第18話
――ふと、彼女が、こちらに微笑みかけた気がした。
クロードの手記を読む女性と目が合ってしまったような、そんな気が。
(……マズいマズい、これじゃ不審者だ)
そう思いながら、新聞を手に取り、用意されている席に腰を下ろす。
最初はここで語られている常識を全く把握していなくて、かなり読むのに時間がかかったが、今ではだいぶ軽く読めるようになってきた。
……しかし、あの女性は、かなりスラスラとクロードの手記を読んでいたな。俺なんて教会時代の常識が分からなくてまだ読み終わっていないというのに。
そんなことを思いつつ、新聞の記事に視線を落とす。そこには――
「ッ――クリス、ウィングフィールドだと……?!」
自分の喉が震えていたことに驚く。声に出してしまっていた。
しかし、それも仕方ないだろう。だって載っているんだ。
記事の主題が『グリューネバルトの英雄 死竜殺しのクリスティーナ』なのだから。
(……落ち着け、落ち着け、落ち着け)
まずは記事を斜め読みする。
場所はグリューネバルト、ここと同じような海岸線の領土。
そして、死竜殺しのクリスティーナとは、アカデミアの学院生にして古の竜魔法王を倒した英雄。
概要は掴んだ、後はもう少し細かく読み解けば……。
「――失礼。その記事、クリス・ウィングフィールドが載っているのかな?」
スッと横から顔を覗かせてくるのは、先ほどまでクロードの手記”吸血鬼殺しのオーランド”を呼んでいた女性。
その長い髪が揺れて、こちらの頬に触れる。
「は、はい……?!」
「ふむ、邪魔したね。――ふふっ、やはり英雄の器だったか。あの娘は」
嬉しそうに笑う長髪の美女。
……知っている? クリスの姉ちゃんのことを、この人は知っているのか。
アカデミアにいると記事を読んで、デミアンを頼らなければどうにもならないかとも思ったが、もしかして。
「知っているんですか? この、記事の人のことを」
「うん、ちょっと前まで私もアカデミアにいてね。たぶん間違いはないと思うよ」
優しく微笑む彼女は、静かに俺の肩に手を乗せる。
「そういう君の方も知っているのかな。クリスちゃんのことを」
「ええ……10年前に、少し」
「10年前――? というと彼女とは幼なじみなのかな?」
スッと俺の前に腰を下ろす長髪の美女。
こうなってしまったらもう、彼女と話し込むしかないだろう。
しかし、幼なじみとはどういうことだ?
「いえ、たった一度だけ。あの人に憧れて俺は、旅に出たんです」
「ほほう、人の出会いとは縁だね。まさかこんなところであの娘を知っている人間と会えるとは思っていなかった」
彼女は、静かに息を吐く。
「――私はジェーニャ、君は?」
「ロバートです。……その、ジェーニャさん。クリスの姉ちゃんとはどういう?」
こちらの問いを聞いて、ジェーニャさんは愛しい記憶を辿るように目を閉じる。
「……アカデミアに来たばかりの若い学院生さんでね。
いろいろと調べ物をしていた私の話し相手になってくれたんだ」
――若い、学院生?
ちょっと待て。アカデミアってデミアンが行くくらいだろ?
若い、に入るのだろうか。あの時に出会ったクリスの姉ちゃんは最低でも成人はしていたはずだ。
ならば今は、どんなに若く見積もっても25歳だぞ……?
「ん? 何か疑問でも?」
「いえ、そのアカデミアって成人したばかりくらいの人が通うんですよね?」
「そのように聞いているね。幅はあるが、15歳くらいで入学するのがもっとも多いと」
……別人だろうか?
しかしなんだろう、記事を読んでいると、あの人の匂いがする。
あの人がやりそうなことというか、そんな気がしてしまう。
「……もしかしたら、別の人かも」
「ほう? どうして?」
「10年前にあったとき、彼女はすでに成人してたと思うんです。少なくとも俺と同世代じゃない」
けれど、今のジェーニャさんの話を聞いているとまるで俺と同世代だ。
そんな訳があるものか。
あの時、俺を抱えてくれたあの人はもう既に大人だった。
「ふむ、確かにそうなると人違いかもしれないね。けれど、君はそう思っていないって顔だ」
――見抜かれてしまっているな。全く持ってその通りだ。
「なんかこう、彼女の記事を読んでいると別人だと思えなくて。
特に『英雄と呼ばれたのは結果に過ぎません。私は、私の想いに従っただけのこと。友人を守りたいという想いに』なんて、まさにあの人が言いそうだなって」
ジェーニャさんと話している間も記事を読み進めていたが、そうとは知らず慈悲王ベアトリクスと友人になったが故に戦ったなんてあたりがもうあの人って感じがする。
あの日、俺が感じたクリスの姉ちゃんの真っ直ぐさを感じるのだ。
「世界には、予想もつかないことがあるものだ。
可能性としては低いだろうが、私の知っているクリスとこの記事のクリスティーナと、君の知るクリスが同じということもあり得なくはない」
そう微笑むジェーニャさんを見ていると、そんな気がしてきた。
しかし、そんな馬鹿げた話があったとしたら、いったいどんなカラクリがあるというのだろうか。
「……いったい何があれば、それがあり得ると思いますか?」
「さてね。そこまでは分からないけれど、吸血鬼でさえ蘇る世の中だ。何があってもおかしくはないだろう?」




