第29話
『……お忙しいところ、無理を言ってすみません。アイザックさん』
リベルトからの手紙が届いてから数日のうちに準備を整えた。
クラリーチェを通じてアイザックに頼んだんだ、領軍の兵士に会わせて欲しいと。
『いや、こっちこそ声をかけてくれてよかった。
普段なら軍の宿舎に行ってくれれば普通に呼び出せるんだけど、今は時期が時期だからね。
君のような信頼できる人間相手も門前払いしてしまうところだったよ』
理由は、酒場での忘れ物を届けたいというものにした。
実際にリベルトの私物は、闇夜の盾がある酒場に置いてあったので口実を補強するのに使ったのだ。
僕は、酒場の店主から頼まれており、大切なものなので直接渡したいと。
(……中身を確認されなくてよかったな。
ただの私物のグラスじゃ、本人に届けておくと言われて終わりだったかも)
そのように切り出された場合、いくつか切り返すための方便は用意しているが、押し切られたら対抗できない。
……でも、こうしてアイザックが素直に通してくれるということは、彼はリベルトの身に何か起こっているとは考えていないはずだ。
領軍もアイザックを通したとはいえ、僕の面会を受け入れたということは、何も察知していないと見るべきか……?
しかしとなれば、リベルトの身に何かを仕掛けた奴はどこにいる? こちらに何かを仕掛けてくるだろうか。
『そういえば、クラリーチェの様子はどうです?』
アイザックの館から領軍の宿舎へと向かう最中、こちらから質問を投げていた。
実際に彼の目から見たクラリーチェがどうなのかを知りたかったというのもあるし、こちらに対する質問を向けられたくなかった。
目の前にいるのは、姿こそ愛くるしい兎だが、その実は600年の時を生きる魔術師。
彼が本気でこちらに鎌をかけてきたら、恐らくだが闇夜の盾のこともマルティンのことも全て知られてしまう気がした。
『――彼女は素晴らしいね、知識の吸収が速い。とてもいい下地を持っていたように見える。
君たちの故郷は小さな島だと聞いたが、人智魔法と機械魔法、両方の師を若くして得られた彼女は幸運だね』
……人智魔法という単語は分かる。
闇夜の盾に居れば聞かないことはないし、そもそもマリアの奴が自分の使う魔法のことを人智魔法と言っていた。
しかし機械魔法の師というのはどういうことだ? 機械魔法って、マリアとクラリーチェとマキシマ博士の3人で組み上げたものじゃないのか?
スカーレット王国にも存在している……?
『そうですね。彼女は本当に恵まれていたのだと思います。
しかし、アイザック。僕はこのバウムガルデンに来てから機械魔法という単語を聞いたことがない。
人智魔法の方は嫌でも耳にしますが』
あくまでこちらからマリアンナやマキシマ博士の話は出さない。
……また今後、機会を見てマリアンナの話は聞いてもいいかもしれないが、それ以外を迂闊に話すのは危険だ。
マリア自身は王国の出身だから大丈夫だろうけど、マキシマの方が分からない。
それに身の上話をしていると、冬の島のことも気取られてしまう気がした。
『まぁ、だろうね。機械魔法というのはかなり新興の技術だ。
アカデミアでようやくその技術が系統立てられるようになって10年も経っていない。
あれはかなり特殊な生まれ方でね。……君は”さすらい人”という言葉を知っているかな?』
こちらが奥歯にものの挟まったような話し方をしているのを感じ取った上だろうか、随分と手厚く説明してくれるものだ。
『いえ、聞いたことはありません』
『そうか。でも、会ったことはあるんじゃないかな。
ここじゃないどこか、機械という技術が世界を満たす国から来た人々、ストライダーとも呼ばれている』
アイザックの瞳が静かにこちらを見つめてきていたのを覚えている。
『……日本と言っていました。僕らが出会ったことのある人は』
『そうか、日本か。でも君たちの島には、そもそもストライダーやさすらい人といった総称が流れていなかったのかな?』
『ええ、彼以外に来たことはありませんし、王国の人間がそう訪れる場所でも』
……危ういな、話し過ぎているか? 僕は。
『ふふっ、なんとなく分かった。クラリーチェが出会ったのは”機械魔法の師”じゃなくて”機械技術の師”だったんだね』
『……あいつ、話してないんですか?』
『うん。知っている技術的には明らかにそうだと分かってたんだけど、身の上話をしてくれなくてね』
アイザックの杖が地面に触れて、コツリと音を立てる。
『何か事情があるんだろう? あの娘が言っていた。私は口下手だから”隠し事をしている”ということ以外には下手に喋れないと』
……ふふっ、とてもクラリーチェらしいな。
隠し事をしていると宣言して、何も喋らないなんて。
でも、そういう言い回しをできる程度にはアイザックという人のことを信頼しているんだと分かる。
『すみません、うちのクラリーチェが。でも、本当にその通りで色々と込み入った事情が』
『――君がこっそり私に教えてくれたりはしないかな?』
『いつか、その時が来たら。今はそれくらいしか……』
こちらの回答を聞いて優しく微笑むアイザック・オーランド。
『君たちの船の造り、クラリーチェの知識の偏り、そして君が使っていた包丁、それを見ていると分かる。
通常程度にやり取りのある島のどれとも違うなって。まぁ、気付くのは私か、島との交流を主たる仕事にしているごく一部の人間だけだろうが。
それでも後者の連中はそこまで気にも留めず、せいぜいまだ未開の島があるくらいだとしか思わないはずだ』
――そこまで見ていたのか、この人は。
僕の使っていた包丁まで見通して、王国の技術と違うと見抜いてくるとは。
『……私も無理に聞くつもりはない。けど、何か困ったことがあればいつでも頼って欲しい。
それくらい、私は、君たちのことを好いている。クラリーチェのこともそうだし、デミアンやフェリシアを守ってくれたロバートのことも。
そして今、私を頼ってくれた君のこともだ。ベルザリオ・ドラーツィオ』




