第11話
「――2人きりですね、今日は。先ほどはお待たせしちゃってすみませんでした」
不意なロナルドとの会話からしばらく、私はクリスちゃんと昼食を共にしていた。
そう、今日は2人きりなのだ。
リリィちゃんは何か教会の用事があると言っていたし、ブランテッド教授も不在にしているらしい。
「いいや、おかげでロナルドと話せた」
「……おお、どうでした?」
「なんというか、自信にあふれていて逆に気持ちのいい男だなって」
私の言葉に笑みを浮かべるクリスちゃん。
「分かります。なんか嫌いになれないんですよね。
特にライドレースに対する美学を持っているところが嫌いになれない」
「ふふっ、けれどあいつに『素人が俺と戦おうというのか』みたいな感じで詰められると大変そうだ」
想像と推測で披露したモノマネにクリスちゃんが笑ってくれる。
「本当に大変でしたよ。けれどあの人がもう一度ボクを誘ってくれたのは、まぁ、正直に言うと少し嬉しかった」
「あの男に認められるのは、確かに嬉しいかもしれないね」
「それもそれで癪に障るんですけどね。あんな態度の男に振り回されていること自体に」
そう言いながらクリスちゃんの笑顔は柔らかいものだ。
なるほど、ここまで来てようやく理解できた。
クリスちゃんがロナルド・ヒースガルドという男に対して、嫌悪と好意、その両方を持ち合わせているように見えたことが。
「――ねぇ、マスター。このあと時間、あります?」
私を誘うクリスちゃんの表情がやけに大人びて見えた。
そして、そんな彼女の誘いに乗った私は今、ウマタロウくんの上にいた。
目の前にはクリスちゃんがいて、その後ろで私は跨っていた。
「……おお、馬に乗るなんて久しぶりだ」
「乗ったことあるんですか?」
「まぁ、軽くね。それにしてもウマタロウって変わった名前だよね?」
どこの地域の名付け方なのだろうか。かなり独特な言い回しな気がする。
「――ボクの故郷風の名前なんです。この子に名前を付けたのはボクでして」
そう言いながらウマタロウくんのたてがみを優しく撫でるクリスちゃん。
彼女の指先を見ていると、本当に彼のことを大切にしているのだと分かる。
「ね? ウマタロウ」
「ヒヒン。ヒンヒン?」
「そうだね、軽く走ろうか」
……え? この娘は馬と会話できるのか?
「じゃあ、マスター。しっかり掴まっててくださいね?」
「分かった。よろしく頼むよ」
変に触れてしまわないように少し気を遣いながら彼女の腰に腕を回す。
ギリギリ密着はしていないはずだけれど、それでもクリスちゃんの高い体温が伝わってくる。
「しっかり掴まっててくださいね?」
「どうして二度同じことを?」
「ふふっ、分かってるでしょう?」
……言われるままクリスちゃんに回した腕を少し締め、彼女の背中に密着する。
小柄な背中なのに、とても頼もしいと感じている自分がいて、少しだけ恥ずかしくなってしまう。
「それじゃあ、行きますよ?」
彼女の言葉に合わせ、ウマタロウは走り出した。
――自分ではない力で走り、風を切る。馬という他者に揺られる。
なんとも言えない独特な感覚だ。
「――ねぇ、クリスちゃん」
「なんですか? マスター」
「ウマタロウと出会ったのっていつのことなの? ロナルドと戦った時?」
なんとなくそうなんだろうと思っていたんだけれど、詳しく聞いたことはなかった。
それにウマタロウの名付け親がクリスちゃんというのはいったいどういうことなんだろう?
「ええ、前にロナルドと戦った時です。故郷からアカデミアへ向かう旅の途中でした。
誰にも懐かない暴れ馬と出会いましてね」
「それがウマタロウくん……?」
今、こうして彼の背中に乗っているとそんな暴れ馬だなんて思えない。
とても従順で優れた馬だとしか。
「はい。ライドレースに参加させたいのだけれどレーサーがいない、どのレーサーとも気が合わない。
それで、この子を育てていた調教師さんは探していたんです。この子に乗れるライドレーサーを」
「それで君が乗れたというわけか……」
だからこそ素人なのにもかかわらずロナルド・ヒースガルドと戦うことになった。
「その調教師さんというのも凄まじい執念だね」
「ええ。前回の開催地に住んでいたというのもあるんでしょうが、それ以上に信じていたんだと思います。この子の才能を」
だからこそ多少の無茶をしてでも、ライドレース間近まで探していたというわけだ。
最高の馬に乗れるライドレーサーを。
「それでクリスちゃんが名前を付けたというのは?」
「どうも”ならわし”みたいで。ライドレースに初出場した馬には、そのレーサーが名前を付け直すというのが。
そしてウマタロウは結局ボクにしか懐かなくてボクが預かることになりました」
なるほどな……ここまでの経緯がようやく理解できた。
「でも、少し悪いことをしてしまったかなと思っています」
「そうなのかい?」
「……結局、ボクはウマタロウの才能を開花させてやれなかった。ボクはあの時から今の今までライドレーサーではなかった」
ウマタロウという才能に賭けていた調教師さん。
それに応えることができ、かつ、だからこそウマタロウを託されたクリスちゃん。
そんなクリスちゃんがライドレーサーをやっていないのは、彼の才能に応えていないというわけか。
「……かもしれないね。でも、その調教師さんが君にライドレーサーになってくれと頼んでいたのかい?」
「いえ……その約束はできないと断ったうえで、それでもボクに託したいと」
「ならそれで良いんじゃないのかな? ウマタロウくんがライドレースに出たいと言っているのなら話は変わるけれどね」
……ロナルドが言っていたことを伝えようかとも迷った。
あいつは君に”引導”を渡そうとしていると。
けれど、それを私の口から伝えるのは違うだろう。
それはきっと、戦いの中で気づけばいいだけのこと。
だから私は、私の言葉を紡ぐ。迷う彼女に向けて私自身の言葉を。
「クリスちゃん。私は思うんだよ。人は、求められるように生きる必要はないって。
自分の生き方は自分自身で決めるものだ。
たとえどんな才能を持っていようとも、自分が求めるように生きていくべきだと思うのさ」




