第2話
「――神話時代の次が教会時代と呼ばれ、その次が魔法時代という区分なんだね」
目覚めてからしばらく。私は情報収集に務めていた。
ベインカーテンの人間を全滅させ、外に出てすぐに分かったのだ。目覚めた今この時代は、私が生きていた頃から相当の時間が経っている。
――文化が違う。人間が違う。そして何より、あのアマテイト教会が天下を譲っているように見えたのが異常だった。
神の代行者を気取る彼らが”貴族”なんていう得体のしれないものと寄り添っているなんて、あり得ないとしか思えなかった。
「はい、そうなんです。えーっと、ボクもそんなに詳しくないんですけど”魔法皇帝”が魔法という技術を確立させていったって」
「その魔法というのは、アマテイト神官の御業や死霊の呪いとは違うものなのかな?」
どうも私が生きていた時代は教会時代と区分され、最低でも500年以上は前らしい。
自分自身の名、ゾルダン・ノイエンドルフについてはまだ調べていないので正確に何年前かは分からないが、私の後に魔法という技術が生まれて時代が変わったのだという。
しかし、その魔法というものが、いまいちよく分からないのだ。
私は、アマテイトの御業もサータイトの呪いも、そして私自身の吸血鬼の力も全てひっくるめて”力場”という言葉で認識していたが、それと何が違って何が同じなのか。
「後の時代からの話になっちゃうんですが、御業は神官聖術、呪いは死霊呪術という言葉に集約されていったみたいですね」
「ふむ、魔術という言葉に合わせてそう変化したということかな」
「そうみたいですね。それにしてもジェーニャさんは、本当に教会時代の人みたいに話しますね」
そんな風に優しく微笑む少女が、最近の私の話し相手。
アカデミアという、学術が異様に発展した都市で知り合った少女。
名をクリスと言っていた。
「ふふっ、ごめんね。偏っていて」
「それだけそういう文化が残った場所があるってことなんですか?」
「どうだろう。まぁ、意外と世界は広いからね。実は教会時代から目覚めたばかりかもしれない」
はぐらかすように笑ってみせると、彼女も合わせて笑ってくれる。
どうも、アカデミアという場所に来たばかりだと言ってたが、それにしては知識の吸収が良いし、何より話していて面白い。
目覚めたときに見た人間が最悪だったもので、もはや血を分ける相手も居ないかと思ったが、これならまだ絶望しなくて済む。まだまだ人の世は面白い。
「それでクリスちゃん。魔法皇帝ってのは、どうやって魔法という技術を確立させていったのかな?」
「はい。そうですね……今の時代の神官聖術というか、今の時代の神官様って真紅の髪と瞳を持つ人だけなんですよ」
「へえ、それは意外だな。教会時代では、御業を使える人間はみんな神官だった。金髪に紫の瞳で雷の御業を使う奴とか居たんだよ」
真紅の髪と瞳だけに限定していては、ただでさえ人手不足だったアマテイト教会はもう首が回らなくなりそうなものだがな。
いや、そこに関係してくるのが魔法という技術なのだろう。
「やっぱりそうなんですよね。文献を読んでてボクも最初ピンと来なかったんですけど、教会時代の神官さんは色んな人が居て」
「魔法の誕生と発展がそれを変えてしまった?」
「そうみたいです。後に魔法皇帝と呼ばれることになる人が、神官聖術と人智魔法を分断していったと」
「両者の違いの線引きは、どこに?」
ちょっと突っ込んで聞きすぎかなと思いつつ、クリスちゃんならもう読み解いているんじゃないかと思う。
今日は、かなり勉強してきて試験も近いのでその知識の確認に付き合ってほしいと言われているのだ。
「――魔力を術式の動力にしていること、いえ、この説明だと神官とあまり変わらないですね。
えーっと、魔力というものの最大の特性は、他人の命も使えることです。そこが、神官聖術との最大の差かなってボクは考えています」
……ほう、まるで吸血鬼だな。他人の命を使えるとは。
「真紅の神官にはそれができない?」
「はい。ただ、その代わりに人命を使わずとも大規模な術式を使えます」
「”太陽落とし”みたいな奴だね」
こちらの確認に頷いてくれるクリスちゃん。
まぁ、だろうな。太陽落としに人命を贄にするなんて聞いたことがない。
しかし、なるほど。人命を贄にすれば、あの雷使いもより大きな術式が使えたということか。
「だから真紅の神官だけが残り、それ以外が魔術師となった」
「そうです。魔法皇帝が現れ、他の魔術師たちに王の位を与えて教会の陣地を奪っていきました」
「ふむ、それで魔法皇帝か……」
皇帝の名が使われる理由はよく分かった。
「魔法皇帝が魔法王と共に世界を支配していた時期が前期魔法時代で――」
「――彼が死んでからが後期だろう? そして、それを打ち破ったのが初代スカーレット王」
ふむ、こうして話を紐解いていけば教会が貴族と天を分け合うのも理解できる。
魔法王とやらが技術を肥大化させていき、人口を食い潰していったのもだ。
……まるで私じゃないか。教会時代において、吸血鬼の国をいくつも造らせた私と同じだ。しかし、私は時代を取ることまではできなかった。
このクリスが楽しそうに語る歴史の中に私が居ないのは、端的に言って不愉快だ。
「そうだ、クリスちゃん。皇帝という単語がどこから来ているか教えてあげようか?
この世界で初めて皇帝と名乗った男の名を、私は知っているんだ」
「もしかして、教会時代のお話ですか?」
クリスちゃんの確認に頷く。
「君は、吸血鬼というものを知っているかい?」
「……いえ、絵物語の中では知っているんですが、現実でどういうものだったのかは」
「そうか。そうだね、吸血鬼というのは”血を媒介にする超人”というのが一番分かりやすいかな」
ざっくりと簡単に吸血鬼の説明を行う。
吸血鬼の特徴は2つ。吸血鬼が血を与えた相手は吸血鬼となる。
そして、吸血鬼が血を吸った相手は傀儡となる。喰らい尽くしてしまわない限りは。
「ほう……なんか弱点とかってないんですか? 日光の下とか、ニンニクとか」
「……聞いたことがないな。アマテイト教会とは敵対していたから、その意味では太陽は天敵かもしれないけど」
「なるほど……やっぱり絵物語とは違うんですね……」
どこかの常識みたいだな。私は知らないが、時代が500年もズレているのだ。
いろいろな尾ひれがついて当たり前というべきだろう。
「それで、その吸血鬼さんが”皇帝”って言葉にどういう関係が?」
「ああ、ごめんごめん。そう、吸血鬼なんだよ、この世で初めて皇帝って言葉を使ったのは。
吸血鬼は基本的に、その生涯で殆ど吸血鬼を生み出さない。容易く自らの血を分け与えない。傀儡を作ることはあってもね」
”吸血鬼を生み出すと、自分が倒されてしまうかもしれないからですか?”と答える彼女の聡明さに惚れ惚れする。
そうだ。吸血鬼というものは、自らと同等の存在が生まれることを何より恐れる。
神官が束にならない限り倒されることなんて殆どない。だからこそ吸血鬼なんていう同族を増やしたくないんだ。
「けれど、1人だけ例外が居た。自らの血を分け与え、数多の吸血鬼を生み出した男が」
「それが皇帝……吸血鬼に”王”をやらせた吸血鬼、ってことですか……?」
「うん。名前はゾルダン・ノイエンドルフ、最後の最後に吸血鬼殺しに敗れた吸血皇帝さ」
……ああ、あと少し、あの時に我が娘に競り勝っていれば私の名は歴史に刻まれていたのだろうか。
教会時代を終わらせて、吸血鬼時代を築くことができていたのだろうか。
そうすれば、この歴史学を学ぶ少女は我が名を当然のように知っていたのだろうか。
「――まぁ、そういうわけで途中でやられてしまったからこそ、歴史のど真ん中にはいない人物な訳だ」
「ふむ……もし、成功していたのなら、いったい何になっていたんでしょうね、その皇帝さんは」
「さぁね。きっと吸血鬼を超えた存在になっていたのだろうけれど、答えは分からない」
――あるいは、我が娘が歴史に名を残しているか思ったが、どうもそうでもないらしい。
別に調べてみれば出てくるのかもしれないが、少なくとも史学科で真っ先に教えられる内容ではないのだ。
だからクリスちゃんは知らない。私が出した名前、歴史、事件、それに対して知っているという反応を返さない。
それでも要点を押さえて反応してくれるのは、聡明で好きだ。純粋に話していて楽しかった。
「……それじゃあ、試験頑張ってね。クリスちゃん」
「はい! ジェーニャさんはまだアカデミアにいますよね?」
「うん、もう少しは。けれど、そろそろまた旅に出るかもしれないな」
このアカデミアという土地は、調べ物をするのには最適な場所だが、私の活動拠点としては最低だ。
あまりにも魔術師が多すぎるのだ。多少の傀儡と、復活したばかりで慣れぬ他人の身体では容易く討伐されてしまうだろう。
それに、魔術師相手では”私の血”に商品価値は殆どない。
「やっぱり……ちょっと残念ですが、試験が終わったらまたお会いしたいなって」
「うん。それは約束するよ。出発はそれが終わったらにしようかな。まだ行き先も決まっていないのだけれど」
行き先として考えるべきは、我が娘が生きているのならば、あいつの居場所だろう。
そのためにはこの広大なアカデミアから調べ出さなければならない。
あいつか、あるいはあいつの仲間の名前が、どこかに残っていないかを。
「では、ぜひボクに見送らせてください」
「ふふっ、嬉しいな。ありがとう、君に出会えてよかった――」
――別れの握手をしながら思う。もしも、数年経って彼女が望むのならば私の血を分けてやろうと。
そして誰よりも、私の持つ知識と力を与えてやりたい。それこそ私を倒し得る吸血鬼にまで育て上げたい。
彼女はそれだけの原石だ。優秀で、好ましい人間だ。
……けれど、そんなことにはならないとも思う。この娘は、きっと法外な力を求めはしない。
それどころか、多少の力と道理があれば私を殺しに来るかもしれない。ただの人間として、怪物の私を。
(まぁ、神官でもない彼女がそうなることもない、か)
どんな未来が待っているにせよ、こんなにも別れがたいと思う相手に巡り合えたのは本当に幸運だった。
その意味でもこのアカデミアでは一切の活動を行うべきではないだろう。
万一にでも彼女に危害が及ぶことは避けるべきだ。やがて吸血鬼の女王に成り得る可能性を秘めた少女が、傀儡程度に殺されてしまっては話にならない。
「……そろそろ夏の始まりと言ったところか」
さて、私が事を成し遂げるまでに季節はどれだけ巡るだろうか。
もしも次、このクリスという娘に会うことがあるとすれば、それはいつだろうか。
なんてことを思いながら、窓の向こう、透き通るような空色を見つめる。
(……あの向こう側に、神が居るのだろうか)




