第5話
「すみません、お待たせしちゃって」
翌日、クリスちゃんにお昼を届けるという3週間ばかりのお仕事の初日のことだ。
アカデミア内部にある運動場の一角がライドレースの練習用に借り上げられていて、彼女はそこで練習をしていた。
昼よりも少し早い時間に届けたのだけれど、もうすぐ練習が昼休みに入るから一緒に昼食でもどうですか?と誘われたのだ。
「ううん。良いものを見せてもらったよ、本当に騎手さんなんだね」
「どうでしょうか。ボクは真似事をしているだけです。
それでも本物に喰らいつかなければいけない。あの日のように」
先ほどまでのレーサー用の重装備から軽装に着替え、手拭いで汗をぬぐうクリスちゃん。
本当に活発で愛らしい女の子だ。
そしてこのギラついた瞳を見ていると、ロナルドの言っていた勝負師だという言葉もよく分かってくる。
「こっちこそ本当に良いのかい? 配達人と一緒に食事だなんて」
「良いんですよ、マスターが相手ですからね。それにこんなに多いとボク1人じゃ食べきれませんし♪」
「……それはごめんね。激しい運動をしているからしっかり食べた方が良いかなって」
ライドレースの練習の激しさを考えたのと、足りないよりは多い方が良いだろうという精神でかなりの量を用意したのだ。
それで、クリスちゃんはその量を見て一緒に食べましょうと誘ってくれた。
……料理人としては少しふがいない結果だが、クリスちゃんと昼食を取れることは素直に嬉しい。
「――それにしても学院って独特な建物だよね」
「マスターもそう思います? やけに大きいし、なんかこう、未完成というか欠けているって感じがしますよね」
クリスちゃんが出入りしている教授室で食事を取れるというのでそこに向かっていた。
その途中、歩き進めてみて、ふと思ったのだ。
学院としてのアカデミア、その建物は他に見たことのない造りだなと。
そもそもこれだけ広大な造りをした建物というだけで類はないのだが、それ以上にこの形に違和感があった。
「……塔にする予定、だったのかな?」
「でも、土台がこんなに大きいとなるとどこまで伸ばすつもりだったのか」
巨大な円錐になるはずのものが、頭を切り取られたようにも思えるがどうなんだろう。
学のない私ではどうにも分からない。
「クリスちゃんはこういうのは調べてないの?」
「……実は調べようとしたことはあるんですよね」
「答えが出なかった?」
こちらの確認に頷くクリスちゃん。
「どうもこの建物自体は、アカデミアのために造られたわけではなく既にあった建物を使ったらしいんですが、そもそもこれが何なのかが分からないんですよ」
「こんなに大きな建物なら何かしら分かりそうだけどねえ」
「魔法時代の産物であるのは確かですからね。あの時代なら何が造られていてもおかしくなくて」
魔法時代ってなんだ……?なんて情けないことを思いながら、思考を巡らせているクリスちゃんを美しいと感じる。
本当にこの娘を見ていると、知識を得ていくということは素晴らしいことなのだろうと憧れていく。
今までなかった感情だ。そんな余裕のある人生を歩むことができなかったから。
「どこの誰が造ったのか分からない建物を使って、学術都市を造ったということなんだね」
「少なくとも文書上の記録ではそういうことになっています。当時の意思決定に関わった人に取材とかできれば一番なんですが」
「……生きていないんじゃない?」
こちらの質問にニヤリとした笑みを浮かべるクリスちゃん。
「どうでしょうかね、普通なら生きていないとは思うんですが」
「……普通じゃないことがあるのかな?」
「アカデミアの設立は、王国建国から近い。魔法時代には不老になる術式は確立されていました」
「その術式を使っている人間が、アカデミア建設に関わっていたとしたらってことか」
ところどころ用語は分からないが、クリスちゃんの言いたいことは理解できる。
しかし、当時から生きている人間なんてロクなもんじゃなさそうだ。
「まぁ、基本的に今のアカデミア教授陣にその手の不老人は居なさそうなので殆ど無理筋なんですけどね」
「確かに聞いたことはないね。別の地方には居たりするのかい?」
「……どうなんでしょう? 居ないってことはないとは思うんですよね。ボクもそういう人に取材ができたから論文も書けましたし」
はえー、あの論文というのはそういう経緯があったのか。
確かにまだ若いクリスちゃんが大きな成果を出せた理由としては納得ができる。
「ただ、そういう人が”アカデミア設立の経緯を知っている”可能性はかなり低いんでしょうね」
「当時の人ならある程度は知っているんじゃないのかい?」
「まぁ、ある程度は知っているでしょうけれど、この手の文書に残していて当然の話についての”さらに奥”を知っている人は限られるかなと。
当時の風習とか常識とかの文書にしないようなことについては無限に聞き出せるんですが」
……文書にしないようなことについては、不老の人間に当時のことを聞けば新しい知見が得られる。
文書にするようなことの”さらに奥”については、同時代に生きていたというだけでは真相を知らない可能性が高い。
という話か。……いやはや、よく考えているものだ。さっぱり考えたこともなかった。
「いやはや、凄いね。クリスちゃんは。凄く博識だ」
「ふふっ、褒めてもらっても何も出せませんよ?」




