第14話
――朝は、いつもより少しだけ寒かった。
秋という季節が終わって、冬が近づいてくる。
そう感じてしまうほど、澄み切って冷たい朝だった。
「兄さん、本当に一緒に行かなくていいの?」
”本日休業”と看板を出したライオンの中で、リオナが私に問いかける。
――これで良いのか。
クリスのライドレースを見に行かなくて良いのか。
本当にそれで良いのかと。
「ああ。よろしく頼む、クリスちゃんに」
「……分かった。何の仕事があるか知らないけど、なるべく急いでね?」
リオナの言葉に頷く。
そして私は1杯ほど、苦く仕上げたコーヒーを飲み干した。
「とうとう、この日が来たか」
――ライドレース当日、祭りに沸き立つアカデミアの中、歩みを進める。
脳裏で反芻するのは、これまでに調べた情報の数々。
前日に確認した自警団の見張り場所、そこから予測した当日の配置が、どこまで当たっているのかを確認しながら通り過ぎていく。
(……予想より手厚い。ブランテッド教授の口添えの結果と見るべきか)
これだけ手厚い警備網が用意されている中で、ライドレースに何かを仕掛けるのは至難だろう。
ならば私の出る幕などないのではないか。
何をせずともライドレースが無事に行われてくれるのなら、私は今すぐ会場に向かうべきではないか。
この入場券が、今、私の手の中にあるのだから。
「――ここで最後、か」
もしも自分がライドレースに何かを仕掛けるとして、どこからであれば、それが可能だろうかをずっと考えていた。
今日の手厚い自警団の配置を見て、私が考えていた可能性がことごとく潰されているのを確認した。
そのたびに心強い安心を感じた。それで、だ。
魔法という破格の技術、予測の及ばない領域を抜きにして、弓矢等の通常的な遠距離攻撃を想定して何かを仕掛けられる可能性のある場所。
そう考えて思い至る場所は、ここで最後だった。
(……ああ、やはりよく見えるな)
ここからならば、会場がよく見える。
浅い林の中にある若干の草原、身を隠すのにも、会場を見渡すのにも絶好の場所だ。
会場よりも高い丘の上にあるというのが本当に最適なのだ。
しかし、いざこうして立ってみると記憶の中よりも距離がある。かなり特殊な道具や魔術でなければ何も届かないだろうか。
「――なんだ、先客かよ」
草原の真ん中に立っていた。
何もなければここで試合を見届けようか、それとも今からでも走り出せば会場に間に合うか。
そんなことを悩んでいた。けれど、どうやら悩む必要はなくなったらしい。
「……盾か? 刃か?」
「フン、そんなの関係ねえさ。必要なのは誰を潰すか?だろ」
振り返りざまに話しかけてきた連中を確認する。
男が3人、風貌からして傭兵と言ったところだろう。
闇夜の盾か黄昏の刃、どちらかに属している可能性が高い。
組織に出されている偽りの依頼を受けているのか、それとももっと直接的に依頼を出されているのかは分からないが、やる気なのは間違いない。
「――ロナルド、ヒースガルドか?」
こちらの言葉に3人のうちの中核が笑う。
……彼らは、アカデミアに常駐しているわけではない、のだろうか。
この見慣れぬ顔と服装、ここら辺の人間ではない気がする。
「なら、俺たちは同業だ。
アンタ運がいいぜ、俺たちが仕事をしてやるからアンタの依頼主から報酬だけもらいな」
そう言いながら大がかりなクロスボウを取り出す男。
そこに透明な矢を掛け始める。
試合が始まったら、これで射抜くということか。
おそらくではあるが、証拠が残らないのだろうな。これを使えば。
「――変わった道具を使うみたいだな」
「おっと、詮索はしない方がいいぜ。互いのためにならねえ」
……どうも調子が狂うな。こいつは随分と気のいい男だ。
この手の稼業をしている奴が先客を見つけたら、問答無用で襲い掛かってきてもおかしくないというのに、仕事はするから報酬だけ貰えなんて。
今回のような状況でない場所で、たとえば刃の構成員同士として知り合っていたのならば、決してこちらから嫌うような男ではない。
しかしだ、こいつはクリスのライドレースに泥を塗ろうとしている。
その1点に置いてのみ、この3人は明確な敵となる。
「……同業、か」
不意打ちも可能だった。
こいつらが私のことを、同業者だと思ってくれているうちに先手を取ること自体は決して困難ではなかった。
けれど、なぜだろう。そうするつもりにはなれなかった。
「あ……?」
私の表情を見て理解し始めたのか、彼らはこちらに訝しげな目を向けてくる。
ようやく理解したか。本当に甘ったれた連中だ。嫌いではないが、受けた仕事と運が悪かったな。
「悪いな、同業じゃないんだ、私は――」
私の言葉を一番に理解した男が殴りかかってくる。
3人のうちの1人、もっとも理解力の優れていた男の拳を受け流し、その胸に手のひらを叩き込む。
そして僅かばかりの力を流し込む。殺してしまわない程度に、力の一端を解放する。
「ッ――お前、何をした……ッ?!」
意識を失った男を地面に横たえさせる。
もうしばらくは起き上がってくることはない。
「……殺しては、いない」
「んなこと聞いているんじゃねえんだよ、てめえが何をしたかを聞いてんだ!!」
クロスボウを構えるよりも速く距離を詰め、蹴り上げる。男の手首を。
そうしている間にもう1人がこちらに組みかかってくるから、それをいなし、同じように手のひらを重ねた。
「ッ……てめえ、その眼、その髪……ッ、ベインカーテンか!!?」
なるほど、ベインカーテンか。
ここでその名前を出せるのならば、聞いてみる価値はあるのかもしれない。
私の、銀色の髪と赤く濁った瞳を見て、その名前を出せるのならば。
「違うな、あいにくと私はベインカーテンの構成員ではないよ」
「それじゃあ、なんだって言うんだ! その姿で、その技、死霊の力だろう! 俺の仲間を……殺しやがって!」
腰元のナイフを引き抜き、構える男。
こちらに近接戦を仕掛けるのは不利だと理解した間合いの取り方。
しかし、自分の手元にはナイフしか武器がない。
そういう状況なのだと理解した上で最善の手を打とうとしているのが分かる。
「殺してはいない。少し眠ってもらっているだけだ」
「……ッ、それじゃあ、お前はいったいなんなんだ!?」
激昂しているだけにも見えたが、冷静に倒れている仲間たちの胸が上下しているのを目視で確認してみせた。
……ふふっ、優秀だな。魔法や呪術の類を相手にしなければ、充分以上に通用する手練れの戦士だ。
よかろう。相応しい。私の名を明かすに相応しい相手だ。
「――私の、いいや、俺の名は”ライオネル・コフィン”
聞き覚えはないか? この名に”コフィン”という姓に――」




