第88話
「――アカデミアに行ったら、まずは月光という酒場に行け」
旅立ちが近づいてきた、とある夜。僕はマルティンと最後の酒を交わしていた。
たぶんもう、こうやってゆっくりと時間を取ることはできないだろう。
そう伝えた上での最後の機会という訳だ。
「ひょっとして、ここと同じような場所って訳かい?」
「ああ、無口なマスターがいる。あいつにマルティンに教えられたといえば色々と世話してくれるはずだ」
「……サーディールだよね?」
こちらの質問に頷くマルティン。
「いや、1人だけヴィアネロって名前を知ってる奴がいる」
「意外だね、旧知の仲なのかい?」
「そういうことだ。ここに属する前の知り合い、幼なじみって奴さ」
闇夜の盾よりも前の友人ということか。
「……どういう人なの?」
「端的に言うと没落貴族って奴だな」
そこはマルティンとマリアンナと同じという訳だ。
詳しいことは知らないけれど”10年前の政変”とやらがあったとは聞いている。
そろそろ11年前の政変になるみたいなことも言っていたか。
「同じ境遇って訳なんだね」
「ああ、まぁ、俺よりは少しマシって言ったところかな……そういえば、お前の仲間に機械魔法使いがいたよな?」
マルティンの確認に頷く。きっとクラリーチェのことを指しているのだろう。
彼女がアイザックたちに協力して領軍の連携能力を高めたことは、かなり噂になっている。
それに勲章をもらった時には同席していたのだし、知っていてもおかしくはない。僕自身はあまり話したことはないけれど。
「いるけど、ひょっとしてその人も?」
「ああ。機械魔法の天才、アカデミアの教授にも気に入られている本物だ」
「……クラリーチェと気が合いそうだね。でも、そんな人が闇夜の盾に属しているんだ?」
とてもじゃないがこんな怪しげな業界に籍を置いている意味もないと思うけど。
「色々と事情があるらしくてな。シャープシューターズって2人組の傭兵をやっているぜ。
あとはタンミレフトの惨劇の首謀者を殺した英雄でもある」
「……タンミレフトの惨劇?」
聞いたことのない話だ。
けれど、今までの話を聞く限り、どうも僕らに勲章が与えられたのと同じかそれ以上の実績のように感じる。
「タンミレフト領の主都が、死霊呪術で死人の街にされた事件があった。
まぁ、今回の事件で吸血鬼どもが傀儡を増やし尽くして生き残りが居なくなったような状況だな」
死霊呪術……ベインカーテンの技術というわけか。
やはり、この世界における脅威という訳だ。奴らは。
「死人だらけになった首都に突入し、その首謀者を殺した英雄の1人。
それが俺の幼なじみにして闇夜の盾に身を置く、機械魔法の天才ジェフリー・サーヴォだ。
もし会うことが会えば、俺の名前を伝えて構わない。あいつによろしくな」
アカデミアに籍を置く機械魔法の天才というのなら、まず間違いなくクラリーチェは会うことになるだろう。
そのジェフリー・サーヴォという男には。
「闇夜の盾として会うことがあれば、ね」
「まぁ、月光に行ってれば会うことはあるだろうよ。あと女みたいな美形だから見れば一発で分かる」
マルティンの言葉に頷く。しかし、凄い知り合いが居るものだ。
タンミレフトの英雄か……少し緊張しちゃうな。
「……分かった。会うことがあれば、挨拶しておく。
それとマルティン。マリアンナのことについてなんだけど」
「ああ、俺が知る限りの手掛かりを教えよう。そもそも俺は春までアカデミアにいた」
――なるほど、それでアカデミアのことに詳しかったという訳か。
「アカデミアにいたこと自体は、別にマリアンナの手掛かりがあったからって訳じゃない。
単純に闇夜の盾の人間としての仕事の都合だ。だが、バウムガルデンに来たのは違う」
「……情報を得たから来たって言ってたよね」
こちらの問いに頷くマルティン。
「島の方から、マリアンナと名乗る放浪の魔術師がここに訪れていたって。
勲章を貰った時にアイザックに話を聞いたが、確かにそういう女と会ったと言っていた。
けれど、俺が来た時にはもう既に姿を消していた。以後の消息は一切が不明だ」
なるほど……マルティンが調べて不明ということは、本当に分からないんだろうな。
「アイザックから話を聞いて、本人だと思った? 君は」
「……分からん。だが、そうだと思いたい」
「同じ場所から出発した僕らがここに辿り着いたんだ。あり得ない話じゃない」
でも、そうだとしたらマリアは今、どこにいる?
お兄さんに会うためにここに来たんじゃないのか? その兄さんは今、ここにいるというのに。
「……しかし、消息が分からないってのが不気味だね。ここまで来ていたというのに」
「ああ、魔術師なんてのはいるだけで目立つもんだ。普通なら何も出てこないってことのほうが少ないんだが」
「意図的に隠れているって言ったところかな。少なくとも魔術師であることを伏せ始めた」
こちらの確認に頷くマルティン。
……マリアの目的は、少なくともお兄さんを探すことのはず。
なら身を隠す必要なんてないだろうに。いったい何があってそうなったんだ……?
「まぁ、ここまでが俺の知る限りだ。意図的に隠れた相手を探すのには手間がかかる。相当に困難な道になるだろう」
「アカデミアは君が調べ尽くしていそうだしね」
「……そうでもないさ、あそこは出入りが激しいし、人が多いからな」
そういうものか。でも望みは薄いように思えてしまう。
「ただな、ベル。お前までマリアのことに縛られて生きていく必要はないんじゃないのか?」
「……当てのない捜索よりも、自分の道を生きろってことかい。マルティン」
「そういうことになる。お前には俺たちみたいな過去はない。よっぽど真っ当に生きていくことができるはずだ」
確かに王国に追われたことはない。
でも、冬の島に生まれた僕らはこのスカーレット王国では決して真っ当な部類ではない。
「そうかもしれない。でも、僕はもう一度マリアに会わないと先に進めないんだ。
もしかしたら、彼女は僕に愛想をつかしているかもしれない。あの時、一緒に行けなかった僕のことを軽蔑しているかもしれない。
でも、それならそれで、そうなのだと確かめなければいけないと思っている」
マリアの兄さんに向かって僕は何を話しているんだろうとも思う。
けれど、これが僕の包み隠さぬ気持ちだった。
「難儀な性格だな。マリアが惚れたのもよく分かる気がする。
――もし、俺がマリアについて情報を得たらお前にも伝えよう。かなり難しい話にはなると思うが」
「ああ、僕も同じだ。もし君がバウムガルデンを離れることになったのならその時は教えて欲しい」
こちらの言葉に頷くマルティン。
「……しかし、アカデミアか。巡り合わせってのは不思議なもんだ。
このバウムガルデンでお前に会えてよかったよ、ベルザリオ・ドラーツィオ」




