第3話
「悪いのぉ、ジェフリー。老人のハンティングになぞ付き合ってもらって」
ドクターケイ。その男との付き合いは長い。
父さんが死に行き場を失くしていた母さんと俺たちを救ってくれたのが、この男だ。
あの時からずっとドクターは自らの土地を貸してくれている。俺と姉さんが農業をやっていられるのもこの男のおかげだ。
「どうした? そういう遠慮、アンタらしくもないじゃないか」
ドクターと会話しながら、ハンティング用の拳銃を弄る。
この”拳銃”という機械魔法用のデバイスを造り出したのが、この男。
そしてその力で、ここら辺の地方領主シルキーテリア家の人間と共に大活躍して土地の一部を賜ったらしい。
一代限りとはいえ、この男は土地持ちの貴族なのだ。
「なぁに、察しておくれよ。今日はお前に悪い知らせを持ってきてしまったのじゃ」
「悪い知らせ……? おいおい、勘弁してくれよ。アンタからの悪い知らせってシャレにならない奴だろ」
溜息を吐きながらも、林の向こう、のそのそと歩いているイノシシに狙いをつける。
木が多く、狙いをつけるのには少し苦労しそうだ。
「……ワシの土地、買われてしもうた。少々物入りでな」
――マジかよ、本当にシャレにならない奴か。
曲がりなりにも土地持ち貴族が、土地を売るか?! 普通!!
「おいおい、賜った土地を売り飛ばすなんて随分と不敬な奴だな。次の地主は誰だ……?」
「トリシャじゃ、あやつめポンと相場の倍を出しおった」
「……だから売ったっていうのか!?」
「うむ、市場原理という奴じゃな」
……トリシャ、トリシャ・ブランテッド。アカデミアの教授、土地を持つ身分としては申し分ない。
恐らく権利関係的には、ドクターが土地を持ったままで俺とドクターの間にトリシャが入るみたいな形になっているんだろうが、それはあくまで書類上の話だ。
実態としては俺とトリシャに切っても切れない上下関係が生じることになる。あの土地を巡って。
「クソ、覚えてろよ、ドクター」
呼吸を合わせ、イノシシの目玉を撃ち抜く。
内臓に傷をつけない場所を狙うことで、肉に臭みがつかないのだ。
「――相変わらず一流のスナイピングだねぇ、ジェフリー」
ハンティングを成功させた俺、それに向けられる賞賛の声。
彼女の声色だけで分かった。それが誰なのか。そしてこれは、今の俺にとっては最も耳障りな女の声だ。
「トリシャ・ブランテッド教授サマかい、女が森の奥まで来るもんじゃないぜ?」
「ハン、そういう女らしい生き方ができるほど平和な人生は送ってないんでね」
喋りながら適当に放ったトリシャの弾丸は、その弾道をうねらせ、2羽の鳥を落とす。
……流石はドクの一番弟子といったところか。
射撃の腕前も、デバイスの開発能力も、確かに一流のそれだ。彼女の曲がる弾丸を最初に見せられた時には感嘆したのを覚えている。
「……最初からこのつもりかよ、ドク」
「まぁ、そういうことじゃな」
今日のハンティングは、そもそもが俺とトリシャを引き合わせるためだけの場所だったということだ。
悪い知らせを伝えるどころか、そのままダイレクトにこの悪い知らせの根源を引き合わせにかかってくるとは。恐れ入る。
「アンタ、私の名前を出すと警戒するだろ? だから、ドクに頼んだのさ。逃げ場のないようにね」
悪戯っぽく笑うトリシャ……相変わらず歳の分からない女だ。20代のようでいて、40代のようでもある。
相当な若作りか、相当な老け顔なのか。
どちらにせよ、黙っていれば美しいのだから少しはこの”攻撃性”を収めてくれればいいのに。
「さて、とりあえず私らの成果を取りに行こうか?」
「へいへい、分かりましたよ、地主様」
鳥を回収しながらトリシャがそう笑う。長い黒髪が揺れている。
こちらもまたイノシシを回収し、確実にトドメを刺す。
「で? なんだって相場の倍も出して土地なんて買ったんだ? トリシャさんよ」
「フン、聞きたいかい?」
「そりゃあ、アンタの面みてりゃ分かるけどな。こう会いに来るって事は、狙いは俺なんだろ?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべるトリシャ。
……クソ、ぶっ殺してやりたいぜ。
「ふふん、ジェフリー・サーヴォ、アンタには私の弟子になってもらう。アカデミアに来てもらうよ」
「――断ったら、どうする?」
「アンタらから土地を取り上げる。行く当ては無いはずだよ」
……当てなんてあったら土地借り農奴なんてやってない。
「だが、俺がアカデミアに行けば姉さんはどうなる?」
「なぁに私お手製の農作業機械をくれてやるさ。アンタ1人よりもよほど役に立つ。もしくはアカデミアにご招待しようか」
姉さんが学問の府、それも都会の人口密集地へ、か。
……ないな、一応聞いてみてもいいが、姉さんは俺以上に機械に興味がない。
それに姉さんは人混みが苦手なんだ。病的なほどに。
「一応聞いてはみるが、前者で頼むことになるだろうな」
「ああ、シェリーの嬢ちゃんには向いてない環境だからね」
「……俺だって向いてないぞ」
何か、何か手はないのか……この女狐から逃れる手立ては。
「いいや、アンタには向いてるさ。この私が保証する。
アンタは自分の”本質”を見誤ってる。姉のことを愛しすぎだ」
下らない話だ。俺の本質とやらが、姉さんへの愛で曇っているなんて。
この胸に燃える姉さんへの愛だけが、幼くして全てを奪われた、俺の本質なのだから。
俺は、母さんのように殺された父さんの復讐に固執したりしない。サーヴォ家の栄光なんてものにも、興味はない。
「ッ……生活費、学費は?」
「貸してやるよ。卒業してそれを返し、土地を買い戻せばアンタは自由の身さ。土地を売らないなんて真似はしない」
……チッ、行きたくもない大学のために借金か、ふざけやがって。
「……俺は今すぐ土地代を稼ぎたいんだがな」
「悪いね、その猶予はくれてやらん。土地はまぁ、人質みたいなものさ。アンタに断わる権利はない」
「権利? んなもんは勝ち取るさ、お前をここで撃ち殺してでもな――」
銃口を向けて、引き金を引く。
「……ヒュー、肝が冷えたよ」
「覚えておけよ、いつかこうしてやる」
遠くの方で跳ねていたウサギを殺した。
「できるもんならやってみな」
「……そうだな、姉さんと2人きりの逃避行も悪くはない」
銃口を喉元に突きつける。トリシャの白い、喉元に。
「やめときな、腹に穴は開けられたくないだろう?」
腹部に銃口が突きつけられる。恐らく俺が引き金を引けば、トリシャも引く。
完全な拮抗状態という奴だ。……やれやれ、やはり一筋縄では、いかないようだな。
「……ハァ、アンタどうして俺にこだわる?」
銃をしまう。合わせてトリシャも同じように降ろす。
……ドクの奴はただ俺たちを見ていた。
「ドクター最後の弟子、それも7歳で完璧に銃を弄れるようになった天才をこんな森の中でくすぶらせておくのは、スカーレット王国にとっての損失だからさ」
「……気に入らねえな、俺の人生は俺が決める」
「その自分で決めた結果が、こんなところのしがない農民かい? それが損失だって言ってるのさ、ジェフリー・サーヴォ」
チッ、知った事か。人生を捧げるほどに価値があるのは姉さんだけだ。
本当に”王国”が俺に何かを望んでいたのなら、父を殺し、家を没落させ、母をあんなつまらない病で殺すものか。
俺たちは、太陽神に見捨てられているんだ……なのに、いまさら俺に何を望むというんだ。
「ハッ、生憎とアマテイトの光はこんな田舎には届かなくてね。だから俺は”王国”のためとかそんなのは知ったことじゃないんだ」
「そうかい、だから届くところまで連れていくって言ってるのさ。……ひとつだけ言っておく、あの学術都市は、どこまでもアンタ向けだよ」
何をバカバカしい、そう思った。
だが、俺には何ひとつとして打てる手など存在せず、アカデミアの学生となる羽目になってしまったのだ。
結局のところ、どこまで行っても農奴は農奴。土地を押さえられてしまっては、何もできなかった。
「頑張ってね、ジェフリー」
「……ああ、元気でな。姉さん」
そんなやり取りをして、俺は人生で初めて姉さんと別れた。
……許さない、何がなんでも取り戻す。
もう一度、姉さんと農作業をするだけの人生に戻るんだ、何が、なんでも。




