第74話
「――来たか、イルザ。そして君は逃げても良かったんじゃないか? ロバートくん」
クラークたちを狙った影を相殺するイルザ。
そして、奴もまた、俺たちを見据える。
あの青年としての姿、あれが本来のゾルダン・ノイエンドルフという訳か。
ここからの戦い、まもなくイルザとゾルダンの2人の戦いになるだろう。
「なに、ジェーニャ。お前に引導を、渡してやらなきゃいけない気がしてさ――」
「……そうか。つくづく残念だよ。君なら私の望むものを理解してくれると思ったんだがね。君の願いも叶えられると」
「アンタがこんな惨劇を起こしていなければ、アンタと手を組んでも良かった。俺には600年前の因縁なんて関係ないからな」
あの司書室でゾルダンの元に流れ込んだ血の数を考えれば、ここで生み出された吸血鬼の数が分かる。
吸血鬼の数が分かれば、自ずと犠牲者の数にも想像がつくというものだ。
先ほどまでに見た血の数だけ、ヴァン・デアトルのような犠牲者がいたし、それらは恐らく何人もの人間を手にかけた。
「ふふっ、悪いな、ロバートくん。私はもう既にこういう人間なんだ。他の生き方をしようなんて、思いもしなかったんだよ」
「――分かってるよ、親父。だからアンタは、オレが殺し直す。それが義務だと思っている」
「私のような吸血鬼を葬ることで人間社会に受け入れられた吸血鬼としての振る舞いという訳か、イルザ」
”それだけじゃない。血筋としての責任だよ、オレがアンタの娘だからだ”
彼女がその言葉を紡ぐのに、俺の喉を使っていたのは”血筋として”くらいまでだろうか。
既にイルザ・オーランドは俺の身体を離れ、彼女自身の身体を取り戻している。
両手には青龍刀、キリルの形見を手にゾルダンに狙いを定めていた。
「……始まるか」
俺の隣、見知らぬ男、いいや、クラーク殿下だと思われる男が呟いた。
……彼の声色に、僅かに混じる落胆の意味は理解できる。
あの領域、吸血鬼を超越した吸血鬼の領域には、割って入ることができない。
それどころか俺はつい先ほどまで足手まといだった。
「――クラーク殿下、ですよね?」
「ああ、君がロバート・クロスフィールド。クラリーチェの船長だね。よく、彼らの戦いの中で生き残った」
「助けられただけですよ。あの偉大な英雄イルザ・オーランドに」
彼もまた自らの剣に手をかけている。
いつでも引き抜けるように。それはここに居る他の兵士たちも同じだ。
この戦場を見つめているクラリーチェも、ここに追いつこうとしているベルの兄貴もアドリアーノもバネッサも。
だが、目の前で行われている戦闘は尋常じゃない。2つの影が、2つの霧が、2つの力場がぶつかり合い、混ざり合っている。
あれに足を踏み入れただけで、俺たちの小さな力場は崩壊すると分かってしまう。足がすくむ。
(……ああ、今、彼女は何を思っているのか)
つい先ほどまでは彼女の想いが手に取るようにわかった。
600年前、彼女が抱いていた強い憎しみが。
けれど、今思えばそうだ、今の彼女がどう思っているのかまでは理解できなかったな。
一度殺したはずの男を、一度殺したはずの父親を、もう一度殺さなければいけないということをどう感じているのか。
「……義務、か」
見つめる先、2人の戦いは瞬きをするたびに苛烈なものへと変わっていく。
傍観することしかできない。とてもじゃないが割って入れない。
だが、それでも目を逸らしてはいけない。この戦いの行く末を見届けることが俺の義務だと感じるから。
「ッ――!!」
イルザが劣勢になったように見えた。地面に倒れ込み、ゾルダンの足が彼女を狙った。
しかし、次の瞬間には彼女の身体は霧へと変わり、ゾルダンの背後を取っていた。
彼女の刃が、皇帝の背を狙うが、それもまた身体を霧と変えた彼には届かない。……全くもって常軌を逸した戦いだ。
それを見つめることしばらく、ゾルダンの右腕がイルザの胸に突き立てられるのが見えた。どういう訳か、霧になって逃れることができていない。
――間違いない。あれは奪われている、彼女の力を。
「ドロップ……ッ!!」
『――待ちくたびれたよ、ロバート♪』
俺が動き出すのとほぼ同時、クラーク殿下もその刃を抜いた。
まるで雷が走るように、ありえない速度で距離を詰めるクラーク殿下。
その引き抜かれた刃を塞き止めるように動くゾルダンの影。それを見つめながら、俺はバネッサがくれた大型の水筒の中身をぶちまける。
青い宝石を使い、水に魔力を通して操る。それと同時に緑色の宝石で風を含ませる。これで幅が広がる。俺自身を守る魔力の盾を造り出した。
「行くぞ――!!」
『うん。やっつけてやろう♪』
風を足元に展開させ、加速をかける。
そしてクラーク殿下が切り分けた影を押し開くように、その先に進む。
ベルの兄貴から預かった純白の短剣が役に立った。
「――助けに来たという訳か。ロバートくん」
「ああ、助けられっぱなしは性に合わないからな」
「よくもまぁ、君はそこのクラークと違って近接戦闘を得意とするわけでもなかろうに」
イルザから距離を取ったゾルダン。その間に割って入ることで彼女を庇う。
……あの時、垣間見た彼女の記憶の中の英雄たちと同じように。
「得意不得意じゃないのさ。イルザはやらせないし、お前は倒さなきゃいけない」
「それが君の役割だという訳か。理由はもう聞いた通りだね――君が私に恭順しないのと同じだ」
「ああ、アンタとは長々と話し合ったし、知識人としてのアンタは決して嫌いじゃないが、それでも生かして返すわけにはいかない。お前に勝たせるわけにはいかないんだ」
「人の世を守るためか……よかろう。もはや言葉は尽くしたな、ロバート」




