第59話
「――意外だな、君はもう気付いているのかと思っていたよ」
朝、いつものようにアマテイト教会に顔を出した。それはいつもの日常だ。
……いいや、少し違う。バネッサが教えてくれていた。
今日は、対吸血鬼の大掛かりな作戦が行われると。
それを聞いた俺は、いつも通りだけれどここに来たいと思ったんだ。夏の終わりから今の今まで世話になった2人の女性を守るために、少しでも俺の力が役に立つように。
「っ……ジェーニャさん、貴女は」
教会に兵士が集まっているのが分かった。バウムガルデン領軍と、アマテイト教会の軍勢だ。
シェイナさんは戦う人ではないから、居心地が悪そうにしてはいたが、いつも通り俺を迎え入れてくれた。
今日、大掛かりな作戦があるから自分の傍にいて欲しい。それが一番安全だと。
元よりそのつもりだったから、その提案がありがたいと伝えた少し後だ。
司書室にジェーニャさんが来ているかもしれないから確認しておいてほしい。そんなことを頼まれたのは。
「ふふ、その顔を見ると気づいてはいなかったようだね」
何気なく司書室の扉を開いた。
そして、俺を迎えた彼女の表情、声色を聞いて、ようやく理解したのかもしれない。
「……貴女は、教会時代の人間なんじゃないかとは思っていた」
「でもそれ以上のことに、今、気が付いたようだね。ロバート・クロスフィールドくん」
背後、閉じたばかりの扉、これを開こうとしても恐らく開きはしないのだろう。
なんとなくそんな気がした。決して彼女は俺を望んでおびき寄せたわけではないが、ここに入ってきた以上、逃がすつもりはない。
ただの直感だが、間違っている気はしなかったし、それを試す気もなかった。
「……逃げなくて良いのかい?」
「逃がすつもり、ないんだろう?」
初めて出会った時のように、そして今まで何度もそうしてきたように、彼女と向かい合って座る。
きっと、これが最後の機会になる。
この先に訪れることが、どのような結果になろうともこれが最後だ。そう思った。
「――まもなく、この街で領軍と吸血鬼の戦いが始まる。
彼らが失敗すれば、傀儡で街は埋め尽くされるはず。そんな場所に君を放り出したくはない。
今日はよく来てくれた。実は少し期待していたんだよ、君が来てくれることを」
彼女が言っている言葉は真実であり、本意だろう。
思い上がりでなければ、俺が彼女を好いているように、彼女もまた俺のことを好いているはずだ。
同好の士として、俺たちは本当に良い関係を築いていたと思う。
「逆に彼らが成功すれば、2人目の吸血皇女が現れるというわけだ――」
吸血皇女という異名、それはイルザ・オーランドを指す二つ名の一つだ。
特にゾルダンの最終計画、吸血鬼の王たちの力を束ねた力場を横取りした後のイルザのことを指してそう呼ぶ。
あの時に彼女は、吸血鬼の血を引く存在から吸血鬼を超越した存在へと変わったのだ。
だからこそ先の戦いで、瀕死の重傷を負ったアイザック・オーランドを救うことができた。彼を吸血鬼とすることと引き換えに。
「ふふっ、そこは吸血皇帝の復活と言って欲しいな。分かっているんだろう? ロバートくん」
……ジェーニャとだけ名乗る彼女の知識は異常だった。
文献で知ったのではあり得ないほど克明に、教会時代のことを話した。
それも普通の教会時代じゃない、吸血鬼に最も蝕まれていた、文献としてもそう多くは残っていない一定期間について。
だから薄々勘づいてはいた。彼女はきっと、アイザックのように悠久の時を生きる人なんだと。
だけどまさか、こんなことだなんて思っていなかった。
「――貴方こそが、吸血皇帝だということをか? ゾルダン、ノイエンドルフ……ッ!!」
こちらの言葉を聞いて静かな笑みを浮かべるジェーニャ。
そして彼は、本当に寂しそうな顔をした。
「君は随分と嫌っているようだね、皇帝のことを、私のことを。理由を教えてもらっても良いかな?」
……こいつ、自分のやっていることがどれだけのことか分かっていて、こうほざくのか。
「お前が吸血鬼の血をばら撒いたせいで、何人の人間が死んだと思っている……!!」
「君の関係者も亡くなってしまったのかい? それは本当にすまないことをした。拡散した血の制御まではできないんだ」
本気だ。こいつは、本心から俺に謝罪している。その場限りの取り繕いや表面上の謝罪ではない。
ただ俺という個人を気に入っているから、俺という個人の親しい人間が死んでしまったことに詫びを入れている。
逆に気に入っていない相手ならば、何とも思わないのだろう。そういう割り切りをしているとしか思えない。
「いや、俺の関係者は死んではいない……まだな」
「そうか。それは何よりだ。では、護衛に私の傀儡でも回そうか? それくらいのことはしてあげられるよ」
「……アンタは、何とも思わないのか。多くの人々が死ぬことに、何も感じないのか」
こちらの言葉を聞いて少し不思議そうな顔をするジェーニャ。
いいや、違う、こいつはジェーニャじゃない。
なぜ女の姿をしているのかなんて分からないが、こいつはゾルダン・ノイエンドルフ当人だ。
「”多くの人々”が死ぬことには何も感じない。それどころか必要な口減らしの一環だろう」




