第47話
――本当に奇妙な男だと思う。アラステア・ストークスという男は。
いざ剣を交えてみれば、最初に纏っていた儚げな雰囲気は消し飛んだ。
そして、吸血鬼の血を求めた者たちの感情は俺には理解できないと怒り、直後にそれで良いのだと讃えてくる。
自らは人の道を踏み外し、吸血鬼の血を他者にばら撒いておきながら、そうではない俺を讃えるのだ。
「ふふっ、殿下。つくづく僕と貴方は別のモノだ。
貴方はきっと僕のようにあの皇帝に見初められても翻ることはないのだろう。
少なくとも今の貴方が今のままであり続ける限りは――」
”ああ、私はいったいいつの私だったのなら、彼の誘いを退けられたのだろうか”
――空疎に笑う彼を見ていると虫唾が走ると同時に、少しだけ理解できてしまう気がする。
自分にそうなる余地があるとか、そんな話じゃなくもっと幅広く、人間にはそういう弱さがある。
弱さそのものを糾弾することはできない。そんなことをしても意味はない。
だが、その弱さゆえに外道に落ちたのなら、吸血鬼の力を得て鬼に成り果てたのならば後は斬り捨てるしかない。
それこそが俺の役目。このバウムガルデンという土地で、魔法という力を持ち、領軍という力に属する俺の役目なのだ。
「そうだ、俺とお前は違う。アラステア・ストークス、お前が外道に落ちる前であったのならば、あるいは助けることができたのかもしれない――」
「……それは無理だよ、殿下。だって僕は、僕自身の望みさえもう分かっていないんだ。分かっていないけれど、貴方と斬り合えることを、かつての剣士として誇りに思う」
彼が言ったように、もしも彼の妻が、子供が、生きていたのなら。
もし、ゾルダン・ノイエンドルフが彼に目を付けてなどいなかったら。
もしも、彼自身が踏み止まっていたのなら。
……そんな可能性はもう既に存在しない。事態は既に確定し、動き出している。
ならばここから先に、言葉は不要だ。
吸血鬼に身を落とした彼を拘束し、法で裁くほどの力は持ち合わせていない。
この場で殺す、それだけだ。
「ッ――――!!」
魔術による強化を前提とした剣術。これを極めた人間は、スカーレット王国全体でさえ数えるほどしかいない。
辛うじてイルザ・オーランドが似たような剣技を使いはするが、結局のところ、剣よりも強い切り札を持つ彼女にとっては剣技など戯れだ。
吸血鬼さえ超越した力を持つ彼女が、多少強化した程度の剣を使っている時というのは”人間として戦ってあげている”範疇でしかない。
無論、彼女から学べるものは全て学んだ。俺の剣技くらいでは絶対に死なない彼女はよく俺に稽古をつけてくれた。
そうして積んできた経験の中で、俺は既に掴んでいる。ストークスの刃、吸血鬼の血で強化された剣の折り方を――
「……驚いた、やってくれるじゃないか」
折れた剣を前に、ニヤリと笑みを浮かべ、その血を流すストークス。
真紅の血液が折れた刃に滴り、そのまま強固な剣へと変わる。
ッ、やはり敵は吸血鬼か。この無尽を思わせる再生力。
「続けよう――」
突き出される刃を叩き落し、軌道をズラす。
しかし、こちらの動きを見通していたかのようにストークスはこちらの剣を受け流し、反撃に入ってくる。
……本当に剣士としてはかなり腕が高い。一流というほどの領域ではないが、それでも俺を倒し得る程度には充分だ。
「フフッ、ハハハハ……!!」
――相手の刃を受け流しながら、思う。
ここまで実力が拮抗してしまっている時点で、この戦い、こちらにとって絶望的だ。
ストークスは一度でも俺の急所に剣を入れればそれで勝ち。
しかし俺は、吸血鬼を殺し切らなければいけない。
驚異的な再生力を上回るほどに殺し尽くさなければいけない。
「ッ……!!」
戦闘の中、その隙を突けたのは全くの偶然だった。
ストークスの刃を受け流し、そのままの勢いで奴の胸に刃を突き立てたのは完全に勢いだった。
――勝機は今しかない。そう確信した俺は、全力を持って雷を奴の身体に流し込む。
彼の握っていた剣は落ち、吸血鬼は声にならない悲鳴を上げる。
「……ああ、ダメだ、殿下。あと少し、僕を殺すには、あと少し足りない」
アラステア・ストークスの指先が、俺の頬を撫でる。
その真紅に染まってしまった爪先で、こちらの首を掻き切ればそれだけで彼の勝利だというのに、彼は何もしない。
「けれど、君の勝ちだ。久しぶりに楽しかった……礼に少し教えてあげよう。それが終わったら僕のことは念入りに殺した方が良い――」
そう告げてアラステアは語り始める。
今まで自分が直接血を与えた人間の数、流通させられるように血の入った小瓶を複数渡した人間の数。
そして彼らに教えたこと。まだらに教え、駆り立てるように伝えたことを。
「……ゾルダンは、生前に行った最後の計画を成就させようとしている。
僕は、血を渡した相手に、最も貢献した者にゾルダンはその力を分け与えるだろうと伝えた。
いくつかの嘘を混ぜ、時には皇帝自身からその力を奪えとも言いながら、吸血鬼になった者たちが力を求めるように仕向けた」
――生前に行った、吸血皇帝ゾルダン・ノイエンドルフの最終計画。
それは、自らの元に集めた吸血鬼の王たちを殺し、その力を奪うことだった。
当時、アイザックとイルザ、そしてクロードたちを招き入れ、彼らに集っていた吸血鬼の王たちと戦わせた。
そうして死んでいった吸血鬼たちの力を集め、複数の吸血鬼を喰らい、奴は吸血鬼を超えようとしたのだ。
「だから、この騒ぎに乗じて力を求める吸血鬼たちは動き出す。貢献か反逆か、どちらにせよゾルダンへと近づくために。
君たち領軍はその対処をしなければいけないだろう。
そうして吸血鬼を殺した先、流れる血を集めるための魔術式が既に仕掛けられているのが分かるはずだ」
ッ……そこまで話すのか、この男は。
「――どうして、それを教えるんだ、アラステア・ストークス……っ!」
「言っただろう? これは礼だ。君との戦いは本当に楽しかった。久しぶりに、あの頃に戻れた気がした」
ストークス卿の口元から血が流れ落ちてくる。
こちらが突き立てた刃から、血液が逆流しているのだ。
「……あの男の誘いに乗って良かった。君と戦うことができて良かった。
クラーク、殿下……私を殺し、その血がどこに流れるのかを追え。その先に彼が待っている。
あの吸血皇帝が待っているんだ――」
儚げに微笑む彼を前に、決意が揺らぐ。
一度は殺すしかない。そう思った相手なのに、ここまで自白した相手を殺して良いのか……?
そんな疑念を胸に抱いてしまう。彼は既にこちらに恭順しているのではないかと。
「……ふん、甘いな。君も――」
そう言ったアラステアは、その爪をこちらの首元に突き立てようとする。
――これでもう、自分と俺は殺し合う関係、先ほどまでに戻ったのだ。
言葉こそなかったが、その行動が雄弁に語っていた。
「ッ――――――!!!!」
自分の中の魔力は枯渇し切っていた。それでも俺は雷を放った。
雷を放ち、アラステア・ストークスの全身を焼き切った。
雷が走り、腕はあらぬ方向へと動き、再生が追い付かないほどに焼かれていく。
――これは禁忌だ。俺は今、禁忌の技を使っている。
「……っ」
俺が何をしているのかを理解するようにストークス卿が笑ったように見えた。
いや、それさえも錯覚なのかもしれない。
胸に突き立てられた刃から全身を焼かれているのだ。
そんな余裕があるとは思えない。だが、それでも、きっと彼なら笑うと思うんだ。
――吸血鬼を殺すため、スカーレット王国の貴族であるこの俺が”他人の命を魔力に変換する術式”を使っていることを知ったのなら。
この俺が、彼への介錯として、彼の魔力を変換しているのだと理解していれば――
「ッ――将軍、クラリーチェ、東南へ走る赤い魔力を追うように伝達してくれ。
その先に奴が居る。吸血皇帝、ゾルダン・ノイエンドルフが……ッ!!」




