をして何かを言おうとして、飲み込む。
……マズいな、これ。こいつに勘づかれた。
俺は、驚いたふりをするべきだったんだろうな。
「……エルト、俺は誰にここに連れてこられた? 意識はなかったはずだ」
「さぁね。教会の人は”褐色の女性”と言っていたけど」
アティか。それ以外にいないだろう。
「ねぇ、ジェフ。いったい何があった? まともなことじゃないだろう?
傷口を見ただけで分かったよ。……教えて、もらえるよね」
エルトの纏う空気が鋭利になっていく。俺の逃げ道を潰そうとしている。
……ここら辺は、本当にあれなんだよな。竜族との戦いの最前線、そんな領地に生まれた御曹司なんだよな。
纏う殺気が生半可なそれじゃない。
「――そいつは無理だな」
「どうして?」
「俺は、そういう稼業を始めたからだ。信頼は、全てに優先する」
緑玉色の瞳と向かい合う。
「そうか。言っていた通りのものになったんだね? ジェフ。
なら、取引と行こうじゃないか? 傭兵さん――僕は”とある情報”を持っている。
それと君の情報、その一部を交換しよう」
……全く、この男は本当にこういう勘所を突いてくるから好きなんだよな。
俺が求める空気感をよく理解してくれていて、大好きだ。こう聞かれたら全く乗らないというわけには、いかなくなるじゃないか。
「話くらいは、聞いてやるよ。エルハルト・カーフィステイン――」




