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第45話

 ――その日、少年が見つめたものは”英雄の誕生”だった。

 天空より襲い来る翼竜、それに立ちはだかるように現れた黄金の騎士。

 その背中に乗る少女がベティ、いや、慈悲王・ベアトリクスだと見れば、あの騎士の正体は分かった。


(……クリスティーナ、ウィングフィールド)


 今朝、慈悲王ベアトリクスとしての記憶を取り戻したベティが訪ねてきた。

 その少し後のことだ。黒苺の停留所から、グリューネバルトの屋敷へと移動しようとしたとき、不意の来客があった。


(お前は、本当に、大した女だよ……)


 不意の来客、それが、クリスだった。

 ベアトリクスが帰したと断言していた、俺の後輩だった。

 ――その紅玉のような瞳は、濁り、意識は薄弱。それでも、あいつは俺に掴みかかって、言ってみせた。


『――解いてくれ、ボクに掛けられた、この魔法……ッ!』


 瞬きの間に、2つの相反する思考が駆けめぐった。

 片や、このまま彼女をアカデミアへと帰らせてあげよう。それが彼女の”安全”のためだ。

 片や、このまま彼女に掛けられた支配を解いて、ベティを守らせよう。それが彼女の”意思”なのだから。


『……頼む、ゴットハルト、グリューネバルト――ッ!』


 けれど、俺は答えを出せなかった。

 ただ、目の前に立つ少女に気圧されて、言われるがままに告げたのだ。

 ”この言葉をもって、すべての戒めから自由となる”なんて言葉で”支配”を、上書きしたのだ。


『――ありがとう、先輩。それで、ベアトは、どこに行った? 知っているんでしょう?』


 邪竜の荒城へと向かったのだと教えると、クリスはすぐに駆けだしていた。

 何かを言う暇はなかったし、何も言えないと思った。

 あれほどまでに強烈な意思を持つ少女に対して、何かを意見することなど、なかった。


(そして、これか――)


 空中に用意された”黄金の道”と、それを駆けながら翼竜と戦う騎士。

 その背中には、慈悲王ベアトリクス。

 彼女らを見つめていると、不思議と実感できた。負けることはない。彼女らが、負けることは、ないのだと。


「ッ……!? フラウは――?」


 ――彼女らは負けはしない。

 そう、確信するまでの間、ごく僅かな時間。それでも俺は、目を離してしまっていた。

 常に、フラウ姉さんへと向けておくべき意識を、外していたんだ。


(慌てるな……ヘイズは、窓の向こうにいるんだ。

 なら、フラウが移動した理由は――)


 ――翼竜が現れてから、領軍による避難誘導は始まっている。

 ただ、それでも、窓の向こうを見ている人々もいる。目の前の光景から目を離せなくなってしまった人々が。

 今、ここに残っているのはそういう奴らだ。だが、フラウがこちら側にいるはずはない。

 フラウ自身がこの光景に見とれたとしても、彼女は警備兵によって逃がされる。その道筋は、恐らくひとつだろう。


(まだだ、まだ、ヘイズは、真後ろで、戦っているんだ……)


 背後で、強烈な音が響く限り、フラウはまだフラウのはずなんだ。

 なら、俺がやるべきことは、ひとつだろう。


(――待ってろ、フラウ。必ず、助けてみせる……ッ!)


 屋敷を駆け抜け、袋小路となっている中庭へと飛び出す。

 ここは、表向きは行き場のない場所。だから、屋敷内の一般人をここへと逃がすことはない。

 だが、実際には、違う。用意されているのだ。外へと繋がる地下の道が。

 要人だけを確実に逃がすための隠し通路。いるはずだ、その先に、フラウが。


「……遅、かったわね? ハルト――もう、手遅れだぞ。ゴットハルト君」


 ……フラウの周囲には、彼女の親衛隊が、倒れていた。

 ご丁寧に、彼ら全員に傷が付けられている。

 これで次に、彼らが目覚めるときにはヘイズの”傀儡”というわけか。


 ――天空に響いていた音は、止んでいた。

 屋敷を抜けることに、時間を、かけすぎたか。

 支配の魔法を使ってでも、客人どもを押し退けてくるべき、だったらしい。


「せっかくの”本来の身体”も、やられたようだな? ヘイズ・グラント」

「おかげさまでな。だから、今からこの小娘が、私の肉体だ」


 そう言いながら無造作にフラウの乳房を、フラウの右手で無造作に握ってみせる。


「ふふ、やはり悪くない身体だな。君もそう思うだろう?」


 ……怒るな、ゴットハルト。見え透いた挑発だ。

 こちらを激高させて、無駄な一手を打たせるつもりなんだ……ッ!


「ふふ、なぁ、ゴットハルト君。

 君が”ヘイズを倒した”ということにしてくれないか?

 あのクリスとベアトに今、襲われては厄介なんでね」


 フラウの瞳で、首を傾げながら、こちらに近づいてくるヘイズ。

 なるほど、これは”悪魔”だな……。


「お前の言うことなんて、聞く義理があると思うか?」

「――あるね。君は、この身体を死なせたくないはずだ。

 それに、君が言うことを聞いてくれるのなら”好き”に、させてやるぞ?」


 至近まで近づいてくるフラウ。

 その右手が、俺の右手を握り、フラウの胸元へと押しつける。

 どうしようもない柔らかさ。これを、くれてやるというわけか。ヘイズ・グラントは。


『――ひざまずけ』


 思わず”支配”の魔法を発動させていた。

 怒りという単純な感情は、俺の生まれ持った魔術式を反射で発動させたのだ。

 そして、それは一瞬ばかり通り、フラウの身体はひざまずいていた。

 だから俺は、重ねた。重ねて支配の魔術を、発動した。


『フラウから”出て”行け、ヘイズ・グラント……ッ!』


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