第66話
――扉を蹴破って入ってきた銀髪の女。
彼女がぶち破ったはずの扉、その向こうは真紅の影に満たされていて向こう側が見えない。
やはり、魔術的な隔離が施されていたのだ。しかし、それを強行突破してきたのか、この人は。
「……よう親父。地獄の釜はヌルかったか?」
「ふふっ、私があっちの世界の地獄になんていくものか。ただ、死後の記憶がないんだ。
そもそもそんな世界が存在していないのか、記憶を持って蘇ることができないのか」
ゾルダンのことを親父と呼ぶ、銀髪の女。
その赤い瞳を見ていると理解する。
ああ、彼女こそが吸血皇女イルザ・ノイエンドルフにして吸血鬼殺しのイルザ・オーランドなのだと。
「……アンタとあの世について論じるつもりはない。その子を放せ」
「嫌だと言ったら?」
「力づくでも奪い返すだけさ」
俺を拘束する腕に力を入れるゾルダン。
「――またお前に奪われるくらいなら、その前に」
冷酷な声が聞こえる。その声にゾッとしながらも、俺は、大きく体勢を崩した。
彼の拘束から逃れるために。そして同時に――
「ドロップ……ッ!!」
『ふふっ、待ってたよ、この時を♪』
強烈な風を巻き起こし、ゾルダンの身体を吹き飛ばす。
彼がジェーニャと名乗っていた頃を思い出して、少し嫌な気分にさせられる。
まるでジェーニャを突き飛ばしたような感覚を味わっているのが分かる。
「ッ、ロバート……やはり、こうなるか」
「言ってた通りさ。俺が仕掛けるのは、外から仲間が来た時だと」
「へぇ、流石はアドリアーノの船長だな。この状況でゾルダンに恭順せず、殺されもせず」
俺とゾルダンの距離が離れた隙を逃さず、イルザと思われる女性はスッと俺の前に立ってくれる。
「……知っているのか、アドリアーノのことを」
「ああ、それもあって助けに来た。逆にお前はオレのことが分かるか?」
「アイザックが愛する人、イルザ・オーランドだよな?」
こちらの言葉に”上出来”と答えたイルザは、ゾルダンへとその刃を向ける。
「……全く嫌な気分だね、自分の父親が見知らぬ女になっているってのは。いったいどういうカラクリだ?」
「狙ってやったわけじゃない。狙っていたのなら600年もかけない。
ただ、ベインカーテンが保管していた私の血液を飲んだ女がこの身体の持ち主だ。血が発現する前に奴らに殺された」
そこまで聞いただけでイルザは納得したようだ。
死んでいたはずの男がどうして今、復活したのか? その疑問に対する答えは出たと。
「――それにだな、嫌な気分なのはこっちだよ、イルザ。彼は私が目を付けた少年だ。お前のじゃない」
「そりゃオレの男じゃないが、お前のでもないぜ」
「だが、お前にこうやって横取りされるのはあの時と同じだ――」
笑うゾルダンの元に、吸血鬼の力が流れ込んでくる。
誰かがまた1人、吸血鬼を殺したのだ。
その力を受け入れたゾルダンが大きく笑いだす。そして、その髪が真紅に染まっていく。瞳と同じ血の赤に。
「……なるほど、これがあの時、俺が手に入れ損ねた力。お前が600年も有効活用していない力か」
「チッ、最悪だな……お前がその力を本当に手に入れるなんて」
「ふふっ、遠慮しないで掛かって来いよ。後ろが心配で切り込む機会を失っているのか?」
イルザに向けた挑発、直後、彼の影が襲い掛かってくる。
それを両手の刃で器用に退けたイルザは、深い溜め息を吐いた。
「……まさか。お前程度を相手にするくらいで、子供1人守れないような生き方はしてきていない。
ただな、使いたくなかったんだ。オレは、吸血鬼が嫌いだからよ――」
両手の刃を床に突き立てるイルザ・オーランド。
次の瞬間、彼女の髪も真紅に染め上げられた。
……父と娘、共に複数の吸血鬼の血を手に入れた同等の存在。
それが今、向かい合っているのだとよく理解できる。
吸血鬼を超越した吸血鬼が一触即発なのだ。そんな場所で俺にできることなど、何もない。
「ふん、吸血鬼が嫌いか……お前は、なぜ自らの力を受け入れない? なぜ活かそうとしない?
600年も生き続けた来たことは褒めてやるが、それだけじゃないか。
お前は何と戦うこともせず、このつまらない土地を守ることだけをしてきたから生き残れた。
何も求めないのは愚か者の所業だと教えたはずだぞ」
ゾルダンの言葉を聞きながら、それを笑い捨てるイルザ。
「30年ぽっちも自分の都市ひとつ統治できなかったお前がほざくなよ。
お前みたいに、力に任せて敵を作り続ける為政者は必ず国を亡ぼす。
吸血皇帝の名が歴史に残っていないのは、だからなんだよ。気づいただろう?」
イルザの言葉を前に、怒りを露わにするゾルダン。
……そういえば、ジェーニャとして振る舞っていた頃から吸血皇帝の名が歴史に記録されていないことへの怒りは覗かせていたと思う。
随分と不思議な感覚を持っているなくらいに思っていたが、あれは自分自身が歴史に残っていないことを突き付けられていたからこそだった訳だ。
「ッ――私の力を奪っておきながら、吸血鬼を超越しておきながら、その力を使わなかったお前のせいだろう!?
どうして戦わなかった! 魔法皇帝から、竜帝国から、このバウムガルデン領より広くを守ろうとしていれば、より広くを望んでいれば、お前は時代に介入できたはずだ。
それができるだけの力を手に入れておきながら、どうしてこの土地の安定だけを望んだ……?」




