第9話
――ヴァン・デアトルの言葉を聞いていると、推測の域を出ないが、フェリシアとデミアンの間に何があったのかが理解できる気がした。
元よりフェリシア・マーガレットというのは稀代の女優だったと聞いている。
それこそヴァンの告げたプリマ・ディーヴァというのは、女優としての彼女に対する最大の賞賛なのだろう。
「……僕の、責務」
そしてデミアンがヴァン・デアトルの戯言をあれほど真に受けているということは、あるのだ。
どうしようもない負い目が。フェリシア・マーガレットという女性に対して。
おそらく、彼女が足を失った現場に居合わせた。救える立場にいたか、あるいはデミアンの方が彼女に助けられたんじゃないだろうか。
彼は”いつも助けられてばかりだ”と言っていたのだから。
「――デミアン! そんなの、君の責務なんかじゃない!」
「フェリシア……僕は……」
「あれは事故だった! 君の責任なんかじゃない、私は君のせいで足を失くしたなんて思ってない!」
やはり、そういうことだ。
俺の推測通りの過去があり、目の前の男は、女優時代のフェリシアの熱狂的な支持者、観客だったのだ。
だから彼は事故の経緯を知っていて、そして吸血鬼の力を得た上でそれを彼女に捧げようとしている。
「――ああ、やはり貴女は優しい人だ。だから庇ってしまったんですね、彼のことを。
誰よりも大事な貴女自身のことよりも、近くにいた彼を優先させたんだ」
「ッ……知ったような口を利かないで!」
フェリシア・マーガレットから向けられた怒りを前に、ヴァンは一瞬たじろぐ。
「……すみません。私も、公になっていることしか知りませんから。
ただ、どちらにせよ、私の力があれば過去は取り戻せる。貴女の足を私はすぐに取り戻すことができる。
私の血を使えば、傷みもなく、瞬く間にね――」
ヴァンの言葉を制するようにデイビッドが割って入る。
「聞くな、フェリシア。人間でいられなくなるぞ」
「……デイビッド」
「それがどうした? 人間を超越できるのだ、何の問題もない。事実、私は何も変わってはいない」
眼前の吸血鬼を前に、デイビッドは嘲笑ってみせる。
「何も変わっていないだと? 笑わせるな。お前言ったよな、足を治せるか試したって。
まさかそのために足のない人間を探すなんて殊勝なことはしてないんだろ?
お前は、他人の足を弾いてから、それを治せるか試したんだ。違うか?」
彼の言葉が的を得ていたことはヴァンの表情を見ているだけで分かった。
……こいつは、健康な人間の足を自分で切り落としてからそれを治したのだ。
それを経験とし、だから心配する必要はないとフェリシアに囁いている。
「……だからどうした? それが何だというんだ?」
「それが、怪物に落ちるってことなんだよ、吸血鬼。
お前は大きな力を得た。だから他人を虐げる事への抵抗感を失った。普通の人間ならば取らない手段、犯さない倫理を平気で踏み越える。
強大な力を持っているからな。だから人間に滅ぼされることになるんだ」
デイビッドは恐らく自分自身の過去に基づいた信念を口にしている。
そして、ヴァンの方はそれに首を傾げる。
「滅ぼす? これほどの力を得た私を? 人間が?」
「――ああ、そうだ。力任せに生きていると、その反動が巡ってくるもんだ。
特に人殺しをするような奴にはな」
デイビッドとヴァンが互いにその距離を詰める。
今まで口火を切らなかったのは、ヴァンの目的はフェリシアだけであり、デイビッドの方は下手に仕掛けると勝てない戦いが始まるからだろう。
しかし、フェリシアを説得できないと分かったヴァンという吸血鬼に対し、デイビッドは啖呵を切った。
ならばもう戦うしかない。始まるぞ、2人の戦いが。
「……面白い。ならば、その”反動”とやらに頼ってみるんだな。この私を滅ぼせるんだろう?」
花束を放り投げるヴァン・デアトル。
それを投擲用のナイフで叩き落すデイビッド。
しかし、距離を詰めるのには充分だった。ヴァンは既にその爪を、デイビッドに突き立てられる距離にいる。
(なんだ、あの紅い爪は……なぜ輝くんだ)
それを見つめていて思った。
マリアンナの使っていた魔法のようなものを感じると。
「ふん、力任せだな。ド素人め――」
投擲していたナイフが宙を舞い、そこから伸びる極細い糸がヴァンの手首を切断する。
……なんだ、あの軌道は? 切れ味の鋭い糸を使って手首を切断するところまでは原理だけなら理解できる。
しかし、なぜ投げ終わっていたナイフが、あのように動くんだ?
「ッ……やってくれるな、流石はフェリシアに雇われている用心棒」
「分かってるのなら、さっさと帰りな。俺はお前を通さんよ、吸血鬼」
さらに複数のナイフを指の間に構えるデイビッド。
その姿を見ていると思う。彼の言った仇を取るという言葉は本物なのだと。
彼は自分の仲間を殺した吸血鬼を殺すための技術を身に着けている。おそらく、そのための修練を積んできたのだ。
「いや、押し通らせてもらう。私は認める気などないんだ。
貴女が、あんなことで、舞台を降りたなんて、認めるものか!
必ず受け入れてもらうぞ、私の力を! 吸血鬼になるのが何だ、そんなの、イルザ・オーランドと変わるまい!」




