第21話
――天魚屋の親父に弟子入りしてしばらく、本当に多くの事を学ばせてもらっている。
魚市場というもの、サルーア以外の魚を日常的に捌くという経験、冬の島とは違う調味料、料理法。
本当に多くのものを吸収させてもらった。それもこれも親父の人柄ゆえだし、そんな親父の店に連れてきてくれたルティのおかげだ。
「あ、そうだ、親父」
「なんだ?」
「今日の閉店後、厨房貸してくれるって約束」
「覚えてるさ、それにもう色々置いてるじゃないか。好きに使え。ルティの坊ちゃんを送り出してやるんだろ?」
親父の言うとおりだ。ルティは明日の朝にこのバウムガルデンを出る。
理由は考えるまでもなく吸血鬼絡み。今の今まで居たのが逆に嘘みたいな話なのだ。
「――なぁ、バネッサ。やっぱお前、バウムガルデン出てけよ。ルティについてけ。あいつを口説け」
「やかましいよ、あいつとはそういうんじゃないのさ。そういうんじゃね」
それにあいつはまだ10歳くらいだ。5歳も年下の子供に手を出せるか。
「まぁ、傍系とはいえ王族の血を引いてるもんな」
「やっぱり、そうなのかい?」
「俺も詳しくは知らねえし、アシュフォードってのがどれくらいの家かも分かんねえけど、赤い髪に金色の瞳だろ? 血だけで言えばかなり濃い」
その話は別の奴からも聞いた。ルティは髪と瞳の色からして、このスカーレット王族の血を引いているんじゃないかって話は。
どうも初代スカーレット王が”赤い瞳に黄金の瞳”だったらしく、血を引く王族はだいたいその色になるらしい。
けど、ルティの名字はアシュフォード。スカーレットじゃない。だから親父は傍系と言っているんだろう。
「……んー、どうにもピンと来ないんだよね。ルティが偉い奴だなんて」
「ふん、うやうやしく振る舞わなくても良い関係なら、それで良いじゃねえか。かしこまる必要もねえ」
「確かにそれもそうなんだけど」
良いことを言ってくれるなと思った後に『でも旦那にするなら良い男だと思うぜ?』と付け加えてくるんだから台無しだ。
まぁ、確かにあいつは良い子だけど、良い子は良い子。歳が違うし、本当に王族だというのなら私じゃ不釣り合いってものだろう。
「――よう、親父は居るか!」
「げっ、クラークの殿下……今日は店じまいだ」
「おいおい、俺の顔を見て店を閉めるとは御挨拶だな。アンタの刺盛りが食いたい。金は出す」
店に入ってきた金髪に紫色の瞳をした青年。
クラークと呼ばれたのが誰なのか分からないけど、まぁ、身なりが良いし”殿下”って呼んだってことは貴族なんだろう。
「――ほう、新入りか。親父殿が新しい弟子を取るとは。まだまだ天魚屋も安泰だな」
「まぁ、一時的なんですけど……殿下、サマ……?」
「おお、俺のことを知らんのか。すまんすまん、俺の名はクラーク・ハイド・バウムガルデンだ」
「……ご丁寧にどうも。バネッサ・アルベルティです。クラーク殿下とお呼びすれば……?」
こちらの確認に頷いたクラーク殿下が、ふと、首を傾げる。
「バネッサ、アルベルティ……ひょっとしてルティの友人かな?」
「知っているんですか? ルティのこと」
「ああ、彼はバウムガルデンの大切な客人だからね。個人的にも仲が良いんだ、何度か君の名を聞いた」
……ふむ、こうなってくるとマジなんだろうね。ルティの奴が王族の血を引いてるって話。
ヤバい、全く気を遣わずに接していた。危ない橋を渡っていたんじゃないか、私……?
「近く、いや、今日にも彼は出立してしまうだろうが、また会うことがあれば仲良くしてやってくれ。本当に君のことを慕っていた。
――それでだ、親父! 刺盛りを作ってくれるのか? くれないのか?」
「……作ってやらんこともないが、なんか、焦ってないか? クラーク殿下」
親父の静かな言葉を前にクラーク殿下が怯んだのが分かる。
「……悪い。察してくれとしか言えないんだが」
「――なるほどな。こっちも野暮だった。金は要らねえ、食ってけ」
「いや、払わせてもらう。これは貴方という料理人への礼儀だ」
親父はクラーク殿下の何かを悟ったらしい。
私にはイマイチよく分からないんだけど、まぁ、これも吸血鬼絡みなんだろうなとは思う。
クラリーチェの奴も最近はバタバタしてるし、季節が変わってもずっと打つ手なしなんてことはないはずだから。
「そういうこと言われたらありがたくいただいちまうぜ? カッコつけは二度しない主義でな」
「良いんだ。ここは私の顔を立てると思って受け取ってほしい。
それよりもありがとう、今のバウムガルデンに留まってくれる貴方のような男にこそ、俺たちは感謝をしなければいけない」
クラーク殿下の言葉に静かに笑みを返す親父。
この人が素直に笑っているのを見るのは初めてかもしれない。
ワルぶった振る舞いをする人だから。
「バネッサ。悪い、厨房貸すの、もうちょっと待っててくれ」
「……手伝おうかい?」
「いや、俺にやらせてくれ。そういう気分なんだ」
そう言って包丁を握る親父さん。きっと彼とクラーク殿下の間には長い付き合いがあるんだろうな。
殿下は何か危険な仕事に向かう直前なのだろうし、親父だって関わりの薄い貴族に対して軽口を叩くような真似はしないはず。
けれど、これは絶好の機会だ。天魚屋の親父が心の底からやる気を出して料理を作っているところなんてそうそう見れるもんじゃない。
「待たせたね、殿下――お気に入りだろう?」




