第43話
――”領軍敷地から青い烽火が昇っている”――
その情報を得た瞬間に思ったことは2つ。
1つは、さっきの通信で起動した通信機は何なんだ? なぜ通信を入れてこない?という違和感。
もう1つは、青い烽火から導き出される直感。みんなだ、スノードロップの誰かが上げたんだ。バウムガルデンでの烽火は白か赤。青は使ってない。
「――ハロルド隊長、領軍敷地の状況を教えて欲しい」
「……異常、ありません。何かありましたかな?」
チッ、声で判別できない。
私が他人の声など覚えておらず、名前も一覧表を見ながら呼び掛けているというのもあるけど、そもそもかなり音が悪い。
これじゃあ、ロバートの声だって分かりやしない。
「ねえ、ハロルド。最初の模擬戦のことを覚えている?」
私からスッと通信機を取り上げたアイザックが話しかける。
全く恐ろしい人だ。彼はいったいどれだけの人間と深い交流を持っていて、いったいどれだけのことを覚えているのか。
「はい。魔術師との戦闘を経験するための訓練でしたね」
「そうそう。それでさ。あの時の勝敗、覚えているかい?」
「私が競り負けたと、記憶しています」
そこまでハロルドが答えたところでアイザックの表情が変わったのが分かる。
……なるほど、鎌掛けは成功。状況としては最悪という訳だ。
「うんうん。私が君を倒した時の魔法、何だったか覚えているかい?」
「……風の魔法だったかなと。すみません、記憶があいまいで」
「そうか――そうやって言い逃れるのが遅かったな。ハロルドは俺に勝ったんだよ」
狼狽えた声をあげる通信の向こうのハロルド。
いいや、ハロルド隊長を騙る誰か。
「――今からお前を殺しに行く。ただで済むと思うな」
切断された通信を前にザックは、深い溜め息を吐いた。
「……クソッ! ゾルダンめ、あの野郎……俺の軍隊にまで……ッ!!」
彼がここまで取り乱しているのは初めて見た。
……いいや、あの日以来か。ヴァン・デアトルという吸血鬼とロバートが戦闘した時。
あの日、自分の魔術式が発動し、吸血鬼が動き出したことを知ってアイザックは本当に狼狽えていたし、怒りを見せてもいた。
「――アイザック。領軍基地に、吸血鬼の反応が」
「うん、分かってるクラリーチェ。私の仕掛けた術式だ、表示されるよりも先に分かる」
通信と連動させている電光地図には、アイザックが仕掛けている吸血鬼探知の術式も連動させている。
といっても、戦闘によって吸血鬼の力が発露しているときにしか探知できないものだけど。
でも、これが今、初めて起動したということは……戦闘らしい戦闘もなく、ハロルド隊長の身柄は乗っ取られた。吸血鬼の手によって。
そして誰かが戦い始めた。生き残っている誰かが。
「――行ってください、アイザック殿。ここは俺が請け負います」
「ッ、クラーク……だが、単独では、」
「私はバウムガルデンの戦士。貴方の代わりくらい努めなければ話にならない。クロードも単身で吸血鬼を殺しているんでしょう?」
茶化したような声で話してはいるが、クラーク殿下の本気さは痛いほど伝わってくる。
こちらはまだ流通元への攻撃も始めていない状況。空振りの可能性も残ってはいる。
しかし、領軍基地は違う。あちらは既に戦闘が始まっている。最もアイザックの力が求められるのは、あの場所だ。
「……すまない。お前を頼るぞ、クラーク」
「ふふっ、貴方ほどの男に頼ってもらえるとは。まさに戦士の本懐」
覚悟を決めたように息を吐いたアイザックがこちらに顔を向けてくる。
「必要な事項は通信で伝える。しかし戦闘に入れば指揮は取れない。
後は頼むぞ、サンプソン。そしてクラリーチェ。今、ここで私の魔法を最も理解しているのは君だ。
吸血鬼を探知した時、サンプソンの判断を助けてやって欲しい」
彼の言葉に頷く私と将軍。
……どうにも、アイザックがサンプソン将軍ほどの老人に対しても皆と同じように接していることを不思議だと思ってしまう私の感覚が恨めしい。
ザックにとっては、みな年下だから当然だというのに。
「そしてクラーク、吸血鬼は手数が多い。相手は魔術師だと考えろ、死体を操る魔術師だと。
個人によって力の使い方が違い過ぎて具体的なことを言えなくてすまないが……」
「いえ、今までによく教えてもらいました。今回の事件に対してだけではなく、ずっと」
視線を交わし、アイザックが飛び出していく。
彼の通信機が離れ、しばらくののち、彼の居場所が表示される。
……凄まじい速度だ。あれも魔術式なのだろう。
「さて、坊ちゃん。いかがいたします?」
「サンプソン……そうだな。敵は内部にもいたと見るべきだ。我々の動きが読まれている可能性は高い」
「単独で仕掛けるとは、言いますまいな? こういった場合に備えて、連れていける人間に声をかけてはいます」
さらりとそう言ってのけるサンプソン将軍を見ていると、経験者なのだと実感する。
経験を積んできた実力者なのだと。
「……こうなることを予想していたか?」
「いえ、私に未来を見通す力はありません。ただ、アイザック・オーランドという男は戦略級の価値を持つ男。
戦術的な運用を越えて彼が必要になる場合があるとは思っていました。特に敵に先手を取られたのならば」
クラーク殿下が息を呑む。彼がいったい何を思っているのかは分からない。
アイザックという最強の魔術師なしで吸血鬼と戦うことへの恐怖か、領軍の兵士たちを連れて行かなければいけないことへの後悔か。
どちらにせよ、彼はそれを表に出すような男ではなかった。
「流石だな、将軍。では、その者たちを集めよう。準備を整え、すぐに仕掛けるぞ」




