第8話
――マルティンに指定された時間まで、残り1刻みといったところだろうか。
予定時間よりも早く”地下水道”に入るのは真っ平御免で、俺は中央公園近くのカフェテリアでたまごサンドをくわえていた。
(ほう、新鮮な卵だな……流石はタンミレフト、アカデミアに物流を繋げる中継地点なだけのことはある)
タンミレフトという土地、そこに走る地下水道。それ自体が何かしら特殊な魔術遺産というわけではない。
ただ当時の魔法王が、衛生状態を高めるために用意したのが”地下水道”というだけの話だ。
今でも幾人かの魔術師を投下して水質保全に努めているけれど、水道自体に何かしらの罠が仕掛けられているということはない。
……ここまでのことを調べるのにだいぶ時間がかかった。
「えへへ、おいしいでしょ? うちのたまごサンドっ!」
これからの初仕事に向け、殺気を高め、冷静な思考を走らせていたまさにその時だ。
カウンターの向こう側、成人前どころかまだまだ子供の、幼い少女がこちらに微笑みかけてきた。
(……台無しだな、まったく)
せっかく刃物のように神経を研ぎ澄ませようと思っていたのに。
「っ、おいしく、なかった……?」
「いや、美味しいよ。良い卵を使っているな。どこから仕入れているんだ?」
「んーっとね、シルキーテリアからだよ。たまごの”めいさん”なんだって!」
シルキーテリアか。その一部分がドクターケイの領土、俺の故郷だな。
通りで味が良いわけだ。あっこらへんは食糧の生産において最高の土地だからな。
「分かるよ、懐かしい名前だ」
「おにーさんは、シルキーテリアから来たの?」
興味津々に首をかしげてくる幼げな少女。
弾む黒髪が素朴で、愛らしい。
「いや、正確にはその奥だが、まぁ、似たようなところさ。あそこの卵を生でご飯にかけて食べると、美味いんだぞ」
「えーっ! ダメなんだよ、たまごを生で食べちゃ! おなかがゴロゴロしちゃうんだよ」
「それは新鮮じゃないからさ。テリアでその日の朝に採れた卵ならいくらでも生で食べられる」
正確には少し違う。長距離の輸送をするとヒビが入るんだ。
そして、ヒビが入った卵は、生で食べると大変なことになる。
だから長距離を輸送された卵は、食べちゃいけないってことになっている。気づかない程度のヒビから腐っているかもしれないから。
「ほんと……?」
「本当だ。生の卵はとろっとろで美味しいんだぞ」
「……たべてみたい」
よだれを垂らし始めそうな少女の表情に、自然と笑みが零れる。
きっと彼女はここの”看板娘”なのだろうな。で、ここもきっと昼時には繁盛する。
昼よりだいぶ前なのに、ちらほらと客がいるのだから間違いない。
「採れたてじゃないとダメだぞ? だからここのはダメだ」
鶏を飼うという手段もあるが、個人で育てた鶏が汚染されないとは限らない。
そこら辺、やはりシルキーテリアの養鶏場は尋常じゃなく気を遣っているからな。
まぁ、俺と姉さんはよく自前の鶏でたまごかけご飯をやっていたんだから、悪いってこともないんだろうが人には勧められない。
「うーん、ざんねん……」
「まぁ、今度、シルキーテリアにでも旅行に行くんだな」
「うん! 行きたいなぁ~」
ぴょんぴょんと跳ね回る少女。ところで、この娘の親は居ないんだろうか?
最初は子供が手伝っているんだくらいに思っていたが、親はどこだ?
「なぁ、君。親はどこに?」
「ん? おとーさんは出かけてるの。コーヒー豆が切れたんだって」
「となると1人で留守番か。大変だな」
全く、こんな娘っ子1人を店番に外に行くなんて保護者失格だぜ。
「んーん! たいへんじゃないよ、なれてるもん!」
「そうか……慣れている、んだな」
――ますます親失格だな。子供にいったい何をやらせてやがる。
まぁ、それを言い出せば俺の親ほど親失格は居ないんだろうけれど。
(俺も、姉さんも、この娘も、およそ子供らしい生活なんて送れていないのは同じか)
アカデミアに入学するような身分の人間に触れているとよく分かる。
充足された環境で育ったゆえの真っすぐさを、その順当な強さを。
俺のように歪ではない、純な自信と強さがあるのだ。だからきっと彼らは、俺のようなことはしない。
”闇夜の盾”の依頼を受けるなんてことは、しないのだ。
「……悪いな嬢ちゃん。もう少し、君の留守番に付き合ってやりたかったんだが」
カフェテリアから見える影時計を確認する。そろそろ降りなければ、まずい。
俺が突き進むのは未知の”地下水道”なのだから。
「行っちゃうの? 楽しんでね、この街を♪」
「ああ、楽しむさ。……釣りはいらねえ。チップだ。”嬢ちゃんの”小遣いにしな」
たまごサンドとコーヒー以上の金額を握らせる。
「いーの? おにーさん?」
「フッ、お前さ、慣れてるな? こういうの」
「ふふん、こういうのも”みりょく”なんだよ」
くくっ、たくましいガキだ。好きだねえ、こういうの。
「その金さ、親には渡すなよ? いいな?」
「あったりまえだよ。おにーさんが”わたし”にくれたんだから!」
「よろしい。じゃあな、嬢ちゃん――」
中央公園のカフェテリアを後にする。面白い小娘のおかげで、それなりに時間を潰せた。
あとは、計画通りに”地下水道”へと降りるだけだ。
(さぁ、このジェフリー・サーヴォの”初仕事”ってわけだ――)




