第49話
――状況は最悪だった。
バウムガルデン領軍本部へと向かったアイザックとの通信は途絶。
クラーク殿下はアラステア・ストークスとの戦闘に入り、以後の通信はない。戦闘中だろう。
そして極めつけは同時多発的に動き出した吸血鬼たち。
領軍の兵士たちを街の中に点在させていたのが役に立った。
動き出した彼らとの戦闘に入り、状況は通信と探知魔法で知らされてきた。
「……ふむ、やはり対吸血鬼戦闘はキツいか」
入ってくる無線を聞きながら、順次指示を出していくサンプソン将軍を横目に見つめる。
市民の避難用の導線を確保することを優先させつつ、適宜部隊を下がらせていくその手腕は秀逸というほかない。
しかし、アイザックやクラークが釘付けにされていることによる戦力不足を覆すことはできない。
如何に少ない被害で退路を確保するか、それを強いられるだけの戦いだ。
そしてこの状況、最も恐ろしいのは市民を逃がした先が襲われること。
その可能性を考慮しているからこそ、サンプソン将軍も撤退先を分散させている。
『――将軍。燃える鎧が、ブラッドバーンが、1人、そちらに向かっています』
「ブラッドバーン……そうか。通せ」
無線に対してそう答えるサンプソン将軍。
それが閉じると同時、彼は深い溜め息を吐いた。
「……クラリーチェちゃん。その、あれだ、逃げた方が良いかもしれない」
彼の振る舞いを見ていると、彼がブラッドバーンという悪魔を恐れていることが分かる。
しかし、何を恐れることがあるというのか。
……いや、そういえば私はまだザックからブラッドバーンのことを詳しく教えられてはいない。
もしかしたら何か、恐れる理由があるんだろうか。
「何か理由でも?」
「いや、理由というと最初からそうなんだけど、なんだその、悪魔というのはヤバいんだ」
「どうヤバいんですか? ぜひ教えていただけると」
こう言われると興味が湧く。
アイザックが連絡を取れない状況でブラッドバーンが1人だけ向かってきているという状況そのものが気になる。
いったい何が起きて、どういう目的でこちらに来ているのか。
「……そうだね、まず悪魔を操れる人間は現代においてはアイザックしかいない。
少なくとも私は彼以外を知らない。
そして、あれの最大の恐ろしい所は、結局あれが何なのか分からないってことだ。
アイザックは言っていた。一歩間違えればどうなるか分からないのが悪魔という存在だと」
ほう、ザック以外の使い手がいないという話を聞いたのは初めてだ。
サンプソン将軍のような人物でさえ、アイザック以外の使い手を知らないほどに希少な技術。
それが悪魔召喚ということか。
『――よう、表の奴に通してもらったぜ。お前らがサンプソンとクラリーチェだな?』
噂をすれば本人のご登場か。
……本当に凄いな、異様としか形容のできない姿。
関節から炎が零れる鎧、足音的には意外と軽いんだろうか。
『おいおい、そんなに見つめられても照れるぜ。いくら俺の顔が良いからってよ』
「……いえ、その関節の炎が気になりまして。中身もなんですけれど」
『へぇ、好奇心旺盛な嬢ちゃんだ。アイザックの同類、魔術師って奴だな?』
そう笑ったブラッドバーンが握手を求めてきたので、そのまま返してしまう。
てっきり高温かと思ったが意外と人肌に近い。
金属のようでありながら独特の柔らかさもある。不思議な感触だ。
――そして、横目でサンプソン将軍がギョッとしているのが面白い。
「それでブラッドバーン。どうしてあなたはここまで来てくれたのですか?」
『ああ、アイザックに頼まれた。お前らの指示下に入れってな。
あいつ、なんか知らねえけど異空間に隔離されたんだよ』
「……バイロンか。あやつ以外に居るまい。しかし、やってくれたな」
ブラッドバーンの”知っているのか?”という質問に簡潔に答えるサンプソン将軍。
どうにもサンプソン将軍と同世代の人間で、人竜戦争の経験者。
断絶された空間を作ることを得意としていた魔術師らしい。
「状況は把握しました。ブラッドバーン、私は貴方を信頼して大丈夫なのですか?」
『あぁん? まぁ、悪魔信頼するのもどーかと思うぜ。
だが、今のところ俺はお前を気に入ってる。好みの部類の女だ』
なんかこいつ、アドリアーノと同類な気がする。
いや、あんまり信頼するのも良くないか。私は彼を下げる方法を知らないし、権限もない。
アイザックはその意味で常に彼の首根っこを掴んでいるんだろうけど、私は違う。
けれど、アイザックが彼を呼び出しておいてくれたのは非常にありがたい。
このままじゃ私たちはジリジリと競り負けるだけだった。
「ではブラッドバーン。貴方たちは今、何人いますか?」
『んー、俺は今、11体だな』
「……すまないがその身体を別行動させることは可能、だよね?」
サンプソン将軍の確認に頷くブラッドバーン。
「領軍本部に5人残して、5人に別行動をしてもらうことは可能かい?
我々はそちらの戦況を仔細には知らない。無理なら無理だと言ってほしい」
『まぁ、大丈夫だろう。あの場所は傀儡だらけだ。もっと数を増やせる』
ブラッドバーンの言葉に頷き、礼を言うサンプソン将軍。
そして次に私へと向き直ってくる。
「この電光地図と、現実との差、今はどれくらいあるかな」
「んー、現状だと最大で10分程度と言ったところでしょうかね」
「――分かった。では、ブラッドバーン殿」
そうブラッドバーンに細かい指示を与えていくサンプソン将軍。
あんなに恐れていたというのに流石のものだ。
『……ほう、傀儡を下げたか。
主なんていなくなったと思っていたが、もう1人……他の奴らも傀儡を作っていない。
アイザックめ、すっかり狩られる側だな。対策されてやがる』
ケタケタと笑うブラッドバーン。
そう、戦局は膠着状態に陥っていた。この悪魔が居てくれるから最初よりは絶望的ではない。
しかしながら、吸血鬼たちは意図的に傀儡の数を抑えている。
何より一度は狩場と化していたはずの領軍本部に別の吸血鬼が現れ、傀儡に逃げの一手を取らせているのが最悪で、ブラッドバーンの数が増えなくなった。
『ッ――将軍、クラリーチェ、東南へ走る赤い魔力を追うように伝達してくれ。
その先に奴が居る。吸血皇帝、ゾルダン・ノイエンドルフが……ッ!!』
クラーク殿下からの通信。
今の今まで通信がなかったこと、その声の壮絶さ、それだけで理解する。
彼を次の戦いに送り込むことはバウムガルデンの宝を失うことだと。
「分かった。君の周りに敵は?」
『――いない。今のところは』
「うん。少し休め。魔力を使い果たしているだろう?」
サンプソン将軍の言葉を受け入れるクラーク殿下。
彼に僅かでも余力があるのならこうは振る舞わなかっただろう。
……よくぞ、無事で。
「分かった。うん、赤い魔力は、アマテイト教会への方向だな?
……クソっ、避難所の1つじゃないか」
斥候部隊からの情報を聞き、悪態をつくサンプソン将軍。
それは私も同じだった。
……アマテイト教会、ロバートがいるはずだ。
今日は宿に居てくれるだろうか。それとも教会に行っているんだろうか。
こんなことになるのなら、昨日にしっかりと伝えておくべきだった。今日は外に出るなって。私は……。
『――どうする? あの皇帝がいるなら、今の俺を束にしても勝てるか怪しいぞ?』
「っ、そうなんですか……?」
『ああ、あいつは飛び切りに強いし、今回の俺はまだ少ない方だ』
”それこそ、無作為に人間を数百人ほど殺していいなら倒せるぜ?”
そう嘯く悪魔が本当に憎らしかった。
「絶対にダメです。我々の目的はバウムガルデン領を守ること。
領民を差し出して吸血皇帝を討伐したのでは意味がありません」
『ひゅー、良いねえ。それでこそだ。アイザックに気に入られてるだろ? 嬢ちゃん』
……こいつ、試したのか。本当に悪魔だな。けれどお人好しだ。
しかし、実際どうする? こちらの戦力に余剰はない。
吸血皇帝の居場所が分かったとはいえ、仕掛ける方法がない。
今、サンプソン将軍が教会近くの兵士たちと情報をやり取りしているけれど、まだ皇帝は動いていない。
でも、だからといって、このまま手をこまねいていたら思うつぼだ。
相手に最も都合の良い時に動き出してくる。
『――聞こえるか? マイフェアレディ』
アイザックの通信術式じゃない、私の通信機から声が聞こえる。
あのバカの声だ。あの肝心な時にいない役立たずのアドリアーノ・アルジェントだ。
「今までどこをほっつき歩いていたんですか?! アドリアーノ!!」
『くくっ、どうやら俺たちの出番はまだ残っているみたいだな。今、最大の戦力を連れてる。皇帝の居場所くらい掴めたのか?』
「――アマテイト教会です! ロバートが危ない!!」
なんだ、最大の戦力って。なんだ、俺たちの出番って。
あのバカは今いったい誰と一緒に居るって言うんだ……!!
『了解した。吸血鬼ハンター見習いアドリアーノ・アルジェント、吸血鬼ハンター・オーランドと共に急行する!』




