第4話
「――嬉しいな、私から仕入れたい情報があると言ってくれるのは」
閉店の看板を出し、扉を閉めていたはずのところに新たな男の声が響く。
その独特な声色は一度聞いただけで忘れられるはずもない。
彼だ。彼こそが賢人アイザック。この氷菓子屋を開いた少し後くらいに話題を聞きつけて来店して、その場でクラリーチェに声をかけた大魔術師。
「……居るのなら居ると言ってくださいよ、ザック」
「ごめんごめん。前にそのまま来たら人だかりができちゃったからさ」
「変装くらいしてくださいとは言いましたが、姿を消して来いとは言っていません」
クラリーチェの言葉に曖昧な笑みを返すアイザック。
……こうして見ると、彼の特異な姿もあるが、このバウムガルデンの中でも最大の偉人だとは思えない。
辛辣なクラリーチェに対して怒ることなく気さくに接してくれているのが本当にありがたい。
「――それで、何味が良いですか?」
「イチゴ、残ってる?」
アイザックの確認に頷きスッとイチゴ味の氷菓子を用意するクラリーチェ。
……こうして見ていると、冬の島で引きこもりをやっていたのが嘘みたいだし、同時に思う。
マキシマ博士やマリア姐さんと話していた時の、あの頃のクラリーチェが戻ってきてくれたと。
「しっかし、本当にまるで兎だよな。その耳って本物なのか?」
「なんなら触ってみるかい? アドリアーノくん」
「おお、良いのか? じゃあ、失礼するぜ~」
無礼さ全開でアイザックの耳を触りに行くアドリアーノ。
……しかし、アドリアーノの気持ちが分からない訳じゃない。
賢人アイザックは本当に特異な姿をしている。アドリアーノは耳だけを取り上げたが、耳だけじゃないのだ。
彼の身体はまるで兎のそれで、幼い人間の子供のような背丈をした二足歩行の兎。それが賢人アイザックだった。
「おお、柔らかい……」
「良ければ首元もどうだい? 一番温かいんだ」
「……おお、凄いな……しかしどうしてそんな身体に?」
本当にグイグイ行くな、アドリアーノめ。
最初にアイザックが来た時にこいつが居なくてよかったな。
今となってはクラリーチェとの関係が壊れることもないだろうが、初対面でこれじゃ関係が築けなかったかもしれん。
「生まれつきではないかな。幼いころに死にかけていたらしくて。
そこで養父が色々と手を尽くした結果がこれだ。なんで兎だったのかは知らないが。
しかしアドリアーノくん。そういう君はどうなんだ? その瞳、造り物だろう?」
クラリーチェが話していたか?
……いや、違うだろうな。彼女から聞いているのなら、こう鎌掛けはしないだろう。
そしてデミアンの奴が驚いている。それも当然だ。あいつには特に話していない。
聞かれなかったし、そもそも話すようなことでもなかった。
「――瞳だけだと思うか?」
「いいや、指もそうだね……身体すべてかい?」
自分の首元を触らせていたアイザックは、誘導すると同時にアドリアーノの指を掴んでいた。
それで確認していたのだ。アドリアーノの指がどうなっているのかを。
「ああ、最初からそういう造りでね」
「ほう? 興味深いね……ぜひ今度、私の館に来て欲しい」
睨み合うように見つめ合うアドリアーノとアイザック。
「良いだろう。俺のお姫様が世話になっているからな」
そうして2人がスッと距離を取る。
「さて、今日はデミアンの送別会をやっていたんだろう?」
「そうです、アイザック。ありがたいことに」
「ふふっ、良い仲間を得たようだ。一時はどうなることかと思ったが、災いが転じたようで何より」
そう言いながら、花束と手紙をデミアンに渡すアイザック。
「花束は飾りだけれど、手紙についてはアカデミアの友人たちへの紹介状だ。
繋がりが持てると思う、君に必要な相手と」
「おお、ありがとうございます。いつも助かります」
少しデミアンと話し込み始めるアイザック。
それを横目に俺はクラリーチェに話しかける。
「アイザックってアカデミアにも知り合いが多いのか?」
「そのようですね。詳しいことは聞いていませんが」
「なるほど……」
「もし必要なら聞いておきましょうか。あるんでしょう? 興味が」
こちらの意図を読み取ってくれるクラリーチェがありがたい。
本当に彼女を誘ってきてよかった。
「――それじゃ、クラリーチェ。また後で」
「ええ、今日もよろしく頼みます。終わりましたら行きますので」
「うん。それくらいには私の身体も空いているはずだ」
言葉を交わし、賢人アイザックが去ってからしばらく。俺たちはデミアンを中心にして会話に華を咲かせた。
夏の始まりから今日まで、氷菓子屋を運営し続けた思い出を話し続けていた。
そして、そろそろお開きかなとなったころだ。店の扉を優しくコンコンと鳴らす音が聞こえたのは。
「――バネッサお姉さんはいらっしゃいますか?」
声変り前の幼い少年の声は、まるで女の子のようだ。
それを聞いたバネッサは跳ぶように立ち上がり、扉へと向かった。
……扉も開けずに入ってきたアイザックとは真逆だな。こっちが開けるまで入って来ないとは奥ゆかしい少年だ。
「よう、ルティ。待たせちゃったね」
「……いえ、その、御用事があったのならごめんなさい」
「いいや、大丈夫だよ。そろそろ終わりだからさ」
真紅の髪に金色の瞳を持つルティという少年。
どういう風に出会ったのかは詳しく聞いていないが、とにかくバネッサと仲が良いのは知っている。
このバウムガルデン領の料理屋を2人で渡り歩いているらしい。
「――バネッサには王子様のお迎えですか」
「やかましい。からかうんじゃないよ、クラリーチェ」
「ふふっ、失礼。私もお暇しようかと思いましてね」
クラリーチェがスッと席を立ちあがる。
「では、デミアン。明日は会わないかもしれませんが、出発の時には」
「うん。みんなに見送ってもらえると嬉しいな」
「もちろん。見送らせていただきます」
そう言いながら、クラリーチェが去っていく。
「んじゃ、私らも行くわ。またね、デミアン」
少し遅れてルティくんと2人で去っていくバネッサ。
つくづく彼女も彼女で新しい出会いをしたものだ。
「――うちの女性陣は本当にこの街に馴染んだね」
「そういうベルの兄貴もこのあと用事あるんだろう? アドリアーノも」
「まぁ、色々とな」
アドリアーノもベルザリオも、何をしているのかは全く分からないが店を閉めた後の時間はよくどこかに出かけている。
それぞれ外に人脈を広げているのは間違いないだろう。
「――たっく、せっかく誘ってくれたのに悪いな、デミアン」
「ん? 何がかな?」
「俺とお前だけになっちまった」
今日は、このあとにデミアンがとある酒場に誘ってくれていたのだ。
しかし案の定、他の連中にはいつもの用事があって、それもあって店を閉めた直後にその場で送別会という形になった。
店を閉めた直後にしか集まる機会がなかったのだ。
「いや、良いんだ。なんとなくそうなるだろうなと思って誘ったしね」




