第19話
――季節は秋。
夏の終わりに出た吸血鬼への厳戒態勢が、世の中を変えた。
夏の終わりに来た新しい弟子が、俺の店を変えた。
寄る年波に勝てず、長いこと続けてきた店も、いつ終わりにしようかなんてことばかり考えていたのに辞めるに辞められなくなっている。
「――いい加減、私が仕入れに行くって言ってんだろ? 親父」
早朝、頼んでもいないほどに早く店に顔を出している少女。
彼女が、俺の新しい弟子というか、この店の新しい手伝いだ。
名をバネッサ・アルベルティ。
どうも海の方の島の出身らしく、仲間たちと旅をしていると言っていた。
「ふん、お前みたいな新入りが朝に行ったって相手にされんよ。
それにしばらくしたらまた旅に出ちまうんだろ? なら任せられねえ」
「……む、それを言われると弱いね。確かに私はいつまでもいるわけじゃない」
そう言いながら顎を抱えるバネッサ。
たっく、強引なくせに変なところで素直な奴だ。
「――まぁ、良い。せっかく来たんだ、ついてくるならついてきな」
「ふふっ、そう来なくちゃね。親父」
「ふん、調子に乗るんじゃないよ、バネッサ」
そう言いながら半歩後ろを歩くバネッサに視線を送る。
……ホント、変なところで丁寧な奴なんだよな。
まぁ、そういうところもあってこいつの弟子入りを受け入れてしまったのかもしれない。
「はえー、これが”朝の市場”かい」
「ビビったか?」
「いや、悪い、もう少しヤバいかと思ってた。この街の店の数から考えてさ」
くくっ、腹の立つことに正解を突いてくるな、この小娘は。
バウムガルデンの店の数から市場の混み具合を計算して、今が空いていると判断できるあたり、こいつは本当に鼻が良い。
「正解だ、普段はもっと混んでる。
ここまで空いているのは、俺の人生の中で経験したことがない」
人竜戦争に駆り出されていた親父の時代なら、もっと空いていたのかもしれないが俺はそれを知らない。
「――けど、初心者の私からすれば充分に大変な場所だ」
「ふん、お前ホント変なところで謙虚だよな」
俺の半歩後ろ、ちょうど良い位置に着いてくるバネッサとともに朝の魚市場を回っていく。
しかし、本当に人が減ったものだ。最初は俺と同じような飲食業者からいなくなっていたが、とうとう卸売業者までその数を減らしている。
……こうなってくると漁師の数も減っているのだろうか。いや、漁師は移動する先がない。領地ごとに漁師の数は制限されている。
バウムガルデンに登録した漁師が、新天地に移動して頭を下げるとは考えにくい。
「――親父、これとかどうだい?」
「ふむ、悪くないな」
流石はバネッサの嬢ちゃんだ。魚を見る目がある。
それに相場としても安い。
まぁ、今時期、吸血鬼がらみのせいで何を買っても安いけどな。
「よう、天魚屋の。女連れとは珍しい」
「人聞きが悪いな、俺のところの新しい手伝いだ」
「へぇ? この時期に新入りを取るとは流石だねえ。よろしくお嬢ちゃん」
馴染みの魚屋と挨拶を交わしているバネッサを横目に、店員の数を確認してみる。
「そっちは減ったな。店員の数」
「まぁな、アテのある連中はバウムガルデンを出てる。
稼ぎも少なくなってるから、助かるは助かるんだけどよ。
アンタの方は大丈夫なのかい? まぁ、新人入れてんだから聞くのも野暮だけど」
まぁ、稼ぎがあるから入れたって訳じゃないんだけどな。
バネッサの奴は。
「うちは領軍の連中が昼に来るからな。稼ぎに影響はないどころか、増えたくらいだ」
「ほう、羨ましいねえ。流石は天魚屋」
「どうかな。閉める踏ん切りがつかない。他のとこみたいに引退した方が良いとも思うんだが」
といってもまぁ、俺には頼るアテもない。
バウムガルデンに生まれ、親の定食屋を継いだだけの俺には。
「まだ引退には早いだろ、親父」
「うるせえ、こちとら身体が辛いんだ」
「神官様の加護でももらった方が良いんじゃないかい? ツテあるから紹介しようか?」
はえー、こいつ神官へのツテまで持ってんのか。
旅の人間って本当かよと疑いたくなってくる。
「そういうのはあまり良くないだろう。ただでさえ神官様は多忙なんだから」
「まぁ、そりゃそうだけど、変なところで常識人だね、親父」
微笑むバネッサを見ていると、こちらまで笑ってしまいそうになる。
「良い弟子をとったな、天魚屋」
「ふん、やかましい――じゃあな、アンタが逃げ出してなきゃまた会おう」
「おうよ、俺はここに骨を埋める覚悟だぜ」
もうしばらく市場を歩き、店に戻る。
そうして朝の仕込みを始めた。店を開けるまで時間はあるし、本当に混み合うのは昼時。
領軍連中の腹を満たしてやらなければならない。
「捌いてみるか? バネッサ」
「良いのかい? 最初は1年は捌かせないとか言ってたのに」
「……ありゃただの脅し文句だ。お前、経験者だろ?」
ここしばらく、実際にバネッサが店に入ってからの振る舞いをみていたが、こいつの知識量は本物だ。
年齢の割には、という前置きはつくが、それでも魚に触れ続けてきた人間のそれだと分かる。
「じゃあ、ちょっとやらせてもらうよ――」
「ああ、お前の腕前を見せてみろ」




