第17話
「――見送りありがとう、みんな」
あの事件から1週間が経たないくらいだろうか。
まさか、デミアンの見送りよりも前に店を閉めることになるとは思ってもいなかった。
ちょうど昨日を持って”氷菓子スノードロップ”は、この夏の営業を終了したのだ。
「いや、本当に世話になった。スノードロップ全員がお前に感謝している、デミアン」
「……船長。すまない、こんな時に僕だけアカデミアになんて。
なぁ、ロバート、みんな、やっぱりバウムガルデンを出るべきじゃないか? アカデミアに来るというのなら手伝うからさ」
デミアンからの誘いに心惹かれないかと言われれば嘘になる。
実際に、あの事件を機にフェリスさんは一時的にこの街を出ている。
パール・ヴァロールのオーナーとアイザックが手を回したらしい。デミアンがいるからということでしばしアカデミアへと身を寄せるようだ。
事実、ヴァンが血を手に入れていたということは、同じような人間が再びフェリシアさんを狙う可能性は高い。
当然の措置だし、だからこそデミアン自身よりも先にアカデミアへ出発しているのだ。
「……いや、俺もそう思うんだが、どうもこいつらにはそれぞれ用事があるらしくてな」
スッと後ろの方を見る。4人が並んでデミアンを見つめていた。
「私は、アイザックの対吸血鬼の魔法を見るつもりです。特等席でね」
「……クラリーチェさん。みんなも?」
「ま、それぞれ野暮用があるってことさ。気遣いありがとう、デミアン」
バネッサの奴がデミアンの肩を叩く。
「そういうことだ。この街は俺たちに任せろ、なんて言えるほどの実力はないが、自分たちの身くらいは守れる」
「……分かった。必ずまた会おう。もしも別の街へ行くことがあれば知らせて欲しい」
「それは必ず。手紙でも出すさ」
デミアンと軽く抱き合い、別れを済ませる。
……このスカーレット王国に訪れてからというもの、彼の存在を感じなかったことはなかった。
彼と出会っていなければなんて想像もできない。
「じゃあな、デミアン」
「うん……ご無事で、みんな」
そう乗合馬車に乗り込むデミアンを見送る。
……ヴァン・デアトルからはじまった吸血鬼騒ぎで、バウムガルデンを脱出する人間は多い。
だから、乗合馬車の数もかなり本数が増えていた。しかし、もう少しで減っていくだろう。脱出できる人間が脱出し尽くしたのなら。
「――さて、今日からは店もない」
「朝と夜くらいしか顔を合わせなくなっちゃうかな」
ベルの兄貴の言葉に頷く。男2人が何をしているのかは知らないが、女2人は明確に用事がある。
俺自身もアマテイト教会からの誘いがあるし、俺たちの拠点として借りている家に戻るのも夕方過ぎくらいになるだろう。
「まぁ、何かあったら互いに教え合おう。特に吸血鬼絡みは」
そうして、皆と別れてしばらく、俺はバウムガルデンを歩いていた。
……透き通るような青い空が綺麗で、涼しげな風が夏の終わりを知らせてくれる。
”人が少なくて歩きやすいな”なんて思ってしまうのは、きっと不謹慎なんだろうな。
『ねぇ、ロバート』
「どうした? ドロップ」
『人が少ないから外に出たくなっちゃった♪』
そう笑うドロップが俺の肩に乗る。
普段なら妖精を連れて歩いていたら視線を集めてしまってどうしようもないんだが、これだけ人通りが少なければ問題ない。
目視でドロップを確認できるくらい近くに人がいないのだ。
『……みんな、吸血鬼が怖いんだよね』
「ああ、外出禁止令こそ出てないが不要な外出は避けるように言われているしな」
しかし、バウムガルデンという土地も観光と商業で成り立っている場所だ。
だからこそ水面下で吸血鬼の血は流通してしまったし、明確な外出禁止令を出せない。
出してしまえば数週間経たずに商人たちが吹き飛ぶ。ラウンドテーブルがそれを許さないのだ。
アイザックとしては完全に止めてしまいたいと思っているんだろうが。
『じゃあ、ロバートは言いつけを守らない悪い人なんだね♪』
「当たり前だ。俺は冬の島を飛び出した男、偉い奴の指図はそう簡単には受けない」
それに俺程度に戦える奴が吸血鬼と出会わなければ、アイザックの術式が発動しない。
普通の人間は外出を控えるべきなのだろうが、俺たちみたいな存在は逆に吸血鬼を探した方が良いとさえ言えるだろう。
『ふふっ、そういうところが好き♪ ワクワクするよね?』
「もっとワクワクさせてやるさ。今はここに落ち着いているけどな」
『良いんじゃない? あんな凄いのがごろごろいる場所にいるなんて、凄いことだよ』
ニシシと笑うドロップの豪胆さに惚れ直す。
全くもってとんでもない妖精と手を組んでしまったものだ。
「――おはようございます、ロバートさん」
「おはようございます。シェイナさん」
バウムガルデン領にあるアマテイト教会。
俺が毎朝、新聞を読むために顔を出している場所であり、彼女に誘われているのだ。
教会史の編纂作業を手伝ってほしいと。
「今日の昼ごろから大丈夫ですか? 編纂についてご説明したいなって」
「はい。大丈夫です。昨日はありがとうございました。氷菓子、食べに来てくれて」
「いえ……私も大好きでしたから。夏に冷たいものが食べられるのは本当に幸運です」
真紅の髪、真紅の瞳。シェイナ様を見ていると思う。
本当にレベッカと真逆だと。アマテイト神官としての赤、サータイトの神子としての青。
対極的な色合いのように思う。しかし、この外の世界では死の女神サータイトの力を使うものは白い髪と赤い瞳になっていくらしい。
「まぁ、店は昨日で終わってしまいましたが、もしご用命でしたら氷だけなら、いつでも作れますよ」
「ふふっ、ありがたいですね。流石は宝石魔法の使い手さん」
柔らかに微笑むシェイナさん。眼鏡をかけたお淑やかな神官様。
それが彼女だった。
「あ、そう言えば、今日は”吸血鬼殺しのオーランド”に先客がいらっしゃいます」
「へえ、珍しいですね」
”吸血鬼殺しのオーランド”とは、彼らの時代に生きた男クロード・ミハエル・バウムガルデンが記した本だ。
デイビッドがアイザックに向けて話していた知識の源泉。
当時を生きた男から見たアイザックとイルザ、2人のオーランド、2人の吸血鬼殺しの物語。
「旅の女性が。どうしても読まれたいようなら待つか交渉した方が良いかなと。近年の複製で良ければそちらもありますが」
「……そうですね、考えておきます。新聞の方はありますよね?」
「ええ、そちらは問題なく」
昼にまた会う約束をして、教会の中の司書室へと向かう。
教会の一部の蔵書と、毎朝作られる新聞が読めるようになっていて、スカーレット王国に来てからというもの本当に重宝してきた。
(……綺麗な人だな)
司書室には、いつも、そんなに人が居るわけじゃない。
それも相まってだろうが、静かに本を読み進めるその女性がとても美しく見えた。
”吸血鬼殺しのオーランド”を読む彼女が――




