第48話
――バウムガルデン領軍本部へと向かう最中、俺はずっと悔やんでいた。
敵は明らかに領軍内部に浸透している。それに気づけなかったのは、俺の甘さだ、俺の落ち度だ。
まさか領軍内部は大丈夫だろうという甘えがあった。全員が戦闘の経験者だ。こちらの探知が作動しないまま吸血鬼に何かできるはずはない。
外から吸血鬼が領兵を傀儡にしようとしても上手く行くわけがない。そう思い込んでいた。
(……ゾルダンめ、まさか領兵までをも吸血鬼に)
内部から崩壊させるには、この方法しか考えられない。
吸血鬼が領軍を襲ったのではない。領軍内部に吸血鬼を造り、そいつにやらせた。
そうでなければハロルドのような男が無抵抗で殺されるわけがない。その隙を作り出せるわけがない。
「――まるで、あの日みたいだ」
もう、600年以上も前のことだけれど、今でも鮮明に思い出す。
吸血皇帝ゾルダン・ノイエンドルフに決戦を挑んだあの日。幾人もの吸血鬼たちを、王を殺した日。
確かに殺したはずのあの男が、なぜ復活したのかは分からない。イルザは今、それを追っている。
だというのに、彼女の留守を任されたこの俺がこのザマとは――
「ッ……ベルザリオ、君?」
青い烽火を目掛けて、柵も塀も飛び越えてきた。
そこに居たのは、クラリーチェの幼なじみであるベルザリオと、拳銃を手にした見慣れぬ青年。
そして胸に傷を負った領兵が2人。確かあれは、リベルトとジーノと言ったはずだ。
「……アイザック!! 頼む、治療を、2人を治してくれ……っ!!」
迫り来る傀儡を次々と切り払いながら、こちらへと叫ぶベルザリオ。
――怪我人が2人、よくぞ守り切ったものだ。背後にしか遮蔽物のない場所で。
見捨てて逃げたとしても責められない状況でよくぞ。
「分かっている。だが……ッ!!」
ベルザリオへと向かう傀儡を杖で転ばせ、その身体を押さえつける。
「っ……許せ、ダリル。コール、ブラッドバーン……ッ!!」
俺の軍隊、俺が稽古をつけた若者を、贄にして悪魔を呼び出すなんて……。
分かっていることだ。傀儡に身を落とされた人間を救う術はない。
自由意志を奪われる分、吸血鬼より性質が悪い。もう既に死んでいる、死体を吸血鬼の力で動かしている。
そうなのだと、そう考えるしかないんだといくら言い聞かせても、この不快感はどうしようもない。ただ、受け止めるしかない。
「……アイザック、来てくれたのか――」
「無理に話すな。大丈夫だ、必ず助かる。よく生きていた、よく……」
呼び出したブラッドバーンは、状況を見ただけで次々と傀儡を切り伏せていく。
言葉は不要だとでも言いたげに笑っている。
それを横目にリベルトの胸の傷を塞ぐ。人体を癒す魔術、最初は専門外だったが、この600年であらかたできるようになった。
四肢の欠損などでなければ命を繋ぐことはできる。
「……自傷か、リベルト」
「寄生虫を、仕込まれましてね……ここが総崩れなのも、それのせいで、でも助けてくれた。あの2人が」
「ああ、後で話を聞かせてもらう。大丈夫だ、俺が来たからもう大丈夫だ……」
術式を施し、彼の手を握る。魔力も分け与えた。
あとは彼自身の治癒力に任せるしかないが、大丈夫だろう。
……ジーノの方は意識を失っている。しかし、まだ脈はある。命を持っていかれたわけじゃない。
「これで良し……おい、ブラッドバーン」
『なんだ? ここの傀儡どもは主を失って総崩れだ。狩り放題だぞ』
「――最低でも1人は傀儡じゃない奴がいる。警戒しろ」
こちらの言葉に頷くブラッドバーン。
とりあえずしばらくは、この悪魔に任せておけば大丈夫だろう。
主となる吸血鬼を失った傀儡相手ならば万に一つもこの悪魔が負けることはない。
しかし、問題はハロルドの通信機を奪っている奴だ。あいつがどこにいるかによって話は変わってくる。
「――さて、ベルザリオ君。状況を教えてもら……ッ?!」
足元に魔術式が走っているのが分かった。そして、それの狙いも独特な紋様で理解できる。
ッ、最悪だ、こいつ、俺を隔離するつもりだ……っ!!
「ブラッドバーン……っ! サンプソン、クラリーチェに従え……! 頼む!!」
『は? おいおい、マジかよ……』
足元に輝く術式が俺を隔絶していく。
……この術式、覚えがある。酷く懐かしい術式だ。
そうか、あいつが仕掛けに来たという訳か。
「――隔離空間の創造か、やってくれる。腕は衰えていないようだな、バイロン」
一時的にとはいえ、外界から隔絶された空間を創り出す。
そんな魔法を使える人間は数えるほどしかいない。
この手の特殊な魔術は、術式を学ぶことも開発することも困難だし、何よりそれ以上に生まれ持った才能が必要になってくる。
「やはり分かりますか、アイザック……」
見通すことができる闇の中で、仕掛け人が姿を現す。
その姿を見るのは半世紀ぶりだろうか。前に会った時には自然な老いを重ね、穏やかな最期が近づいていたというのに。
……ああ、まさかこいつまでこちら側に身を落としてしまうとは。
「2つ、聞いても良いか?」
「良いですよ。今や互いに不老の身、時間はあります」
「――なぜ、ブラッドバーンを呼ぶ前に隔離しなかった?」
こちらの問いに静かな笑みを浮かべるバイロン。
「別に大した意味はありませんよ。俺は俺の目的を果たしたいだけ。
貴方の戦略的な力が発動しているかどうかなんて問題じゃない。吸血皇帝たちにそこまで義理立てする理由もない」
「……じゃあ、俺がここに来ると分かってはいたのか?」
こちらの問いに頷くバイロン。
「知っていましたから。領軍内部に吸血鬼が居たことを。あの少年たちが倒してしまいましたがね。
所詮あの吸血鬼は魔術に憧れただけの若者。戦いのなんたるかも知らない小僧だ。
だが、奴が軍内部に傀儡を蔓延させたとなれば、それに手を打てるのはアンタだけだ。アイザック・オーランド」
なるほど。話を聞けば納得もできる。
「なぁ、アイザック。まさか、どうしてだ?とは聞くまいな――」
「……ああ、ただ、そうだな。誰からだ? 誰から血を手に入れた?」
「アラステア・ストークス。アンタらの読み通りだよ、流石だと言っておこう」
内偵調査が当たっていたことを喜ぶべきか、クラークの身を案じるべきか。
……ある程度自動化しているから、通信も探知も術式は動き続けるだろうが内部から外に通信を送ることはできない。
早めに出なければ、術式が破壊された時、不具合が出た時に終わりだ。
「――バイロン。お前は、俺と戦うために人としての最期を捨てた。そうだな?」
「ああ、どうせ放っておいても1年も経たずに老いが迎えに来る身だ。最後の最後に若い頃の衝動を思い出した」
姿を隠す術式に使っていたと思われる外套を脱ぎ捨てるバイロン。
……こいつは、魔術の弟子だ。よく教え込んだし、今は引退したとはいえ数年前まで別の領地のお抱え魔術師をやっていた。
俺から見たのなら、とても気に入った相手だったが、きっとこいつは俺のことを嫌っていたと思う。
人竜戦争の時に責められたものだ。『なぜ、アンタが行かない? アンタとイルザが行けば人竜戦争に決着をつけられるんじゃないか』って。
「魔術師である俺を越える、だったな? バイロン」
「ああ。いや、ちょっと違う。戦士としてのアンタを越えるんだ」
……若返った姿は、まるであの日のようだ。
半世紀以上前、出征した時の姿。そして帰還したときの、あの日と同じ姿。
あの時に言われた言葉が、鮮明に脳裏に蘇ってくる。
「だって、俺が戦士としてアンタを越えなきゃ、死んでいった仲間たちに申し訳が立たないだろう?
アンタが戦場にいれば、アイツらは死ななくて済んだんだなんて思いながら、俺はアイツらのところにいけない」
やはり人間の考えというのは変わらないもので、あの日も今日もこいつが突きつけてくる言葉はそれだった。
もちろん、俺とイルザが戦争に行かなかった理由は説明できる。俺たちのような吸血鬼が表に出れば、一度でも国の戦争に力を貸せば、俺たちはバウムガルデンの人間でいられなくなる。
スカーレット王国という機関に飲み込まれるだろう。それに、俺たちの力で戦況を動かせば、必ず大きな遺恨を残す。
今のような半世紀以上の膠着状態という平和を構築することは、不可能だったと確信している。
だが、これらは全て大局から見た理屈に過ぎない。現場で血を流した戦士たちにとって、それを内側から見届けた男にとって、こんな理屈なんて、何の慰めにもなりはしない。
「――悪い。今の話は忘れろ。アンタの罪悪感につけ込んで勝っても仕方がない。
政治的にそうするのが最善だったってことも理解はしているんだ。そんなことは分かっていた、ずっと」
そう吐き捨てるように笑うバイロン。彼は想っているはずだ、政治のために死ななければいけなかった仲間たちのことを。
「俺はもっと単純にアンタを越えたいんだ。魔術師としてのアンタを、同じ土俵に引きずり降ろして勝負がしたい。
アンタの、全てを見守っているようなツラが、昔からずっと気に入らなかった。
どうせ俺は死を待つだけの老いぼれだったんだ。最期の願い、叶えてくれるな? 全力で戦ってもらうぞ、アイザック・オーランド!」
……たく、昔から手のかかるガキだ。
死ぬまで変わらなかったが、意外とこういう奴が可愛いんだよな。
良いだろう。それがお前の望みならば、教えてやる。この俺の本気というものを。
「ふん、馬鹿が。黙っていれば穏やかに死ねたものを――いいだろう、受けて立ってやる。全力で掛かってこい、バイロン!!」




