第13話
「――この昼食会も、今日で最後ですね」
いつもの場所、いつもの教授室で黒髪に分厚い眼鏡の変装をしたリリィちゃんがそう呟く。
クリスちゃんは前日ということもあって、ライドレース運営と何か話をしているらしい。
だから少し遅れると言っていた。
「そうだね。リリィ様のおかげで熱々の食事が用意できて良かったよ」
「ふふっ、マスターの料理あってですよ。私は温めただけに過ぎません。
加護の無駄遣いだと怒られるかもしれませんので、この事はご内密に――」
唇に人差し指を当てる黒髪のリリィちゃん。
その動作が愛らしく、どこか大人びて見えた。
「もちろん。私が食事を届けた相手はただの学院生だからね」
「話が速くて助かります。しかしマスター、明日は用事があるようで?」
……クリスちゃんの誘いを断ってしまってから数日、その話題はなんとなく避けてきたのだけれど、そうか。
リリィちゃんも知っていたか。
「うん。ちょっと外せない仕事があってね。終わり次第見に行くつもりだ。
代わりじゃないけど、リオナが行くはずだからよろしく頼むよ」
「ええ、ただ私も急な仕事が入る可能性はあります」
リリィちゃんの眼鏡、その奥にある真紅の瞳を見つめる。
「……自警団から教会に?」
「詳しいことは知りませんし、知ってても話はできないのですが、まぁ、よからぬ動きはあるようですね。
自警団もかなり頑張っているようですが、事と次第では」
ライドレース絡みで色々と動いているというあの情報屋の話は当たりというわけだ。
リリィ・アマテイトがこう言っているのが何よりも証拠になる。
「ですが安心してください。ライドレースは私が守りますから」
「ふふっ、頼もしいな。でも、リリィちゃんにも平和に見届けて欲しいと思う。クリスちゃんの晴れ舞台を」
「それはこちらのセリフですね。マスター、貴方がクリスの試合を見届けなくてどうするのです?」
……眼鏡越しなのに、随分と真っすぐな視線を向けてくるものだ。
流石はアマテイト神官、若くして様々な経験を積んできているだけのことはある。
そういう力強さを感じてしまう。
「うん、分かってはいるんだけど……」
「――まぁ、仕事であれば仕方ないですよね。クリスには本当に残念そうにしていたと伝えておきます」
「なるべく間に合うように頑張るよ。きっとあの娘の走りは今まで見てきたどれよりも美しいんだろうな」
……何度も彼女の練習する様を見てきた。ウマタロウを駆るクリスちゃんの姿を。
3週間、日が進むたびに彼女の走りはより洗練されたものへと変わっていった。
あれを見ているとロナルドが断ろうとしていたクリスちゃんを無理に誘った理由は分かったし、3週間という時間も重要だったのだと分かる。
これまでの全てが結実する舞台、ライドレース本番、それを特等席で見られないのは本当に口惜しい。
「……本当に彼女の才能には驚かされます」
「ああ、まったくだね」
――ふと、思い出してしまう。初めて彼女に出会った時のことを。
急な都合で故郷を離れ、1人寂しそうにしていた小柄な女の子のことを。
私はあの娘が大きく成長したのだと思ってしまっているのだけれど、きっとあの娘は元々そういう人だったのだろう。
ロナルドと戦ったのだって、私と出会う前のことだったのだから。
それでも、それでもだ。あの時のあの娘があんなにも頑張っている様を間近で見ることができたのだ。
だからこそ最後まで見届けたい。そこに水など差させない。どこのどいつが相手でも。
「しかし、人の出会いというのは不思議なものです。
マスターのライオンがなければ、私はクリスと出会うことはなかったでしょう。
出会っていてもそれは立場が伴うものだった」
死竜殺しの英雄とアマテイト神官としての出会いになっていたということか。
「ふふっ、私の店に来てくれた君とクリスちゃんのおかげさ。あの店は所詮”場”でしかないよ」
「しかしその場あってのことですよ、マスター」
「……そうだね。でも、そういう店になれたのは君たちのおかげだ」
つくづく、人生というものは何が起きるか分からないものだと思う。
この私が自分の喫茶店を持つようになることも、その場所がこんなにも愛おしくなることも、本当に何ひとつ予想していなかったことだ。
「そうなのかもしれませんね。巡り合わせとは本当に宝のようなものだと思います」
「こういう時にこそ女神に感謝するべき、なのかな」
「ええ、かもしれません」
そう笑う彼女を見ているととてもアマテイト神官だとは思えない。
けれど、リリィちゃんにとってそういう場所を提供できているのなら嬉しいと思う。
元々、関係者がいないということで選んでもらったお店でもあるのだから。
「――すみません、お待たせしちゃいました。先に食べててもらっても良かったのに」
教授室の扉が開き、クリスちゃんが入ってくる。
彼女のこの服装を見られるのも今日で終わりだろうな。
もう、レース服を脱いだ後の軽装を見ることもないはずだ。
「この集まりも最後ですからね。クリスなしでは始められませんよ」
「そういうことだ。今日は今までのお礼にかなり豪華な昼食を用意したんだ。ゆっくり楽しんでほしいな」




