第2話
――父さんの都合で、故郷を離れ、アカデミアの学院生になったボク。
そんな見知らぬ土地で迎えた初めての夏休みのことです。退屈な時間を持て余していたボクの部屋に一通の手紙が届いたのは。
「トリシャ教授から……?」
トリシャ・ブランテッド教授。アカデミアにおいて”魔術史学科”と”機械魔法科”の教授職を兼任する若き才女。
詳しいことは知らないけど、どうやら父さんの古い友人らしい。
ボクの入学に関しても、その一切を整えてくれたのは彼女だと聞いている。
「……試験の成績が悪かったから、呼び出し、とかかな」
うーむ、色々と不慮の事故が重なって、転入時期が後ろ倒しになったもんで、転入から1か月もしないうちに期末試験だったものな。
かなり突貫で知識を着けたし、試験のほとんどが論述ばかりだったから、まぁ、正直なところ色々と適当に書いた。
直近に身に着けた知識を、そのまま吐き出しただけで、文章としてはかなりお粗末な出来だっただろう。
「お叱りの呼び出しとかだと、嫌だなぁ……」
そんなことを思いながら、手紙の封を切る。
そこには、几帳面な文字でごく短い言葉が綴られていた。
『――親愛なるクリスティーナ・ウィングフィールドよ。
君を紅茶に誘いたい。この封筒が開かれたとき、私は君のところへ向かうだろう。
もし、まだ寝間着だというのなら、着替えでもしながら待っていてくれたまえ』
開かれたとき、向かう……?
いったいどうやって開いたことなんて分かるんだ?と思いながら、切り開いたばかりの封緘を確認してみる。
てっきりただの蝋だと思っていた、その断面、機械の痕跡が見えた。
「”機械魔法”か……つまり、壊れたら連絡が行くようにできている、と」
そして実際、今のボクは寝間着のままだ。下着姿じゃないとはいえ、さすがにこれで外は歩けない。
かなり薄手だし、これ、少しボクには大きいんだ。とても人様の前には出られないよ。
「……着替えよう」
あのトリシャ教授のことだ。”寝間着のまま”なんて文言に入れているということは、手紙が早朝に配達されてくることはお見通し。
それが予定通りに来たということは、多忙な彼女でも、別の予定が入っているということはあり得ない。
よっぽど重要な急用が入ってこない限り。
{キュルルルル――ッ!}
ズボンを履いて、ブラウスを着ようとしていた時です。
窓の向こうから車輪の回る音と、車体の揺れる音が聞こえてきたのは。
馬車が主流のこの国で、こんな音を響かせる人なんて数えるほどしかいない。そしてそれは、今この時に限っては間違いなく彼女だろう。
「やぁ、少し早すぎたかな? クリスティーナくん」
ガバッとブラウスに首を通して、窓を開く。
2階からでも、教授のサイドカーはかなり目立つ。
「乙女が着替えるには短すぎですよ、トリシャ教授」
「ふん、乙女というのなら、ワンピースでも着るんだね。かわいいし、何よりも”速い”だろう? 首を通すだけだ」
自分は、革製のスラックスにジャケットを羽織るなんていうバリバリのカッコをしておいて何を。
あんなギラギラしたレザー、この国じゃトリシャ教授以外に見たことないよ。
「スカートは、ボクの趣味じゃないんです」
「だろうな――さっさと降りてこい。時間は有限だぞ?」
「はいはい、ちょっと待っててくださいね!」
何か上着でも羽織ろうかと思ったけど、それを選ぶ間、着る時間が惜しい。
もう夏だし、無理して着る必要もないだろう。
だから、ボクは1階へと降りて、そのまま教授のサイドカーに乗り込みました。
「――よく来た。急にすまないね」
「いえ、教授が忙しい人だってことは、知ってますから」
こちらの回答にフッ、と笑みを漏らし、魔法バイクを走らせるトリシャ教授。
若い女教授というだけでも異色。そこに、このサイドカー付きのバイクだ。
よく、ボク以外の学院生も隣に乗せているから、もうアカデミアの風物詩のひとつになっている。
「それで”紅茶”って、どこに行くんです? ボクの行きつけの店、紹介しましょうか?」
まだ開いていないかもしれないですけれど、なんて付け加える。
あの喫茶店のマスターは気まぐれだ。昼まで寝ているなんてこともよくある。
だから、一緒に朝ご飯を食べたりしたこともあるくらいだ。
「――ほほう、もう行きつけの店なんて見つけたのか。
興味はあるが、生憎と今日は、準備を済ませてきてしまっていてね」
言いながら、四角い水灯、よくお酒が入っている”スキットル”をこちらに投げてくるトリシャ教授。
「……あの、これブランデー入りとかじゃないですよね?」
「ハハッ、流石に旧友の娘に酒なんて飲ませないさ。君の地元ではまだ、君は酒を飲んではいけないんだろう?」
ハンドルを切りながら、アカデミアの大通りを駆け抜けていくトリシャ教授。
石やレンガで作られた建物たちをすり抜けていくのは、なかなかに楽しい体験だ。
「まぁ、このスカーレット王国では、普通みたいですけどね」
「うむ、ここでは15歳で成人だ。1人の大人として扱われる。当然、酒もそこで許される」
片手運転でスキットルを傾けながら、トリシャ教授が喋る。
ボクも、スキットルからその中身を口の中に注ぐ。揺れながらだから、唇から零れてしまいそう。
「ほんとに、紅茶なんですね」
「私は嘘はつかないよ。オレンジベリーネクターだ、クリスティーナの口にも合うだろう?」
「……む、何かバカにしてます?」
確かに砂糖も入ってなさそうなのに、かなり甘くて好きな味です。とても。
けど、教授の言い方だと、甘いものが好きな子供舌と、バカにされているみたい。
「いや、まだまだ甘いものが大好きなお子様だなんて思っていないよ? クリスティーナ」
「そういう言い方は、思っているって言うんです。あと、ボクのことはクリスと呼んでください」
こちらの言葉に笑みを浮かべるトリシャ教授。
「いいや、このネクターが好きだからお子様というのなら、私もそうだからな。
本当にバカにしていたわけじゃないんだ。ただ、君の父さんと同じだなと楽しくなった。あいつのこともよくからかわせて貰ったよ」
ククッと笑いながら、サイドカーの速度を上げるトリシャ教授。
頬を撫でる風の圧力が少し強くなる。
「しかし、どうして君はクリスティーナと呼ばれることを嫌う?
あの男にしては、本当に趣味の良い名前じゃないか。君にぴったりの名前だ」
チラリとこちらを見つめる彼女の視線。その瞳に映る、金色の髪と赤い瞳の自分自身。
この容姿のこと、お姫様みたい、なんて言われたこともあったな、なんて思い出す。
「……ボクには、仰々しすぎるんですよ。長いでしょう? クリスティーナって」
「じゃあ、ティーナと呼ぼうか? クリスよりも女の子らしいぞ」
「……待ってください。一度もそんな風に呼ばれたことないんで、反応できませんよ、たぶん」
ボクが”ティーナ”って、なんの冗談だ。生憎とボクは、そんな可愛いタイプの人間じゃない。
「それでは、ティーナ。そろそろ、本題に入ろう」
――アカデミアの外れにある小高い丘の上にサイドカーを止めて、トリシャ教授がボクの手を引いた。
「あの、本題に入る前に、本当にやめてください。ティーナって呼ばれると、むずがゆくなります」
「……ふむ、ダメか。じゃあ、クリスティーナ。今日、君を誘ったのは、単純に紅茶を一緒にしたかったからというのもあるんだが、もうひとつ用事があるんだ」
ティーナ呼びが禁止され、しょんぼりしたトリシャ教授が、その革のジャケットから”ひとつの手紙”を取り出す。
「せっかくの夏休み、少し旅行でもしてみないかい? 私の名代としてね――」