第1話
――明確な死を迎えたはずの意識。
二度と戻らないと思っていた自我が戻ってきたとき、最初に感じたこと。
それは『ああ、あの世なんてものは存在していなかったのだな』という気付き。
死の女神など存在せず、ベインカーテンなんていうものは、死によって生じる力場を操るだけの異常者に過ぎないのだ。
私はそう確信して、すぐに思い直した。
(……いいや、まだ、死んでいるときの記憶をこの世に持ってこれないだけという可能性は残っている)
ひとつ別の可能性が浮かんでくると、また別の可能性が浮かんだ。
私は確実に死んだはずだ。自分の娘に命を絶たれ、その全てを奪われた。最後の最後で競り負けたのだ。
――だから、今ここで目覚めた私は、あの時に死んだ私ではなく、死亡時の記憶を引き継いでいるだけの別個体なのではないか?
しかし、では何故だ? 私はいったいどういう方法で、あの死に際を覚えたままに復活した?
「――手こずらせやがって、生贄の分際で」
見開いた瞳は、しばらくの間、何を見ているのか理解できなかった。
目覚めたばかりの意識に身体の機能が追い付いていなかったのだ。そして、途方もなく冷たい。
……少し遅れて血液が循環していく。冷たかった身体に熱が回り始める。
(温度が、感覚が違うな……これは、誰の身体だ?)
色々な力の使い方をしてきたが、別人の身体を使ったことはない。
しかし、身体を造り変えようとしたことはある。それこそ娘に殺された時なんて、その最終形に至る直前だった。
肉体を超越し、純然たる力場へと至る実験。その大詰めで私は敗れ去った。
だからすぐに分かった。今、熱が灯ろうとしているこの肉体は私のものではない。
それどころか恐らく、つい先ほどに死んだばかりの身体だ。
「ッ、お前のせいで大損害だ! 吸血鬼の血を、使いやがって!!」
――瞳が機能を取り戻す。
その瞬間に見えたのは、男の靴底。それは私の顔面を蹴り飛ばしていった。
まだ体の感覚は戻らない。そして蹴り飛ばされた中で私は理解する。
(……この造り、匂い、ベインカーテンの建物か)
だいたい状況は読めた。
私が意識を取り戻した理由、この身体が目の前の男にとっての何なのか。
それが分かれば、充分だ。2度もこのような下賤に足を喰らう謂れはない。
「――その足を止めろ。そうすれば痛みなく殺してやる」
ほほう、私の声は女か。そんなことに少し驚く。
そして男は私の忠告を聞いたが、足を止めることはしなかった。
というよりも、間に合わなかったというところか。
「なっ……?! 1928番、お前は死んだはずだ……ッ!」
「――おいおい、ベインカーテンの人間が随分と情けないツラを晒すものだな。
お前らは死の淵を惑わす死霊の使い手。ましてや”私の血”を持っていたのなら察しはつくだろう?」
生贄、1928番……やはり、そういう意味合いだろうな。
状況としては、被検体が反逆を起こして保管されていた私の血液を飲み込んだ。
そして血の成果が出るよりも早く、眼前の男はこの女を殺したのだろう。
だからこの身体に女の意識や魂は残っていない。そんな死んだばかりで空っぽの肉体に、私の意識が入り込んだのだ。血を媒介にして。
――あの世から魂が連れてこられたのか、それとも我が血が増殖し、私という意識を造り直したのか。
「……吸血鬼の意識、だと?」
「吸血鬼? おいおい、自分が誰の血を持っていたのか知らんのか? とんだ使い走りだな」
「ッ…………」
ふむ。誰の名前も出てこないとなると、本当にこの男は”私の血”を”吸血鬼の血”としてしか認識していないと見える。
随分と舐められたものだ。この私が有象無象の吸血鬼と同列に語られるとは。
他でもないこの私の復活を、最初に見届けるのがこの男では話にならん。
「この女は死んだ、この身体の意識はもはやこの世に存在しない。
だが、そうだな……この女が残したものがひとつある」
今、この身体の主導権を握っているのは私だ。
それどころか、他人の魂など感じさえしない。けれど、確かにひとつ思っていることがある。
ただの私1人であれば、感じないような強烈な想いが胸の中にある。
「――憎しみだけが残っている。お前らへの恨みが、どうしようもなく」
そこまで言ったところでまず、男の足を撥ねる。
久しぶりだったが問題なく力場を使うことができた。
問題なく、膝から下を切断することができた。
「ッ……ァ!!」
「喜ぶと良い。死ぬのは大好きだろう? だからお前らはこの女も殺したんだ。なぁ? ベインカーテン――」
次は腕を吹き飛ばす。こいつは今、死霊の力を使おうとした。
その触媒は腕と見えた。もし違っていたのなら何か攻撃が来るはずだが……来ない。
私の見立ては当たっていたということだろう。
「――そうだ、最後に教えておいてやろう。女神への駄賃に」
片腕と片足を落とした。このまま放っておいても、こいつは死ぬ。
そして吸血鬼として、この男の血を吸い”傀儡”にすることも考えたが、要らないな。
こいつのツラを見ていると、きっとこの身体は怒りに満ちる。特に憎んでいるのが分かるのだ。
「我が名は、ゾルダン・ノイエンドルフ。生前は”吸血皇帝”と呼ばれていたんだ――」
ただの吸血鬼ではない。この世で最も神に近づいた吸血鬼。
この世界に最も多くの吸血鬼を生み出し、その力を利用したのが私だ。
いいや、仮に娘が生きていれば、あいつの方になるか。この世で最も神に近づいた吸血鬼は――
「ふん、他愛もない。私を隔離しておいてこれか」
ベインカーテンの施設。そこにいた人間は1人残らず殺した。
他にこの女のように生贄にされていた人間が居たのなら、血を分けてやろうかとも思ったが、1人も残っていなかった。
しかし、ここで複数の傀儡と金品を手に入れられたのは幸運だったな。今後がだいぶ楽になるだろう。
元々この場所自体が、周囲から隔絶されて隠されていた施設。ここが滅んだところで、それに気付くのはベインカーテンの人間だけ。
そして気付いた頃には手遅れだ。
「……さぁ、取り戻しに行くか。
お前がまだ生きていることを祈っているよ、イルザ・ノイエンドルフ」
いいや、あいつの名はもう”イルザ・オーランド”か。
私を殺し、私の計画の成果を奪った、私の娘よ。
死んでいてくれるな。あの力を得たお前が見たい。お前がどうなったのかを知り、その力を奪い返してやる。
「良い月夜だ――我が復活に相応しい」




