第84話
――季節は移り変わり、秋が深まってきた。
木々の葉は紅く染まって、吸血皇帝の仕掛けたあの戦いも遠くに感じられる。
過ぎてしまえば、あの戦いも、ジェーニャとの日々も、遠い過去だ。
「へぇ、似合っているじゃないか。その燕尾服」
凛々しい声が聞こえてくる。
こうして直接に会うのは少し久しぶりになってしまったが、忘れるはずもない。
ゾルダンとの戦いにおいても、そしてこれからの俺たちにとっても、欠くことのできない恩を抱くべき相手。
イルザ・オーランド、その人の声だ。
「貴女も、本当に綺麗だ。ドレス姿も似合いますね、イルザさん」
最初に会った時には、漆黒の外套に身を包んでいたし、基本的には彼女が女性らしい服装をしているところを見たことがない。
だからこそなんだろうか。銀色のドレスを身に纏う彼女がやけに美しく見えた。
銀色のドレスに、銀色の長髪、白い手足、それら全てが瞳の紅を際立たせる。本当に美しい大人の女性だと感じる。
「ふふっ、よく言われるよ。普段こういうカッコをするのはオレの趣味じゃないんだが、今日みたいなときにはよく効く」
そう言いながらスカートをつまみクルリと回ってくれるイルザさん。
「なるほど。確かに効果てきめんです」
「――そりゃどうも。しかしこんなに遅くなって悪かったな、ロバート」
イルザさんの言葉に首を横に振ってみせる。
「いえ、あいつのやったことを思えば当然です。今回の祝勝会で一区切り、つけられれば良いのですが」
吸血鬼の血が数え切れないほどに撒かれているのだ。
相当数を回収したとはいえ、完全に安全とは言えないだろう。
しかし、いつまでも恐れていても仕方ない。それでは街はいつまでも元に戻らない。
「いや、それだけじゃない。親父の撒いた血の大部分の回収はとっくの昔に終わってた。
本来ならこの会も、もっと早くにやって事態の終息を宣言するべきだったんだが」
「何か事情でも?」
こちらの問いに頷くイルザさん。
「簡単な話だ。今回の戦いで武勲を立てた奴が多すぎてな。敵は吸血鬼だ、それを倒した連中には勲章と報酬をくれてやらなきゃいかん。
勲章はともかく、報酬を用意するのに少し時間がな。お前らのアカデミア進学ももう少し先になってしまうだろう」
「いえ、それは大丈夫です。みんな、まだここでやりたいことはありますから」
……ひょっとして俺たちへのアカデミア進学みたいな特殊な形の報酬を、勲章を贈る相手全員にそれぞれ用意しているんだろうか。
そう考えれば、時間が掛かるのも頷ける。
いや、そうでなくとも、金銭で用意するだけでもかなりの負担なのは間違いない。
「――しかし、このドレスってのは慣れないねぇ」
オーランドの館、着替え終えたバネッサが出てくる。
柑橘類を思わせるような明るい色合いのドレスが、なかなか彼女らしからぬ装いで美しい。
「……こんな武器のひとつも仕込めないような服装に何の意味があるんですか?」
「ったく、この田舎娘どもが。仕込めないようにしてんだよ。ま、本気で仕込みたいって言うのならそれなりの用意もできるけどな」
バネッサに続き、桃色のドレスで出てきたクラリーチェが悪態をついている。
ドレス姿だと、若干の猫背が目立っていて、イルザさんがスッとその背中に触れた。
「――胸を張りな、クラリーチェ。この祝勝会で一番目立つのはアンタたちスノードロップだ。
軍人でもない旅する5人組に勲章が与えられるんだからね。そしてその中でも目立つのがアンタとバネッサ。
どうせ燕尾服の男なんてごまんといるんだ。アンタらの方が断然目立つ。花形って訳さ」
イルザさんの言葉に頷くクラリーチェとバネッサ。
しかし、こいつらも服装が変われば印象が変わるものだ。
綺麗な奴らだとは思っていたが、ここまでとは。
「いやぁ、やっぱり似合うね。2人とも――」
「……流石は俺のお姫様、映えるなぁ」
白い燕尾服に身を包むベルの兄貴と、黒い燕尾服を来たアドリアーノ。
いつも通りの陽気さがにじみ出ているアドリアーノはともかく、兄貴の方は本当に白い燕尾服が似合っている。
まるで本当にどこかの貴族様みたいだ。上品な笑みがよく似合う。
「……よう、ベルザリオ。ここら辺で待っていればいいのか?」
「やぁ、マルティン。大丈夫だよ、イルザさんが案内してくれるから」
マルティンと呼ばれた彼は、イルザの名前を聞いて背筋を張る。
そして、彼女に挨拶をしていた。やはり間違いない、彼だ。
彼がベルの兄貴と一緒にアダルベルトと戦うため、領軍に殴り込んだ男だ。
普段は酒場で働いているらしい。
「……兄貴、マルティンって名前」
「うん、てっきり僕もマリアの兄さんかと最初は思ったんだけどね」
手掛かりが掴めそうと思っていたというのはそういうことか。
彼の名前は、マルティン・サーディールだ。普通に考えればマリア姐さんの兄であるはずはない。
しかし、マリア姐が王国に追われて冬の島に来たことから考えれば、お兄さんが生きていた場合、偽名を使っている可能性はある。
だから彼こそがマルティン・ヴィアネロだと思っていた。そういうことだろう。
「――みんな揃ってるね? それじゃあ案内しよう」
俺たちのところにアイザックが来て、バウムガルデンの屋敷へと案内してくれる。
このオーランドの館で着替えさせてもらっていたのは、俺たちやマルティンのような全くの一般人だけ。
正装を貸してくれたのだ。オーランドの2人が。
「しっかし、こんな大きなことになるとはねえ……」
「ふふ、あいつと刃を交えたんだ。分かってただろう? バネッサ」
まとまった人数での移動の中、バネッサが俺に話しかけてくる。
「そりゃそこから考えればね。でも、島を出た時には思っていなかったろ?」
「……ああ、あの日からすれば、随分と大きな成果だと思う。お前のおかげだよ」
「ふん、皇帝を倒したのはアンタじゃないか。アンタの金星さ、ロバート」
それこそ今、バネッサが俺に言った言葉と同じだ。
ジェーニャを倒したあの時から考えれば、俺の成果かもしれない。だが――
「――お前が居なかったら、お前が俺の誘いに乗ってくれなかったら、俺はこの旅を始められなかったと思うんだ。バネッサ」
仰々しい服装をしているせいだろうか。少し照れてしまう。
まったくドレスがよく似合っているものだ。
あの漁師の娘としてのバネッサとはまるで別人のようにさえ思える。
「ふふ、そりゃどうも。私もアンタのおかげで良い景色を見られているよ」
バネッサとそんな会話を交わし、バウムガルデンの屋敷に入る。
そうしていくつかの説明を受けて、勲章の授与式は始まった。
先に領軍で吸血鬼を倒した者たちから始まり、俺たちのような一般人は後らしい。
式典の主役だからという説明があった。特に俺たちはそうなのだと。皇帝を倒した成果は、イルザはもちろんだが、それ以上に俺とスノードロップに贈られるとの説明があった。
(……あれがリベルト、兄貴が守ろうとした友人か)
領軍の中でも部隊単位じゃなく2人だけ特別に勲章を贈られている人物がいた。
アダルベルト・ハックマンの仕掛けた吸血寄生虫から逃れ、戦い抜いた2人。
確かに特別な勲章に値するだろう。領軍本部が制圧されていたら、勝敗は変わっていたかもしれないのだから。
「――クラーク・ハイド・バウムガルデン。よくぞ単身でストークスを討伐してみせた」
バウムガルデン家の当代領主に跪くクラーク殿下。
その立ち振る舞いを見ていると、彼が貴族なのだと実感させられる。
それまでの領軍軍人たちの振る舞いとは明らかに違うのが分かるんだ。
「――陛下。私には、その勲章のみで充分でございます。
私への報酬は、全てを、此度の戦いによって傷ついた民を癒すためにお使いください」
陛下から勲章を受け取ったクラーク殿下が、そう告げてその右手を来賓の民間人へと向ける。
感嘆の声が聞こえてくるのが分かる。
……確かに思い切ったことをするものだ。
バウムガルデン家同士のやり取りなんだから、見世物と言われればそれまでなのだろうが、それでも本当に気前がいい。
(……ロバート、順番だよ)
ドロップの声が静かに響く。
ちょうどマルティン・サーディールへの授与が終わったところだ。
俺たちは5人で並ぶように言われている。スノードロップに対して勲章を与えるのだと。
(……全員がバラバラに動いた結果なんだから面白いよな、本当)
領軍が大規模な討伐作戦を始めるまで、兄貴とアドリアーノは行方不明。
クラリーチェは、アイザックの元にいたから最初からそのつもりだったが、俺とバネッサなんてそもそも戦う気もなかった。
……いや、俺は本当なら守ろうと思っていたんだ。ジェーニャのことを、シェイナさんのことを。
「――君たちがいなければ、吸血皇帝を打ち倒すことはできなかっただろう。
今日の平和は、君たちスノードロップのおかげだ」
俺たち全員の名を読み上げた後、陛下が勲章を与えてくれる。
これで俺たちは、名実ともにバウムガルデン家に認められた集団となる。
――過去に探りを入れられた時に、明確に答えられる実績ができた。その意味は相当に大きい。
特に出身である冬の島についてを秘匿しなければいけない俺たちにとっては。
「――私は、私たちは、必要なことをしたまでです。
明日のため、自分のため、正義のため、自らの想いに従った。その結果でございます」




