第22話
――サリアスの姿造り。
サルーアよりも1回り以上は大きい魚を手早く捌いていく親父は本当に一流だった。
”待たせたね”なんて言っていたが、これだけ華麗な包丁捌きで、これだけ速く提供された刺身を前に”待った”なんて思うはずがない。
(……けど、普段とそんなに変わらないってのもまた凄いね、これは)
てっきりやる気を出しているものだから、いつも以上のものが見られるのかと思っていた。
でも違った。造ったもの自体は凝っているから、その意味では凄いんだけれど、やっていることはいつもの延長にある。
やる気の有無で振るう技術は変わらない。そういう強固さを親父から感じた。これが料理に人生を捧げた男の在り方なんだ。
「……やっぱり旨いな、親父の刺身は」
「ふん、そいつはどうも。褒めても何も出せねえけどな」
そう言いながらも親父さんはとても嬉しそうで、こちらも温かい気分になる。
「――親父、明日は店を開けるな」
クラーク殿下の声に、場の空気が張り詰めていくのを感じる。
理由はきっと教えてはくれないのだろう。けれど、それが真摯な忠告であることは感じ取れる。
「……うん。仰せのままに。殿下」
「ありがとう、親父。それとバネッサちゃん、君も明日は外に出ないほうが良い」
クラーク殿下の言葉に頷く。
焦って天魚屋に好物を食いに来たこと、彼の纏う緊張感。そして、明日は店を開くな、外に出るな。
……なんとなく分かってはいた。けれど確信に変わる。こりゃ明日なんだ、明日に領軍は大掛かりな作戦を仕掛ける。
そりゃそうだよね。夏の終わりから今は秋。場所は自分の領地、流通してしまっていた”吸血鬼の血”の大元を掴むには遅すぎるくらいだ。
(しかし、クラリーチェめ、なんも教えて寄こさないなんて……いいや、あいつ最近帰ってきてなかったか)
アドリアーノのアホは、なんか知らんけど”機械魔法の使い手を見つけた”とか言ってバウムガルデンを出てるし、クラリーチェも家に帰って来てないから私らに伝える方法がなかったはずだ。
あのアホが居ればクラリーチェも通信を寄こすことくらいできたろうに。
けどまぁ、そもそも作戦の内容を教えるってのも、憚られる話ではあるか。どこから情報が洩れるか分かったもんじゃない。
(だったらクラーク殿下が気を回してくれたのは何なんだって話だけどさ……)
けど良いや。作戦をやるのが分かっているのなら、それとなく教えておいてやろう。
と言ってもまぁ、帰ってきてる連中だけになるけど。
(……あれ、ロバートしかいないんじゃないのか。今日も家に帰ってくる奴って)
クラリーチェは十中八九で知ってるし、帰ってこないだろう。アドリアーノのアホは居ない。
そしてベルザリオの奴も最近ほんと帰ってこない。どこで何をしてるのかも分からない。
……せっかく手に入れた情報を交換することもできないなんて。あーあ、しかもロバートの奴にこれを伝えるとどう動くか読めないね。
(作戦を手伝うって言いだすか、クラリーチェやベルと合流するって言いだすか、はたまた……)
そして私はどうする? 朝に旅立つルティを見送るか、それとも家に籠っているか。
たぶん何か動くであろうロバートに付き合うか、クラリーチェの方に行くか。
……うーん、なんか、決めがたいところだ。
「――バネッサお姉さんはいらっしゃいますか?」
いろいろと今後のことを決めかねていたところに、聞き慣れた声が響いてくる。
甘い声色をした少年の声。私がこの街で出会った最初の友人、ルティ・アシュフォードの声が。
「よう、ルティ。お姉さんはやめろって言ってるだろ?」
「えへへ、ごめんなさい。バネッサさん。でもなんかそう呼びたくなっちゃって」
「まぁ、いいや。ちょっと待ってな。約束通り、最後の料理、用意するから」
ルティを厨房近くの、料理している姿がよく見える席に案内する。
そこは当然にクラーク殿下のすぐそばだ。
「クラーク殿下、いらしていたんですね」
「俺のお気に入りの店でな。君も目を付けていたとは。流石だよ、ルティ」
「いえ、色々と食べ歩くのが好きなだけで……」
和やかな会話をしている最中、クラーク殿下の表情が変わる。
「明日の件は、聞いているか?」
「はい……その、それで出発をこの後に。ここに馬車をつけてもらう予定で」
「そうか……わがままを言ったな? ルティ」
ルティへの料理に向けた準備中、2人の会話が聞こえてくる。
「――ふふ、僕も男だ。バネッサさんとの約束は反故にできない」
「くくっ、そうかそうか。好きだよ、お前のそういうところ。じゃあな、平和になったバウムガルデンでまた会おう、ルティ」
「はい……ご武運を。クラーク・ハイド・バウムガルデン」
スッと立ち上がった殿下が、ルティに礼をする。
やはりこのやり取りを見ているとルティは相当に格式の高い血筋なんだろうな。
けれど、クラーク殿下と話しているのを見ると男同士って感じがする。物腰が柔らかいから女の子みたいだと思っていたのに。
「ご馳走になった、親父殿。本当に美味かった、また食べに来る」
「……ああ、必ず来い。待っている」
「うむ、それと明日は外に出るな。扉を厳重に閉めておけ」
そう言って親父に代金を渡したクラーク・ハイド・バウムガルデンは、店の外へと去っていく。
強烈に照り付ける秋の夕日、温かな赤色に染まった世界へと。
……なんだろう、初対面だというのに私は願っていた。彼の無事を。またこの店に彼が来てくれることを。




