第70話
――魔力とは何か。力場とは何か。俺は、その意味を理解しつつあった。
イルザ・オーランドという純然な力場と混ざり合うことで、俺という魂は彼女の過去を垣間見た。
そして、彼女の魂と混ざり合うことで、俺という力場が、彼女の力場を操る。具現化する。思った通りに影が伸びて、向かい来る影を押し潰していく。
(……ああ、これが、術式とは違う、もっと単純な魔力の具現化か)
ドロップと出会うまで終ぞ発現させることができなかった俺の魔力。
今でも彼女と宝石なしでは、具現化しない俺の力、俺の魂、俺の命が、イルザ・オーランドの持つ膨大な力と混ざり合うことで、ここまで簡単に具現化している。
思うだけで膨大な力が形となり、振り下ろされるのだ。……この力を極めた先に神と同質の存在に成れるというのだろうか。
あのサータイトは、レベッカの身体を借りなければ話すことさえ出来なかった彼女は、果たしてそのような存在だったか、否か。
『ちょっとちょっとロバート! 意識ある? 呑まれてない? 一体化しちゃってない??』
ゾルダン・ノイエンドルフとの戦い。
力場と力場をぶつけ合うだけの、極めた者同士の極めて単純な戦い。
600年前のあの時よりも余程難しい戦いの中で、ドロップは俺の名前を呼んだ。俺だけの名前を。
「……ドロップ」
『ロバート! ようやく戻ってきた! ロバートがどこにいるのか分からなくて心配だったんだよ?』
「――悪い、ちょっと没頭しすぎたみたいだ」
ドロップと同時、イルザの意識が俺に語り掛けてくれる。
あまりにもゾルダンが強すぎて、完全に戦闘に没入してしまっていたと。
だから俺と彼女の境界線が薄まっていたのだ。
(オレも他人と同化するのは初めてだから、よく分からないところはあるが、おそらくこの髪が赤く染まったら終わりだ)
イルザが俺に教えてくれたように、彼女と同化したことで俺の姿は変わっている。
銀色の髪に真紅の瞳、普段のイルザ・オーランドと同じような髪と瞳の色だ。
それは吸血皇女としての力を解放した時の彼女や、目の前で力を振るうゾルダンとは決定的に違う。
純然たる力場である彼女と、ただの人間である俺が混ざり合うことで、半端な状態になっているんだ。
だから、その一線を越えた時、戻れなくなる。
「――どうした? せっかく同化したというのに、力負けしているんじゃないか?」
ほくそ笑むゾルダンが、影の合間を縫い、距離を詰めてくる。
奴は既に眼前にいて、その拳が叩き込まれていた。
ッ……なんて、速さだ――!
「やはり力場に至ったとはいえ、霧や影ではなく、身体を実体化させているのが一番だな」
自らの拳を見つめ噛み締めるように笑うゾルダン。
力場を纏わせた真紅の拳は、それだけでこちらの青龍刀と同等の力を持っている。
「ハッ、少しは力に慣れてきたみたいだな、親父」
「そういうお前は、同化したとしてもロバートくんのことを気遣っているみたいじゃないか。どうだ? その髪を赤く染めてみろ」
チッ――流石は吸血皇帝。こちらの弱みを完全に洞察し切っている。
本当に頭の回る男だ。
それだけ吸血鬼の力とは何かを探求し続けてきた男だということでもある。
「やかましい。そんなことしなくたって勝てるんだよ。お前ごときには――」
「フン、強がりだな。だが、良い顔をするようになった。この600年もお前にとっては無意味ではなかったように見える」
奴の放つ拳を、青龍刀で受け流す。
そして奴の顔面に向けて力場を走らせるが、同じ力で防がれてしまう。
600年前なら、これで既に決着がついていたというのに。
「そんなに悔しそうな顔をするなよ? イルザ。
今の私はお前と同じ力を持っているんだ、そう簡単に後れを取るはずがない」
押し迫る影を青龍刀で切り流しながら、眼前の敵を見つめる。
そうだ、今のゾルダン・ノイエンドルフはオレと同じ力を持っている。
吸血鬼の王の血を集めたわけじゃないし、あの血液の太陽を造り出したわけではないが、力としては同等だ。
術式を簡略化したところで成果に違いはないということだ。奴も奴で600年前と同じという訳ではない。
「――さぁ、返してもらおうか。600年前、お前が奪っていった私の力を」
俺たちを壁際まで追い詰めたゾルダンが、その爪を向ける。
この身体に爪を立て、そこから流れる血を飲み干すつもりというわけだ。
牙を立てるには、隙が大きすぎる。
それに互いに力場と化した身、爪だろうが何だろうが、傷さえつければ奪い取れる。
「ッ……ドロップ――!!」
『待ってたよ、ロバート!!』
イルザの力場は、ゾルダンの力場とぶつかり合っていて手詰まりだった。
だから、これしかなかった。迫り来る腕を防ぐには、これしか。
リーチルの宝石を触媒に、強烈な風を起こす。その皮膚を切断するように。
「フン、この程度の力でどうにかなるとでも――?」
瞬き程度の時間で傷は再生する。だが、稼いだこの一瞬を無為にするようなことはない。
既にイルザが、ゾルダンの足元を掬った。
「どうにかなるんだよ、オレにはどうにかできるぜ!!」
「――ハッ、勝った気になるな!」
倒れ込んだゾルダンを逃がさないため、馬乗りになり、拳を叩き込む。
だが、その全てが彼の拳で防がれる。他人の身体を使っているというのに、何の齟齬もなく。
つくづく戦闘に長けた男だ。生前からずっと。
「――良いだろう。ここにいる限りは決着がつかないか」
そう笑う彼の表情には、既にジェーニャとして振る舞っていた頃の面影はない。
まるで別人のようだ。
そして、この司書室を覆いつくしていた力場が消えた。
「親父、てめえ……!!」
「そういうことだ、イルザ。ロバートくん1人守るのに手間取るお前に対しては相応しい一手だろう?」
ほくそ笑むゾルダンが、そのままこちらに強烈な力場を流し込んでくる。
自分は太陽の下へと飛び出していきながら――




