第11話
――吸血鬼を凍らせたところで、そこから脱出してくるのは時間の問題だと思った。
だから逃げなければならないと考えた。そして、逃げる先として考えられるのはただ1人。
アイザック・オーランド、賢人アイザック、吸血鬼殺しの異名を持つという彼のところしかなかった。しかし――
「――いいや、その必要はないよ。ロバートくん」
彼は、既にそこにいた。
俺たちが助けを求めるべき相手はもう、来てくれていたのだ。
「アイザックさん……ヴァンが……」
「ああ、分かっているよ、フェリシア。まさか、既にバウムガルデン内部にまで入り込んでいるとは、な」
人間ではない、兎の顔を持つアイザック。
それでも、今の表情を見ていると分かってしまう。
普段は本当に柔和な笑みを浮かべていたのだ。優しい顔をしてくれていたのだと。
だって今の彼は、本当に辛そうな表情をしているのだから。
「……やめておきたまえ、ヴァン。
反撃は無意味だ。……私は、今の君のような吸血鬼を、何人も殺してきた」
氷の中にいるはずのヴァン・デアトルに語りかけるアイザック。
そして、彼の言葉を聞いたように吸血鬼は静かに氷を砕き、その中から現れた。
一度は剥がれた皮膚も既に再生している。
「――随分と速いな。読んでいたのか? 私のことを」
「いいや、読んでいたのなら泳がせはしない。君のような未来ある若者を贄にして得られるものなど、何の価値もないよ」
「ッ……では、どうやって」
ヴァンの言葉に『ここは私の庭だからね』とだけ答えるアイザック。
そして、彼は恐れることなく吸血鬼に近づいていく。
「……人は殺したか? いいや、今はいい。まだ引き返せる。
その力は一時の過ちだ。手放すんだ、ヴァン……」
「ッ、誰が手放すものかよ。アンタがフェリスの足を治してくれていれば、こんな力を手に入れる必要もなかったんだ」
ヴァンの視線を静かに受け止めるアイザック。
「――吸血鬼の力では、フェリシアの足を治すことは出来ない。
失った四肢を復元させる頃には、彼女自身が吸血鬼に成り果ててしまう」
「それの何が悪い。アンタらは実際、その力で数百年以上生きてきたんだろうが」
ヴァン・デアトルの言葉を静かに受け止めるアイザック。
言い返さないということは、事実ということか。
イルザ・オーランドだけでなく、アイザックもまた吸血鬼の力を持っている。
だからこそ、賢人として永い時を生き続けてきたのだ。
「……その通りだよ、ヴァン。しかし、それをフェリシアに背負わせるつもりか? お前は」
「ッ、それしか手段がないのなら……」
「君なら分かっているはずだ。今の君がやろうとしていることがただの独善であることに」
優しくヴァンの手を握るアイザック。
「……頼む、ヴァン。投降してくれ、悪いようにはしない。君がその力を使わない限り」
「アイザック……」
――間違いだった。アイザックの説得に応じるんじゃないか。
そんな期待を抱いてしまったのが、どうしようもなく、間違いだった。
ヴァン・デアトルは、アイザックの胸にその腕を突き立て、更に続け様に影の中から人間のようなものを呼び出した。
狙っているのは、フェリシアだと分かった。けれど、それよりも先に現れた”人間のようなもの”の異常さにゾッとした。
血走っているのに生気を失った顔、虚ろな瞳、それがデイビッドの言っていた”傀儡”であるということを理解するのに一瞬の間が必要だった。
「……そうか、傀儡まで作っていたか」
俺が叫ぶより先に、アイザックの言葉が聞こえ、彼の握る杖から放たれた輝きが”傀儡”を射抜いた。
フェリシアに最も近かった1体の頭を撃ち抜いて、その身体に炎を灯す。
「残念だ、本当に残念だよ、ヴァン……」
傀儡が揺らめく、その隙に俺とデイビッドはフェリシアを遠ざける。
今、アイザックが撃ち抜いた傀儡は1人。少なくとも他に3人いるし、より多くの数を用意していることも考えなければいけない。
しかし、なんだ、この炎は。アイザックはいったい、何をしようとしている?
「――コール・ブラッドバーン」
アイザックの叫びに応じるように、彼の胸元の宝石が強く輝く。
そして傀儡を燃やし尽くそうとしていた炎が、より大きく広がり、その中から全く別のものが現れてくる。
(……まるで、霊体だ。あのクラーケンの中から現れたような)
けれど、あれとはまた異なるものだということも分かった。
傀儡を燃やし尽くし、現れたのは2振りの刀を持つ鎧の戦士。
兜によって顔まで隠れたその中身がいったい何なのかは分からない。しかし、その節々から炎を吹き出す鎧は、確かに前を見据えていた。
降り注ぐ雨が、その炎によって蒸気へと変わっていく。水さえも燃やすような炎の戦士を、アイザックは呼び出したのだ。
『――お前に呼び出されるのは、随分と久しぶりだな。息災か? アイザック』
「息災で、お前を呼び出すものか……」
『フン、変わったな。戦場で悲しげな瞳をする男ではなかったのに』
言いながら、鎧の戦士は、他の傀儡をまるでバターでも切るかのように斬り捨てていく。
恐ろしいのは、斬り捨てられた傀儡にも炎が回り、同じような鎧の戦士が現れること。
いいや、”同じような”ではない、まったく同じものが複数、現れているのだ。
「な、に……?」
「――残念だったな、ヴァン・デアトル。君が得た力程度では、私を殺すことはできないんだ」
自分に突き立てられていた、ヴァンの腕を引き抜くアイザック。その背後に、4体の炎の鎧が従う。
……なるほど、そうか、これが吸血鬼殺しの力ということか。
原理は全く分からないが、傀儡によって手下を増やせる吸血鬼に対する特攻的な切り札なのだ。この鎧たちは。
『どうする? 殺すか? 殺さないのなら早々に私たちを引き上げることだ』
そう言いながら、楽しむように兜で刀を研ぐ炎の鎧。
きっと、彼に舌がついていたのなら刃を舐めているのだろう。
「最後通告だ、ヴァン・デアトル。今、降伏するのなら――」




