第76話
「仇だと……? デイビッド・ブラックストーン……ッ!!」
――少し離れたところに、その男は立っていた。
あいつも吸血鬼を殺したのだろう。そこから流れた力場を追って、ここに辿り着いたのだ。
そして、死に行くゾルダンの遺体から何かを奪い取った。至近にいた俺にしか気づかないような何かを。
「……おいおい、何を怒っているんだ? ロバート」
近づいた俺に対し、警戒しているデイビッド。
彼の戦闘力の高さはよく知っている。ヴァン・デアトルに対して行っていたナイフと糸での戦法は本当に凄まじかった。
しかし、思えばあれが既におかしいんだ。あんな芸当、ただの人間にできるはずがない。
そして今、ジェーニャの胸に穴を開けたのも同じ技術だろう。……目的にも察しがついた、何を奪ったのかにも。
「怒らないわけがないだろう。お前は今、死に行くものの尊厳を傷つけた。
それも仇討ちが目的なんかじゃない。お前、奪ったな――? ゾルダンの血を」
デイビッドの漆黒の瞳がこちらを見つめている。
「まさか。どうして俺がそんなものを奪わなきゃいけない? それにどうやったって言うんだ? これだけ離れていて」
「……お前、魔術師だろ?」
間髪入れずに、水の刃を放つ。その首元に向けた脅しだ。
実際に切断するつもりなどないが、さぁ、これでどう動く?デイビッド・ブラックストーン……!!
「――ダメだな、ロバート。脅しの腕は零点だ」
そう言いながら、こちらの水の刃を切り取ったかのように、消し飛ばすデイビッド。
「零点の脅しに乗るお前はいったい何なんだ? デイビッドさんよ」
魔術師同士の間合いとしては、既に近すぎる距離。
その中で互いに次の一手を打たない。
下手に先手を取ったら、それを逆手に取られて一気に勝負がつくような、そんな感覚があった。
『へぇ、なんとなくそうかなぁって思ってたけど、居るよね? 出てきなよ』
ふいにドロップが前に出て、そんな言葉を投げかける。
……デイビッドは、ただの魔法使いじゃなく、俺と同じ宝石魔法使いだというわけか。
『――流石は同類、よく分かるもんだな。
なぁ、デイビッド。こいつと戦ってみたいって言ってたよな?
あのクラーケンがやられたって聞いた時からさ』
ドロップの言葉に応えるように現れる漆黒の妖精。
闇系統の妖精を見るのは初めてだ。そこに驚いても良かったのかもしれない。
だが、正直に言ってそれどころじゃなかった。今、こいつの出したクラーケンという単語で、全てが繋がったのだから。
「……おいおい、無駄口を叩くなよ、ディズ」
『ハハッ、悪い悪い♪ コソコソするのに飽きたんだよ、悪いなデイビィ』
――”クラーケンがやられたと聞いた時”とこの妖精は口にした。
つまりは、リーチルの島を襲ったクラーケンを俺たちが倒したということを、こいつらは知っている。
あんな閉鎖された島での出来事を知っているのは、俺たちとデミアンくらいだ。それを知り得る人間なんてこの世に一握りしかいない。
「……お前、ゾルダンに、仲間を皆殺しにされたって」
「それは本当さ。聞いていないか? 吸血皇帝が蘇った経緯を」
デイビッドに言われるまでもなく、その可能性には思い至っていた。
……ああ、全くもって嫌になる。
ジェーニャの正体に気づけなかっただけではなく、まさかこんなところに俺の宿敵が潜んでいたなんて。
この吸血鬼事件の最初から、今の今まで、それに気づかずに過ごしてきたなんて。
「……ベインカーテンの被験者が、ゾルダンの血を飲み、それが発現するよりも先に殺された」
「そういうことだよ、ロバート・クロスフィールド。いいや、クラーケン殺しと呼ぼうか――?」
死竜殺し、吸血鬼殺し、そしてクラーケン殺し、か。
スカーレット王国ではその異名が流行っているらしいな。
だが、俺をクラーケン殺しだと知っているのは、ベインカーテンだけだ。異名にはなり得ない。
「ふざけてるんじゃねえぞ、デイビッド……ッ!!」
「――そうだ、お前の力を見せてみろ。ロバート!!」
風の弾丸を放つ。だが、その全てが切り取られたかのように消えていく。
これがあの黒い妖精の力だと分かる。闇系統の宝石魔法だと。しかし、具体的に何を引き起こしているのかが理解できない。
――宝石魔法の中身を推測するために思考を巡らせている間にも、デイビッドはあのナイフを放ってきていた。俺の背後を狙うように。
「こいつの威力はお前も知っているよな――?」
「ッ……笑ってんじゃねえぞ、クソ野郎が」
風と水の魔力防壁を展開する。攻撃を考える必要はない。
なぜなら、この戦い、俺1人で戦っている訳じゃないんだから。
「頼む、クラリーチェ――」
『……分かりました』
遠距離からの狙撃を前に、デイビッドがその姿を消す。
そして、俺のすぐ隣に現れる。その大きな魔法の発動で理解した。
こいつは、闇の空間を作り出し、その中を移動したんだ。こちらの攻撃を打ち消したのもその力であり、あのナイフも恐らくはその応用。
闇の中に隔離したものがどうなるのかについては分からないが、底の知れない魔法だ。
(――この闇に俺自身が取り込まれたら終わりか、この攻撃は)
そこまで考えが至ったところで、同時に理解する。
「お前、手を抜いているな? デイビッド……ッ!!」
「言うなよ、ロバート。まだお前を殺すわけにはいかないんだ。そんなことはいつでもできた。でも、それじゃ意味がない」
こちらの魔力防壁に容易く穴を開け、その中からナイフを放ってくるデイビッド。
何本かのナイフを撃ち落とすが、1本は俺の身体に届く。咄嗟に防いだ腕に突き刺さった。
そして、毒でも塗られていたのか、身体に力が入らなくなるのが分かる。
「……どうせすぐに助けが来る。だから、その前に聞くぞ、お前はいったいどこから来た?」
倒れかけた俺の身体を抱えながら、デイビッドがナイフを俺の首筋に当ててくる。
「お前も脅しは零点だな。脅す相手に、助けが来るという馬鹿が居るか?」
「……おっと、そりゃそうだな。それで? 教えてくれないのか?」
「教えるわけがねえだろ……!! ドロップ――ッ!!」
ドロップの力で、瞬間的にナイフを凍らせる。飛び散っていた水が残っていたのが役に立った。
だから、デイビッドはとっさにその手を引いた、まさにその時だった。
「――お前、オレの親父から血をくすねようとは、良い度胸だな?」
イルザの青龍刀がデイビッドを襲う。
それをさらりと避けてみせるデイビッドは、身のこなしだけで常人じゃないと分かる。
バネッサと同等か、それ以上に身軽だ。
「吸血皇女様のご登場か――流石に分が悪いな」
「……逃げられると思うなよ?」
「いいや、逃げられる。俺はそれが取り柄なんだよ」
デイビッドの背後に闇が広がる。おそらくはクラリーチェの弾丸を避けたときのものと同じだ。
それが初めてよく見えた。――今まで見てきたような吸血鬼の真紅の影とは違う。
例えようもないが、強いていうのならば、まるで空間が欠落したような、そんな黒が広がっている。
「チッ……!!」
イルザの影がデイビッドを追った。
しかし、闇の向こうへと飛び込んだ彼には届かない。
――逃げ切ったのだ。デイビッドは、まんまと吸血皇帝の血を手に入れて逃げ去った……ッ!!
「ふざけんなよ、おい……ッ!!」
「――そんなに怒る必要はないよ、イルザ」
まるでいつかの日と同じように、彼はいつの間にかそこに立っていた。
賢人アイザックがそこに居た。
「……ザク、無事だったのか」
「ふふっ、一夜漬けの吸血鬼に負けるようなことはないさ。いいや、危なかったかな、少し。流石はバイロンだ」
「まぁ、あいつ、ここ最近じゃ一番強かったもんな。クラークでやれるかどうかだろ?」
イルザの確認に頷くアイザック。
その2人のやり取りを見ているだけで分かる。
彼らが深い関係を持っていることが。記憶を垣間見たからなおさらだ。
「相性の問題になるかな。クラークとバイロンだと」
「それでよ、怒る必要はないってのはどういうことだ? 親父の血を奪われたんだぞ、それも普通のじゃない」
「ああ、見ていたよ。けれど問題ない。彼の持ち逃げした血液は今ごろ発火している頃さ」
”これで彼が焼け死んでなければ良いけれどね”なんて笑うアイザック・オーランド。
「……アンタ、見抜いていたのか? デイビッドのことを」
彼の振る舞いを見ていると、最初に出会った時、ヴァン・デアトルとの戦闘直後から気づいていたようだと思った。
だから俺はアイザックにそう聞いていた。
「完全に見抜いてたわけじゃないけど、なんとなく彼の言う復讐って奴を額面通りに受け取るのは危ういなって。
まぁ、最終的にゾルダンの血を狙う可能性があるくらいは考えていた。それも諸々を通して、濃度が高まったものを直接に。
それでも吸血鬼と戦える実力者だ、この街から追い出すわけにはいかなかった――分かるだろう?」
仮にゾルダンの血を狙う、それも最終計画を果たしたゾルダンの血を狙う人間だとしても、吸血鬼と戦える実力者がこの街にいた方が良い。
それは理屈としてはよく分かる。実際、あいつも1人は吸血鬼を殺してここに辿り着いたのだ。
たったそれだけでも、デイビッドを泳がせた甲斐は充分にあるというものだろう。
「それでさ、結局あいつ、どこの奴だったの? 闇夜の盾? 黄昏の刃? ……違うか、それにしては危うい橋を渡り過ぎだよね」
「ベインカーテン、俺の仇敵です――」




