第17話
「しかし、君はきっとこの道に来てはくれないのだろうな」
真摯にクリスを誘い続けたロナルドが、最後に呟く。
「……はい。きっとボクは貴方に応えられないのだと思います。
応えられる人間であれば、あの時に道を決めていました。
ウマタロウと出会って、ライドレーサーになることを望まれたあの日に」
彼女の言葉にロナルドは浅い溜め息を吐いた。
「分かっていた。だからこそ引導を渡すつもりだったんだから。
それでもだ、覚えておいてくれ。君を望んだ俺のことを」
彼の言葉に静かに頷くクリス。
そうしてロナルドは彼女のもとを去り、こちらに向かって歩いてくる。
「――彼女を元気づけてやれ。そのつもりで待っていたんだろう?」
すれ違いざま、物陰に隠れていた私に声を掛けるロナルド。
それは本当に小声で、動作もなく、彼女には気づかれないように気遣われていて、私は彼への評価を再び上げることになった。
「もちろん。貴方に言われずとも」
こちらの言葉に対して、回答はなかった。
しかし、それで良いのだ。今、私と彼は”すれ違わなかった”のだから。
――若干の間をおき、クリスちゃんの意識がロナルドとの会話から離れた頃合いを狙って物陰から足を踏み出す。
「っ、マスター……?」
この場を立ち去ろうとしていたクリスちゃんがこちらに気づいてくれた。
ここにいるはずのいない相手がいる。それが不思議だと思っているように見える。
「――うん。ごめんね、遅れてしまって。でも、試合は見ていたんだ」
私の言葉を聞いて、クリスちゃんの眼がビクッと動くのが分かる。
自分の試合を見られていないと思っていたという前提が変わったからだろう。
しかし、この儚げな表情を見ていると思う。まるで初めて出会ったあの日のようだと。
「見て、ましたか……ふふっ、凄いでしょう? ボク、2位だったんですよ」
「もちろん。素晴らしい結果だと思う。けれど、そうだね――」
彼女が気丈に振る舞っていることくらい分かっている。
2位という結果に満足などしていないことは、クリスちゃんの目を見なくても分かる。
だから、伝えたかった。私の想いを。観客として、私が感じたことを。
「――終盤、ロナルドとの一騎打ち。あの時、私はクリスちゃんのことを限界だと思っていた。
このまま決着がついてしまうのだろうと思っていた。
けれど、君はあの場で加速をかけた。もしも、あれが最初からの作戦だったのならすまない。
でも、私には見えたんだ。あの時、君は限界以上の力を出して勝ちに行こうとしていた。ロナルド・ヒースガルドに勝とうとしていた」
私の言葉を聞きながら、微笑んでくれるクリスちゃん。
涙を浮かべそうになりながらも、優しい笑みを見せてくれた。
「よく見ていますね。流石はマスターだ」
ふらりとこちらに倒れてくるクリスちゃんを支える。
彼女の体温が温かくて、壊れてしまいそうな身体が柔らかかった。
「……ごめんなさい。少し、疲れちゃったみたいで」
「いや、良いんだ。場所、変えようか?」
静かに首を横に振るクリスちゃん。
「もう少しだけ、ダメですか……?」
クリスちゃんの言葉に、私は静かに首を横に振った。
ああ、こんな華奢な身体でよくあれだけの大役を果たしたものだ。
いくら鍛えているとはいえ、こうしてみれば本当に小柄な女の子じゃないか。
「……マスター、ボクは本気で勝つつもりでした」
「うん」
「あの時、もう少しで勝てる気がして、あと少しだって、ウマタロウと全力を出して……」
「見ていたよ」
「……なのに、届かなかった! 勝てなかった! ボクは……」
ここまで感情をむき出しにしているクリスちゃんは初めて見た。
けれど、それを嬉しいと感じている自分がいた。
彼女がここまで無防備に自分を出してくれているのが、嬉しいと。
「……でも、マスター。おかしいですよね……?」
「何がおかしいんだい?」
「――ボクは、ライドレーサーじゃなかった。あいつに勝てるはずがないって分かっていた」
確かにロナルドに誘われた直後の時には、そう言っていた。
自分は好敵手足りえないと。前回のようにはいかないと。
「なのにボクは、悔しいと思っている!
勝てなかったことを、さっきだってロナルドの誘いを断ったのに、ライドレーサーになるつもりはないって言ったのに……!!」
その道に進まないのならば、悔しいと思う必要はないと、この娘はそう思っているのだろう。
なんて義理堅い考え方をするのだろうか。そんなに真面目に考えなくてもいいのに。
「……それは違うよ、クリス。私は見ていた。この3週間、真摯に練習を重ねる君の姿を。
あれだけ真剣に勝とうとしていたんだ。たとえ、この先の君がライドレーサーにならなくたって、今日までの君は本気だった。
だから良いんだ。悔しいと思って良いんだよ。3週間、本当に……お疲れ様、なんて言うことしか、できないけれど……」
いつの間にか強くクリスちゃんを抱きしめていた。
少しでも彼女に寄り添いたいと。
「……マスター、……ごめん、なさい。いつもマスターには情けないところばかり、見せちゃって」
自分の足で立ったクリスちゃんが、くるりと微笑む。
――ああ、良かった。これでいつものクリスちゃんだ。
きっと胸の奥にはまだ悔しさとか色々なものが残っているんだろうけれど、それでも。
「いいや、良いんだ。ありがたいよ、君が私を頼ってくれるのは――」




