第24話
「――改めまして。ごちそうさまでした、バネッサお姉さん」
私の料理をすべて振る舞い終えて、食後にコーヒーを楽しんでいた頃だった。
大げさな馬車の音が響いてきて、ルティのお迎えが来たのだと嫌でも実感させられたのは。
「うん、今度はアンタに美味しいって言わせてやるからさ」
「あ……っ、言ってませんでした? 僕」
無自覚な顔しやがって。いや、本当に無自覚かな。
こいつといろんな店を回っていて分かってることがある。この少年は滅多なことでは『美味しい』と言わないんだ。
私なら言わせられるかなと思っていたけど、どうもまだ足りなかったらしい。
まぁ、本命のサリアスで失敗したんだから仕方ないとも思う。
「言ってないよ。ホント、最後までアンタらしいけどね」
「じゃあ、次には言いますよ。ですから、必ずまた」
「――いいや、そんな世辞は受け取れないね。本気じゃないなら言わなくていい」
静かにルティの瞳を見つめる。
……本当に綺麗な瞳をした少年だ。黄金色がまるで宝石のようで、美しい。
「お坊ちゃま――」
「うん、ありがとう。無茶言って」
「いいえ、まだ時間はありますので」
天魚屋の扉を開けて入ってきたのは、身なりの良い男性。
正装というほどカッチリした服装ではないが、それでも品が良いということが分かる。
……執事って奴か。アイザックの館とかで少し見た。
「すいませんバネッサさん、本当は明日のはずだったのに」
「いや、良いさ。こんな街さっさと出て行っちまいな、ロクなことがない」
まもなく吸血鬼への大掛かりな作戦が始まろうとしている危険な街に、高貴な身分の人間が居るものじゃない。
バウムガルデン家の人間ならともかく、別の家ならなおさらだ。
「……ねぇ、バネッサ。僕と一緒に来てくれないか?」
夕日がその赤さを落ち着かせた頃、窓から差し込む光を背にルティが呟く。
「……冗談は、」
「冗談だと思うかい? それは僕が子供だから、かな」
「違う、そんなんじゃない。こういうことでアンタを子供だと侮ったりしないよ」
……しかし、言ってくれるじゃないか。
一緒に来てくれないか?とは。正直なところ、心が揺らぐ。
こいつを頼ってしまっても良いんじゃないかって、そんな気がする。
「何もずっとバウムガルデンを離れてくれって訳じゃない。今回の件が落ち着いたころには必ず送り届ける。
どうだろう? 悪い話じゃないと思うんだけれど」
うん、確かに悪い話じゃない。私が居たって吸血鬼相手にできることなんて何もないだろう。
あのロバートが勝てるか怪しいって恐れていた相手だ。私の戦いじゃどうにもならん。
けれど、なぜだろう。どうしようもなく後ろ髪が引かれる。心残りがあるように思ってしまう。
「――そうさねえ、ちょっと考えさせておくれ」
「ごめん。本当なら明日の朝まで考えてっていうつもりだったんだけど」
「そっか、その詫びは受け取っておくよ」
ロバートの顔が浮かぶ。あいつは、私が何も知らずに何も知らないまま明日を迎えたらどう思うだろうか。
……そして、なぜだろう。私は親父の顔を見つめていた。
こんなに良い店を営んでいるくせにどこか厭世的な男の表情を。
「……悪い、ルティ。アンタの好意は本当に嬉しい。けど、私にはまだこの街でやらなきゃいけないことがあるんだ」
「っ、それは自分の身の安全よりも優先すべきことなのですか?」
「うん。まず天魚屋を閉め切る手伝いだろ、それに仲間に今日知ったことを教えなきゃいけない」
私の言葉を聞いた親父が、ガタリと音を立てて立ち上がる。
「俺への手伝いなんかいらねえ。坊主と一緒に行け、このバカが」
「けっ、アンタは残るくせに偉そうなこと言うんじゃないよ、親父」
「……チッ、その仲間ってのが本当に大事なのか?」
珍しく親父の奴が、露骨に脅しをかけてきている。
けれど、そんなことで怯む私ではない。
「ああ、大事さ。あいつらのおかげで私がここまで来たって話、したろ?」
私の話を聞いたルティが執事に耳打ちをしている。
内容は恐らく、私が仲間たちに報せを送る時間が取れないか、あるいは仲間ごと連れていけないかだろう。
「……そうか。悪い、無茶を言って」
「いえ、こちらの方こそご期待に沿えず――」
回答は芳しくなかったようだ。
「バネッサさん、僕は……」
「良いのさ。また会おう、ルティ」
本当に良い子だなと思う。出会ったばかりの私なんかのためにここまで手を回してくれて。
なのに、それを受け取らなかった私は酷いことをしてしまったとも。
彼にこんな辛そうな表情をさせているのは、私だ。
「――はい、必ず。また貴女の料理を味わえる日を心待ちにしています」
別れの礼を向けてくれるルティの顎を掴み、頬に口づける。
……男の肌の味なんて知らないけど、まるで女の子みたいに柔らかい肌だ。
「バネッサさん……っ??!」
「ふん、私なんかのために頭を下げるんじゃないよ。なんか知らないけど、偉い人なんだろ? ルティ」
数歩下がったルティが自分の頬に触れている。
ちょうど、私が口づけしたところだ。まるで果物みたいに赤くなっていて愛らしい。
「……貴女に偉い人扱いされたのは初めてです」
「ごめんごめん、知らなかったからさ」
「……もう、しないでください。貴女とは、もっとこう、人間同士の付き合いがしたい」
いじらしく指先を絡めているのがまたかわいい奴だ。
「うん。そう言ってくれるなら。でも良いのかい? せっかくの偉い生まれなのに」
「貴女には、偉い人扱いされたくありません……」
「分かったよ、肝に銘じておく。それじゃあね、ルティ。完全に暗くなっちゃったら街中の移動が一苦労だろ?」
――名残惜しかったけれど、半ば押し込むように彼を馬車に乗せた。
何度もまた会おうって言ってくれるルティの言葉が身に沁みた。
ああ、本当に得難い友を得たものだと心の底から思えた。
「……あーあ、一緒に行けばよかったのに」
「良いのさ。とりあえず片付けだ。明日店開けないうえに閉め切るんだろ? 1人じゃ朝になっても終わらないよ」




