第9話
――地下水道、それへの入り口は中央公園の中だけでも3つある。
そしてその3つの入り口のうちどれを開くか? どこから入るか?
俺は、それを考えあぐねていた。人目に付くのだ、3つのうちどれを選んでも。
(こんなところで人孔の蓋を開いて、その中に飛び込んだら一発で顔を覚えられるな……)
完全に準備不足だった。作業員の真似事をするか、顔を隠すか、どちらにせよ何かの準備が必要だった。
このままでは、今後の俺の人生に下手な汚点を残しかねない。
下手にタンミレフトの領兵に通報されたら、事だぞ……。
(さて、どうしたものかな)
約束の時間まで半刻みもない。今から手の込んだ用意は不可能だ。
となれば、覚悟を決めるしかないのだろうか――そんな決心を固めかけたときだった。
「な、なに、あれ――っ!!!」
つんざくような悲鳴が飛び込んできた。直後に聞こえたのは、大きな翼が空を裂く音。
……視線は自然と音に引き込まれて、俺は認識することになる。
腐りかけの肉を落としながら”骸骨まで露出した翼竜”が天空を舞う様を。
そして、奴が吐き出す青い炎が、地上の人々に降り注ぐ光景を。
(ッ――!!? なんだ、あれは――!!)
それに対する考察を巡らせるよりも早く、俺は人孔の蓋を開いた。
誰かに見られてしまう。そんな危険は、目の前に迫る強烈な”死”を前にすれば些末事に過ぎない。
確信していた。あの”青い炎”にまかれたら、死ぬことになる。死んだ後にどうなるかは分からないが、最低死ぬことになる。
「クソッ、冗談じゃねえ……!」
人孔の蓋を閉めなおしている余裕はなかった。
焦りで手元が震えた。梯子を踏み外すことなく自由落下せずに地下水道に降りられただけで上出来だった。
そして、入り口からすぐに飛びのいた。
「ッ……!!」
今、俺のいたところに、微量ながらあの青い炎が降り注いだ。
――もし、あと一瞬、ほんの一瞬でも遅れていたら、俺はどうなっていた?
それを思うと、肝が冷える。そして、一瞬だけ、先ほどの”カフェテリアの看板娘”が脳裏を過った。
(あの娘は、無事なのか……?)
その可能性が殆どないことは分かっていた。想像がついてしまった。
しかも、もうひとつ分かってしまったことがある。今の俺には、彼女の無事を心配する暇も、彼女の死を悼む暇もないことを。
「……よう、災難だったな? よく、ここまで降りてこられたと思うぜ」
降り注いだ青い炎の中に、そいつは立っていた。
身なりからして、ごく普通の領民といったところだろう。職業は、なんだろうな。八百屋か何かだろうか。
俺は、そいつに声をかけていた。万が一、こいつが無事だった時のために。しかし、同時に理解していたと思う。
「………………」
反応はなかった。その瞳は、濁っていた。
だから、俺は拳銃に手を伸ばしていた。
「ぐぅぅう……!」
青い吐息を浴びた人間、それがどうなるのか。俺はその答えを知った。
あの翼竜が骸骨でありながら生きていたように、目の前の人間もまた、生きながらにして死んだのだ。
(クソッ、俺の直感は正解かよ――ッ!)
敬虔なアマテイト教徒とは言えないない俺でも知っている。
この死体は”死の女神サータイト”に魅入られた”成れの果て”だ。
彼女に魅入られた生きる死体は、ただ純粋に死をばら撒くためだけに生き続ける。
あの骸骨の翼竜も、青い吐息にまかれたこの人間も、もはや生きる者の命を奪うだけの肉塊でしかないのだ。
「がぁああああ……ッ!」
ケダモノのような雄たけびを上げる男、その声はもはや、人間のそれではない。
――銃口を向ける。人間だったものに向けて、銃口を向ける。
威嚇は無駄だ。1撃で、動きを完全に封じなければ。考えている暇はない。
(やれ……ッ! 撃てよ、ジェフリー……ッ! こんなところで、死ぬわけにはいかねえだろ……!?)
3回だ。俺は、3回引き金を引いた。1発目で充分だった。
それは脳天を綺麗に撃ち抜いていたんだから。でも、身体が倒れなかったのが、恐ろしくて、俺は胴体も吹き飛ばした。
――ドッ、と冷や汗が噴き出してくる。
「ハ……ァ!」
人を殺すような真似は、初めての経験だった。
目の前にいたのは、生きる死体だと分かっていても、人だったものを撃ち殺すことへの嫌悪感は凄まじかった。
どうやら、人というのは、人を殺すようには出来ていないらしい。
(しかし、なんだってんだよ……この”大惨事”は)
タンミレフト領に関しては、それなりに調べたはずだ。
ベインカーテンのような過激派が活動していた形跡はなかったし、なんで、こんな大規模な殺戮が起きたっていうんだ……?
「……まさか、これが関わっていたり、しないよな?」
胸元から、依頼の物品である”小箱”を取り出す。
中身は不明。開くことは、禁じられている。
「アティーファ・ランディール、か……」
こんな大惨事が起きているんだ。お目当ての人間が生きているかの保証さえない。
だが、尻尾を巻いて逃げ出そうにも、この地下水道の正確な地図さえ知らない。
地上に出ることが自殺行為である以上、退路らしい退路はない。
(……ここは、ランディールとやらが生き残っていることに賭けるしかない、か)




