第2話
「――シチュー2人前とパンを3つ」
クリスちゃんと2人、のどかな時間を過ごしつつ、お昼に差し掛かった時だ。
扉が開くなり、聞きなれた女性の声が聞こえてきた。この店の数少ない常連さんのもう1人の声が。
「はいよ。朝、食べ損なった? リリィ様」
「――様は不要ですよ、マスター。今の私はただの客に過ぎませんから。
そして質問に答えます。朝は食べ損ないました。休みのはずだったのに急な仕事が入りまして」
やっぱりか。ムスッとした表情を見ているとよく分かる。
おなかがすいているときの彼女はいつもこうなのだ。
「いや、なんか1日1回は様と着けないと不敬かなって。
それでは、敬虔な信徒である私からの心添えとして追加のパンをジャムで食べながらお待ちください」
「……ありがたい。空腹のときに加護を使うと本当にクラッと来てしまって」
――アマテイト神官のリリィちゃん。
最初にこの店に来た時には、何かしらの捜査かではないかと冷や汗をかいたものだけれど全くの杞憂だった。
教会から程よく近くて、関係者のいない店を探していたと常連になった後に教えてくれた。
そして、いつもスッと現れては1人の量とは思えない料理をペロリと平らげてサッと帰っていく。
本当に嬉しい常連さんだ。
「急な仕事とは残念だったね。何かあったの?」
「なんか遠方からの貴族の使用人が移動中に怪我をしたみたいでして。金にモノを言わせて教会を動かしたんです」
「おー、それで休みなのに駆り出されたと」
こちらの質問にコクコクと頷くリリィちゃん。
まったく、命に関わらない限り、神官様の加護は順番待ちだというのに金を積めば何とかなるのか。
「地獄の沙汰も金次第ですか? 穏やかじゃないですね」
「……クリス、この話は論文にしないで、いえ、してもらいましょうか。教会を改革します」
「いやぁ、でも運営資金の確保は急務ですし仕方ないんじゃないです?」
書き進めていた自分の論文の手を止め、リリィちゃんの話に応えるクリスちゃん。
喫茶ライオンの常連さん同士、2人は仲が良いのだ。彼女たちがそうなっていったのをよく見ていた。
「むむむ、クリスはそういう考えですか」
「まぁ、金で順番を飛ばしたために誰かが亡くなったとかなら考えた方が良いとは思いますが、そうでないのなら別に問題はないんじゃないでしょうか」
「うーむ……となると、聖術による治療希望者名簿のうち、受ける前に亡くなられた案件をまとめる必要がありますね」
――あるのか。そんな事案が。
私がそう思ったように、クリスちゃんもそう思ったらしい。
その視線が随分と鋭いものに変わった。
「あるんですか? リリィさん」
「ええ、このアカデミアだけでも年に数名は。まぁ、大半は老衰に近いので女神の加護でどうにかなるような話でもないのですが」
「その大半がどこまで大半なのか?って話ですよね……」
コーヒーを飲みながら、軽く考え始めるクリスちゃん。
こうして見ていると本当に才女という感じだ。
「……金で順番を早めるケースはどれくらいあるんですか?」
「まぁ、私もその手の勘定に詳しい訳ではないのですが、それなりの数はありますね」
「統計を取ったら、結構えげつない話になりそうですね……」
2人が深刻そうな話をしている間に、シチュー2人前とパン3つを用意する。
それを差し出すとリリィちゃんの表情もほころんだ。
「――いただきます」
礼儀正しく食事を始めるリリィちゃん。
パンをちぎり、シチューをすくっていくその手早い姿を見ていると彼女は急かされる人生を歩んできたのだと分かる。
……いや、リリィちゃんの場合は食事を通さずともそうだと分かるか。
「この話を深堀りすると、案外結論は、金で順番を変えようが変えまいが助かるはずの人間が助からないって所に行きつくかもしれませんね」
「神官の絶対的な不足、それが主な原因になると?」
「ええ、もしボクがこの話を取材するとしたら力を貸してくれますか? リリィさん」
パクパクと食べ進めていたリリィちゃんの手が止まる。
「――取材までは協力できても、表に出せるかどうか」
「アマテイト教会内部で使われる改革用の資料作りに留まるという訳ですか。それではボクに旨味がありませんね」
「むむむ……現金報酬ではどうですか?」
リリィちゃんの問いに『金額によります』と答えるクリスちゃん。
……いやはや、私はいったい何を見せられているんだろうか。
「分かりました。少し考えさせてください……私にもう少し時間があれば、すぐに状況を整理して頼むかどうか判断できるのですが」
「まぁ、無理はされないほうが良いと思いますよ。代わりのいない身体なんですから。
それに内部の制度改革みたいなことに、外の人間を引き込むと軋轢が大きいかなって」
もぐもぐとパンを頬張っているリリィちゃんが頷く。
確かに神官とはいえまだ若い彼女が、同世代の少女を連れてきても説得力に欠けるか。
たとえそれがクリスちゃんほどの才女であろうとも。
「……確かにそうですね。まぁ、何かの時には力を貸してください。貴方ほどに論文を書ける知り合いがいないもので」
「もちろん。今みたいな大掛かりなことには報酬を求めますが、多少のことなら何でも聞きますよ? リリィさん」
クリスちゃんの鋭利な笑みに、微笑み返すリリィちゃん。
まったく年頃の娘同士とは思えないやり取りだった。
少しこっちまで緊張してしまった。けれど、リリィちゃんはまもなく食事を終える。
恐らく終えたらすぐ帰ってしまうだろう。そうなればまたクリスちゃんと2人きりだ。
「――クリスティーナ・ウィングフィールドはここにいるか?!」
……私の淡い期待は、リリィちゃんが去ってからの静かな時間は、あっけなく崩れ去った。
聞きなれぬ男の大声が、破壊したのだ。




