第46話
「……フン、お前程度の”魔術”が、効くと思うか? この私に、このヘイズ・グラントに」
ひざまづいていたフラウの身体が、ガクンと動いて、こちらの足下を掬ってくる。
こちらが持っていた一縷の望み、支配の魔法によるヘイズの追い出しは失敗した。
――もはや、打てる手立ては、存在しない。
『喋るなよ、ヘイズ――ッ!』
「無駄だ、ゴットハルト君。君も、私の傀儡にしてやろう。
あいつらが、ここにたどり着く前にな――」
ッ、なるほど、そう来るか。
俺を、フラウと同じように、支配するか――ッ!
「出来ると思うか? お前なんぞに」
「出来ないとでも、思っているのかね――?」
襲ってくる。フラウの身体で、他の誰でもない彼女の身体で。
ッ……正否はともかくとして、脳裏に過ぎる。
二度と彼女の身体が動かなくなるような”無力化”の方法が。
「チッ、ふざけやがって……!」
一瞬でも、俺に”フラウ姉を殺す”なんてことを考えさせやがって。
……奥歯が軋むのが分かる。強烈な怒りの中で、冷静に、あくまで冷静に鎖を引き抜く。
まず狙うのは”足”だ。彼女の動きを、止める。
「フン、君の手の内は、知っているよ!」
こちらの鎖が、フラウの右足に触れた瞬間に、腐食する。
前に戦ったとおりだ。ヘイズは、腐食の魔法を使ってくる。
知っている。そんなことは、知っているんだ。
「それはこちらの台詞だな、ヘイズ――」
右足への鎖は陽動。
本命は既に、フラウの身体の周囲を完全に、囲んでいる。
「ハッ、何度やろうが結果は同じだ」
自らを縛り付けた鎖に対し、先ほどと同じような術式を発動するヘイズ。
その術式の発動には、一切の動作がない。それだけでも、一流を越えたところにいることは分かる。
だが、所詮は”タネの分かった手品”に過ぎない。
「そいつは、どうかな――?」
フラウの身体にキツく食い込んだ鎖は、ヘイズの腐食を持ってしても、崩れることはない。
そうだ、用意していた。腐食に対抗できるような鎖を、教会によって加護の施された”聖鎖”を。
「ほう、教会系の加護か。厄介なものを、用意したようだな」
ニヤリと笑うフラウの表情に、ゾッとする。
彼女が一度も見せたことのない、嫌な表情をさせられていることに、腑が煮えくり返りそうになる。
「だがね、好都合なんだよ、ゴットハルト君。君に私の”特性”を教えてやる」
次の瞬間、全身に強烈な痛みが走る。
身体と頭が分断されたような感触が走り、身体が、ガクンと地面に落ちる。
な、なんだ、これは……!!
「ふふ、君自身には見えなかったかな?
死の女神の元へと旅立つ前に、教えてやろう。”雷”だよ、それが私の”特性”なんだ」
ッ、乗っ取りじゃないのか……! クソ、聞いていないぞ!
「さぁ、姉弟そろって私の傀儡にしてやろう。楽になるぞ」
腰から一振りのナイフを引き抜くフラウ。
なるほど、今、こうやって倒れているだけでは、俺の身体に傷を付けたことにならない。
だが、こんな指先ひとつ動かせないような状況で、何を……!!
「終わりだ、ゴットハルト君――ッ、いや、まだ、終わりじゃないわ」
「ッ、ふ、らう……!?」
一瞬、フラウの動きが止まる。
そして、あの日、あの夜に見た表情のフラウが、そこにいた――
「……終わるのは、あなたよ。ヘイズ、グラント!」
「ッ――!?」
ナイフを握る手を返し、自らの胸に向けて、振り下ろす。
その動きには、何の迷いもない。一瞬、すべてが一瞬。
だが、分かっていた。
フラウが彼女自身の表情を、声を、身体を取り戻したのならば、やることは、これしかない。
「やめろ――ッ!!」
だから、用意できた。
言うことを聞かなかった自分の身体を取り戻した瞬間から、俺は用意していた。
フラウの身体を縛るための”聖鎖”を。
「ッ――ハルト……!! 何のつもり!?」
「言っただろう! 俺は、貴女を、救いに来たんだ! 勘違いするな、フラウ!」
「フン、礼を言おうじゃないか。ゴットハルト君、だが、これで、終わりだ――」
フラウの身体を乗っ取り直したヘイズ、ならば次に打ってくる手は分かる。
だから、こちらの手にある聖鎖を捨てる。だが、これはあくまで急場だからでしかない。
次の手は、用意している。
「ハッ、お前のやり口なんて、分かっているんだよ、ヘイズ!」
聖鎖を走る雷。だが、その先に俺は居ない。
既に、こちらは”聖鎖”を捨てている。
だから、こちらの放った聖鎖にはもう、フラウを縛っておくだけの力はない。
「ほう? ならば、どうする? これでは、君はもう、私を縛れないぞ?」
勝ち誇った表情を見せるヘイズ。
だが、そんなものにかまっている余裕はない。
こちらは最初から”次の一手”の準備だけに全ての意識を、集中させているのだから。
『――我が言葉を聞け、命なきものよ。我が手足となれ、命あるもののように』
極限にまで絞った声で、術式発動のための詠唱を済ませる。
本来、こちらは”翼竜形態のドラガオン”と戦うための準備を済ませていた。
幸いにも、それはクリスと慈悲王が倒してくれた。だから、こちらにはあるのだ。腐食の力を持つであろうドラガオンにさえ、対抗できるほどの力が。
それだけの”聖鎖”を、こちらは最初から、用意している――ッ!
『捕らえよ、そして、縛り付けよ。永久に、そう、永久に――ッ!』




