第16話
「――俺は残るぜ。クラリーチェが残るのなら俺が去る理由はねえ」
翌朝、氷菓子スノードロップを開くよりも前の時間。
俺たちは今後の方針について話し合っていた。アドリアーノの回答は全くもって予想通り。
問題はバネッサとベルの兄貴だ。
「……僕も残らせてもらおう。もう少しで手掛かりが掴めるかもしれないんだ」
「え? マリア姐のか?」
こちらの確認に頷くベルの兄貴。
「どういうことだ……? いったい何を掴んだ?」
「……ごめん。色々と他言無用の話でね。僕が確信を掴めたら話すよ」
「そりゃ構わないが、あまり危ない橋を渡るなよ……?」
いったいベルの兄貴は、このバウムガルデンで何をしているのだろうか。
無性に気になるが、あまり深く追求しないほうが良いんだろうな。
彼がこう言っているのだから、まずは信頼するのが道理というものだと思う。
「ふぅん? 意外だね、私はアンタが真っ先にここを出るべきだって言い出すと思ってた」
「そうだね、何もなければそう言っていたかもしれない。そういう君はどうだ? バネッサ」
「……私かい? 私は、まだ残らせてもらおうかな。上手いこと料理屋で雇ってもらえそうだしさ」
少し話は聞いていたが、料理屋に弟子入りするという話は上手く行っていたのか。
ふむ、これで全体的な答えは出たな。
「――じゃあ、俺たちはバウムガルデンに残るってことで良いな?」
「ロバート、貴方はそれで良いんですか? 直接に吸血鬼と戦った貴方は恐れていたはずだ」
スッとクラリーチェが横槍を入れてくる。
「お気遣いどうも。だが、俺が考えていたのは、皆を付き合わせていいのかってことだ。
皆が残るのなら俺も残る。ちょうど俺にも誘いはあるしな」
「アマテイト教会のシェイナさんからでしたね」
クラリーチェの言葉に頷く。
まぁ、教会の人だから今回の吸血鬼事件で忙しくなってしまうかもしれないが。
「じゃあ、ロバート。考えなきゃいけないことがもうひとつ」
「ん? なんだ? ベルの兄貴」
「まだ細かい話は来てないけど、吸血鬼絡みで厳戒態勢が敷かれるかもしれないんだろ?」
アイザックが言っていたことだ。
昨日の今日なのでまだ俺たちのところまで話は降りてきていないが、きっと今ごろ賢人アイザックとして彼は領軍を動かしているのだろう。
しかし、彼の言う厳戒態勢がどういうものなのかは正直なところ全く知らない。
「それは恐らく間違いなく。まぁ、吸血鬼が出たって話を公表した時点で嫌でもそうなるだろうしな。
バウムガルデン家や領軍が動かなくても、恐怖は瞬く間に伝播すると思う」
「そうだ、それで考えるべきは僕らの店をいつまで開けるかだ」
――忘れていたが、確かにその通りだ。
元よりデミアンの手伝いがあったのは昨日までだし、夏も終わりが見えてきている。
潮時を考える頃合いではあったが、吸血鬼騒ぎが広まれば売上に影響があることは避けられないだろう。
「僕は閉めるのなら早い方が良いと思う。バネッサやロバートには次の予定があるし、ここから売上は下がる一方だろう」
「そうだねえ、たださ、ベル。まだ仕入れたシロップが余ってるだろう? それくらい売切った方が良いんじゃないのかい?」
「……確かにバネッサの言う通りだ。それくらいのお客さんが来てくれればいいのだけれど」
水と氷には俺とドロップの魔法以外に大した手間をかけていないが、菓子屋から仕入れているシロップは別だ。
まぁ、仕入れ代くらいはもうとっくの昔に回収しているが、それなりに在庫はある。
今の段階で店を閉めてしまうと、あれらの処分は手間だ。
「んじゃ、とりあえず今後の仕入れは無しで売り切れるまで店を開ける。よっぽど客が来なきゃその時はまた考え直すってことで良いだろ?」
「ああ、それで良いと思うよ、ロバート」
「異議は無いね。しかし、吸血鬼がどこにいるか分からないってのも恐ろしい話だ」
バウムガルデン領に残る決断をしたらしたで、その事実が重くのしかかってくる。
そう、吸血鬼の血が流通している可能性を考えれば、どこに吸血鬼が潜んでいるかなど分かったものじゃない。
いくら戦闘が行われればアイザックが探知できるからといえど、抵抗らしい抵抗さえなければ、気付かぬうちに傀儡を増やすことはできる。
「とりあえず今まで以上に連絡を密にしよう。気休め程度にしかならんだろうが」
俺の言葉に皆が頷いてくれる。
「……そういえば、クラリーチェ」
「なんです? ロバート」
頼みごとをしようとするときの、独特な気配を気取られているなと感じる。
いや、それも当然か。わざわざ名前だけを呼んで前置きをしているんだから。
「アドリアーノとお前って離れてても連絡が取れるだろ?」
「ええ、通信機を持っていますから」
「それさ、人数分造れないか? いざって時に連絡を取り合えるようにしたいんだ」
こちらの言葉を聞いたクラリーチェが、俺の顔を静かに見つめてくる。
「……この店の稼ぎの全てを突っ込んで良いのなら。
いえ、それでも金属加工の設備を造り直すとなると、元々マキシマの残してくれたものがあったから出来たことだし……
うむむ、船に乗せられれば良かったんですが、信頼できる加工の担い手は……」
――うわっ、これはシャレにならなそうだ。
そもそも前提としてこの店での稼ぎの全てが必要となる上に、恐らく今、クラリーチェが考え込んでいるのは資金があったとして、それで信頼できる商売相手を見つけられるかどうかだ。
二重の困難が待っている。
「……いえ、待って。ダメです。そもそも技術的にできない」
「資金面と金属加工の問題を抜きにしても、全く無理ってことか?」
「はい。アドリアーノと私の通信機には共通の鉱石が使われています。これはマキシマが持ち込んだものだ。替えはない」
ほう……なるほど、それで島にいたときから通信に関する機械魔法は増産していなかったのか。
「人智魔法から通信という技術を学び、それを機械に落とし込められれば可能かもしれませんが、勉強から始まってしまいますね」
「今回の事件の間には、間に合わないか」
「間に合ってしまった時の方が恐ろしいですよ、下手すれば年単位の時間が必要になります。吸血鬼との戦いが、そこまで長引くことはないかと」




