第16話
「……ジェフリー! ジェフ! 聞こえる!? ジェフ」
一度は途切れた意識、その闇の中で、俺を呼ぶ声がした。
そして、それを聞いた時には既に、俺は戻ってきていたのだろう。
「ア、ティ……フラン、セルは……どう、なった……?」
瞼を開いても視界がはっきりしない。
言葉を紡ごうとしても途切れ途切れになる。これは本当に、ヤバいみたいだな……。
「倒したわ。今から転移魔法でここから脱出する」
傷口は塞がれている。かなり強く縛り付けてくれていて、応急処置としては一級品だ。
そして”太陽の雫”が傷口を塞ぐ白布によって巻き付けられているおかげか、冷え切った体温が少しは戻っている。
けれど、それでも血が滲んできていて、治療が遅れたら、いや、遅れなくても死ぬんじゃないかと、弱気になってしまう。
「転移、魔法……?」
「そうよ。そういう小道具もね、仕入れているの。特別に使ってあげるわ、感謝して」
……転移魔法の希少価値の高さ。そして、それを起こせる”小道具”とやらの存在の価値の高さを思うと、ゾッとする。
「おいおい、返せない借りだぞ、それは……」
「生きていればいつか返せるわよ。期待しているから」
死ぬな、ってか? この状況で? とんでもない女だな……。
「正気かよ、お前……損得、勘定は大丈夫か?
そんなことよりもだ、この報酬を届けてほしい。経費と1割はくれてやる」
懐から金貨を取り出す。太陽の雫を運ぶまでに1枚、フランセル討伐で1枚。
この報酬を、シェリー姉さんの元へ届けてもらう。それだけやってくれれば、良いんだ。
ここで死ぬとしても、それは仕方がないと思える。
「――損得勘定がおかしいのは貴方よ、ジェフ。
誰がこの状況で死人の頼みなんて聞くと思うの? 生きなさい。そして届けたい人に届けなさい。あなた自身が」
「ッ、そして、この借りを、返せってわけか……」
深く痛む傷口を抑え込む。
クソ、あのフランセルの野郎、かなり深いところまで突き立てやがって……。
「そうよ、ジェフ。私、あなたのこと忘れないから」
そんなことを言いながら”小道具”を用いて、転移魔法の準備を進めるアティ。
……真剣な彼女を見つめているのも乙なものではあるが、黙っているとマズいな、意識が途切れそうだ。
「なぁ、アティ。どうしてアンタ、こんな仕事を……?」
黙っていようかとも思った。こんなことを聞くのは業界にとっての禁忌だとも知っていた。
だけど、俺は、生きていたかった。それにアティが言ったのだ。生きなさいって。
だから協力くらいしてもらう。俺が、俺の意識を、手放さないために。
「……ふふっ、知りたいのかしら?」
「じゃなきゃ聞かないさ」
一瞬だけムッとした表情になったが、こちらの意図を把握したように笑ってみせる。
なるほど、どうやら彼女は、世間話に付き合ってくれるらしい。俺の意識を繋ぐための、世間話に。
「……ねぇ、ジェフ。半端に魔法ができて、半端に身体が使えて、けれど貧しくて、それで娼婦になりたくなかったら、あなたはどうする?」
アティの答えに、息を飲んだ。なるほど、それが彼女を駆り立てたものというわけか。
”没落貴族は自由になれない”なんて嘯いた日のことを思い出す。
別に没落貴族だけじゃない。貧しいのならば、それだけで人は、自由になれないのだ。
「……戦うさ、こういう風にな。それで、稼ぐ」
「そうね。そういうことよ、けれどジェフ。あなたその顔なら稼げるんじゃない? 男娼ってのも充分に需要のある仕事なのよ?」
「ハッ、おまえ言ったろ? 娼婦になりたくないって、俺も同じさ」
女みたいな顔なんて、姉さんに似ているくらいしか良いところがない。
変態に絡まれてロクな記憶がないんだ。
「うん、だと思った。あなたそういうの苦手そう――ジェフ、こっちからも質問いい?」
作業の手を止めることなく、言葉を紡ぐアティ。彼女の問いに頷いた。
「――あなた、どうしてこの稼業に? 報酬を届けたいくらいに大事な人って誰?」
「2つの質問を1度に投げるなよ。まぁ、答えは同じだから良いけどな。姉だ。姉さんのために、俺は稼いでいる」
田舎に残してきた彼女の笑顔を幻視する。姉さんと育てた稲穂の匂いが、あの懐かしい香りが、感じられる。
「ふぅん? 良い人なんだ?」
「ああ。俺と違って、金髪が綺麗でな……愛らしくて、優しくて……」
もしも、俺が死んだなんて聞いたら、姉さんはどう思うのだろう。
悲しんでくれるのだろうか。だとしたら、どれほどの時間でその傷は癒えるのだろう。
「弟がこんな仕事してるって知っただけで、卒倒しそうね」
「ああ、とても、教えられないよ……」
もっと簡単に稼ぐつもりだったのになぁ……なかなか上手く、いかないもんだ。
「……ジェフ、準備できたわ。掴まって」
言われるまま、彼女に抱きかかえられるまま、その身体にしがみつく。
姉さんとは違ったしなやかな体つきと、上品な香水の匂い。
他人のぬくもりというものが、途切れそうな意識をどうしようもなく温めてくれる。
「アティ……」
何とかつないできた意識も本当にもう、途切れそうで、でも、だからこそ話したかった。
このまま意識を手放したら、次に目覚めるとき、もう彼女は居なくなっているような、そんな気がして。
けれど、もう、俺は、何も言葉に、できなくて……
「大丈夫よ、あなたは助かるわ。安心して、大丈夫――」




