第44話
――アラステア・ストークス。それが我々が突き止めた吸血鬼の血の流通元だ。
王国商会バウムガルデン支部の重鎮にして、商売と流通ということに長けた壮年の男。
引退するにはまだ少しだけ若いが、築いてきた功績からしていつ引退してもおかしくはない。そういう人間だった。
「はい。お館様には、皆様をもてなすように言われています」
「ッ――そのお館様はどこだと聞いている!」
「何処かへ旅立たれました。我々に暇を与えて。皆さまをもてなすことが最後の役目です」
恐らく情報が筒抜けだったのだろう。最初から肩透かしだった。
ストークスの屋敷に突入した我々を出迎えたのは、傀儡でも何でもないただの使用人たち。
どうもアラステア本人は、既にこの館を出ているらしい。
……傀儡を残しての逃走くらいは予想していたが、まさかこうくるとは。
『――ハハッ、正直な人だね、クラーク殿下は。でもね、人は真実を言うとは限らない。
嘘だってつくし、何より自分が本当は何を望んでいるのかさえ自覚していないことが多いんだ。
そういうことがあるんじゃないかって、少し頭を巡らせる。それだけで良い。僕がやってきたのはたったそれだけのことだ』
以前、彼と話したことがある。
何の機会かは忘れたけれど、彼もラウンドテーブルの人間だ。
その手の宴や社交の機会はいくらでもあった。
だからこそ、そんな男が吸血鬼に力を貸していることが許せない。
(……君たちは、このまま表から調べろ。使用人から目を離すな)
こちらの耳打ちに静かに頷いてくれる兵士たち。
流石はサンプソン将軍が選んだ者たちだ。話が早い。
そう思いながら、俺は裏口へ回った。考えたのはひとつの可能性。
そもそもあの使用人が言っていることが嘘で、アラステアは未だここを出ていないのではないかということ。
――使用人に与える最後の役目が我々領軍をもてなすことだなんていうのが、まず胡散臭いのだ。
ならばあれは足止めではないか? 傀儡とは違う方法で、我々の足を止めたんじゃないか。そう思った。
「……ふむ、流石だ。まさか先回りされるとは。でも君が相手ならそれも理解できる」
半ば賭けだった。
相手がまだ屋敷の中にいる可能性を考慮しても、馬鹿正直に裏口から出てくるなんて確信できるはずがない。
柵を越えた場合や柵の間を抜ける場合に備え、全体を監視するように通信を入れていたが、俺がここを本命と考えたのはただの勘に過ぎない。
「以前、貴方に教えられたことを思い出した。
人は嘘をつく、何を望んでいるのか自覚もしていないと」
ストークス家の裏口、裏は裏でも正面の次に綺麗な道。
彼のことだ。逃げおおせるときに、柵を越えるような無様な真似はしないと思った。
「ふふっ、そうか。よく覚えていたね。そんなこと」
儚げな笑みを浮かべる彼の顔を見ているとよく分かる。
今の彼は、俺と同じくらいにまで若返っている。飲んだのだ、吸血鬼の血を。
アラステア・ストークスは、既に人間を辞めている。
「でも、嘘はつかせてなかったんだよ? 君たちの相手をしているあの娘は本当に、私はもう去ったと思っているんだ」
「だろうな。自分の本当の目的、本当に与えられた役割を自覚していなかったからこそ、見破るのは大変だった」
「けれど君は見破った。見破ったうえで僕がここを通ると予測した」
背負っていた荷物を地面に置き、鞘に入ったままの剣を手に持つアラステア・ストークス。
しかしまだ臨戦態勢ではない。全くもって奇妙奇天烈な男だ。
自分が追い詰められているというのに、恐怖も見せなければ慌てもしない。
かといって逆に俺を殺せるという驕りも見せない。
(――対象と接敵。作戦開始だ、将軍、クラリーチェ)
襟元に隠した通信機でそれだけ伝える。
さて、これで状況はどう動くか。
仲間が次々と送り込まれてくるか、あるいはもうすでにそのような余裕がないくらいに他の吸血鬼たちが動き始めているのか。
どちらにせよ、俺への救援は後回しにしろと伝えてある。俺が音を上げるその時まで。
「見破ったわけじゃない。ただの勘さ、アンタなら正面から出ないとしても、庭の柵を越えるなんていう無様な真似はしない。そう思った」
「良い分析だ。君と会ったことは数えるほどしかなかったはずなのに、よく分かっているじゃないか」
「かもな。だが、どうしても分からないことがあるんだ、ストークス卿」
こちらの問いかけに、俺の目を見つめてくるストークス。
全く虚ろな目だ。この世を本気で生きてないないような独特の薄さがある。
吸血鬼にまでなったというのに。どうしてこうも……。
「――どうして吸血鬼に加担した? どうして吸血鬼の血を売り捌いた?」
「後者に答えるのは簡単だ。
それを求める人々がいたから。私が商売人だから。たったそれだけのことだよ」
ッ、そのために何人の人間が外道へと踏み外したか分かっているのか、こいつは……ッ!!
「では答えてもらおうか。前者の方を。そもそもなぜ吸血鬼に加担したのかを」
こちらの問いに儚げな笑みを浮かべてみせるストークス卿。
「良いだろう。せっかく僕の企みを見抜いたんだ。それくらい教えてあげても良い。
どうせこの先、誰が生き残って誰が死ぬかなんて分からないんだ。
なら、僕のことを覚えていてくれる相手は多い方が良い」




