第28話
『――表面上の文章の形成に問題はない。暗号の形式だけが崩れている』
手紙の内容を検閲されることを恐れたのか、リベルトの手紙は表向きマルティンとの友情を確かめるだけの内容になっていた。
長文で綴られているものの、内容に特殊なものは見受けられない。
今は仕事で忙しいけれど、またしばらくしたら飲みに行こうじゃないか。その程度の内容だ。
『文字自体に揺れや歪みはない。薬の類いでこうはできない。
魔術――しかし、ここまで平常な文章なのに、最後の暗号だけ欠落させるなんて……』
『あり得るのかい? そういうことをできる魔術というのは』
僕は魔術に関しては門外漢だ。
マリアンナは魔術師だったけれど、彼女も人間の意識に影響を与えるような術式は使っていなかった。
だから分からないんだ。魔術というのがどこまでやれるものなのか。
『あり得る有り得ないで言えば、あり得る。魔法時代には、あらゆる魔法が研究されていた。
だから人間に特定の情報を発信させないようにする術式は存在しないとは言えない。
だが、今は現代だぞ。王国建国からずっと”人間を道具に貶めるような術式”は強く禁止され封印されている。まともにたどり着けるはずがない』
……魔法時代というものは、簡単にだけど教えてもらった。
魔法王たちが乱立し、その覇権を争った時代だ。それらが人々を魔力として使う国家の集合だったからこそ、スカーレット王が台頭し、王国時代に変わった。
だから、今はそういう悪質な魔法は禁止されている。だから普通ならそんな封印された術式を知る機会はないということか。
『吸血鬼なら、どうだ? マルティン』
『……その意図はなんだ? ベルザリオ』
『僕も詳しくは知らないけど、吸血鬼というのは魔術との親和性が高いと聞いた』
そもそも魔術師になるには才能が必要になる。才能のない人間はどうやっても魔術師になることができない。
しかし、吸血鬼というのは、その全員が魔術師のようなものだと聞いたことがある。
『僕の仲間がヴァン・デアトルと戦ったって話は聞いてるよね? あいつは血を用いて、まるで魔術のような攻撃を仕掛けてきたと』
『……宝石魔法使いが苦戦したって話だよな』
『ああ、再生能力とか肉体能力とか抜きにしてね。血を矢や刃物のように使ってきたんだそうだ』
血液を刃物にすることと、人間の意識を操るということはすぐには一致しないが、あくまで可能性の話として。
『吸血鬼の傀儡なら、そこまでやれるか……?
いや、聞いたことがない。簡単な命令にしか従わないんじゃ……』
マルティンはしばらく考え込んでいた。
それを見ていて僕に分かることは、現状で答えを出すことはできないということだけ。
情報が足りなすぎる。何か動かなければ打てる手はない。それだけがよく分かった。
『――会いに行ってみようか、僕が』
リベルトは、マルティンに対して暗号化した手紙を出した。
事情は分からないけど、マルティン本人が会いに行ってしまうのには危険があるだろう。
彼の意を反故にしてしまう可能性がある。
だが、僕ならどうだ? 一見無関係の僕が接触を図るのなら、その危険は薄まるんじゃないだろうか。
『……思惑は分かった。しかし、アテはあるのか?』
僕の思うところをそのまま説明したところ、マルティンは一応分かってくれたらしい。
最終的に賛成するかどうかはともかく、方向性の話から、手段についてまで話を進めても良いと判断した。
『アイザック・オーランドへのツテがある』
こちらの言葉にマルティンが苦い顔をしたのを覚えている。
きっと、あの時の彼は既にあらゆる可能性にまで思考を広げていた。
『……アイザックか』
『不都合があるみたいな顔だね、マルティン』
いったいどんな不都合があるのだろう。僕の知る彼は、見た目こそ兎で異質だが、とても気さくなお人好しだ。
気難しさの塊みたいなクラリーチェがよく懐いているのを見ていると、彼の人の好さが分かる。
『まだ、リベルトの身に何が起きたのかは分からない。
しかし最期の依頼を出しておきながら、決定的な情報を書き記せなかったんだ。
何らかの方法で精神への支配、思考の阻害をされていると見るべきだろう』
マルティンの言葉は現状を簡潔にまとめていた。
そう、今の僕たちに分かることはそこまでだ。おそらくリベルトは何かしらの支配を受けている。
それしか分からない。それ以上を語るには情報が圧倒的に足りていない。
『これが魔術の類いであればアイザックに助けを求めてもなんら問題はないはずだ。
だが、問題なのは吸血鬼の類いだったとき。……考えたくはないが、リベルトが傀儡にされていたとき』
『そうなっていたら、どんな不都合が?』
……ふむ、ロブからアイザックの使う魔術について詳しく聞いていなかったのは失敗だったな。
彼が吸血鬼殺しという異名を持っていたことは聞いていたが、僕はその中身を知らない。
『――彼がどうやって吸血鬼を、その傀儡を殺すか知っているか』
『いや、聞いていないんだ。具体的なことは』
マルティンが、静かにその答えを呟いた。
しかし、聞き取れなかった。というよりも、単語に耳馴染みがなくて意味が分からなかったのかもしれない。
だから聞き返していた。もう一度頼むと。
『……悪魔召喚だ。傀儡を殺して贄に変え、炎の悪魔を呼び出す。
遺体の骨も残りはしない。この世で最も残忍な命の奪い方のひとつだと俺は思っている』




