第5話
『――ほう、サータイトですか』
俺の姓、背負う家柄を聞いたリーチルの反応が敵対的なのか、友好的なのか。
それはまだ何ともいえなかった。
ただ、彼女の表情を見ているとサータイトという名前に聞き覚えがあるのだとは分かる。
『デミアンさん。あなたはスカーレット王国のご出身でしたね?』
「ええ、その通りです」
『ふむふむ、では、ロバートさんの名字を聞いた時には驚かれたでしょう?』
――どういう、反応なんだ? これは。
デミアンのように拒否感を露わにするような警戒心を持っていないことは分かる。
しかし、サータイトを死の女神だと思っていないのなら、デミアンに驚いたか?なんて聞くだろうか。
「はい……王国では、サータイトとは死の女神の名前ですから」
『そのようですね。随分と昔からそういうことになっているとは聞いています』
……俺たちのような”旅の者”から聞いたということだろうか。
「リーチルさん、あなたが知るサータイトとはどっちだ? 死の女神なのか、それとも」
『――慈悲深き冬の女神。それが私の知る彼女です』
デミアンが驚いているのが分かる。
そして同時に俺は、やはりそうだと思っていた。
「あなたはいつにサータイトを知ったのですか? あなたはどれだけ生きてきているのです?」
『――私の生の永さを語るには、日の上り下りでは短すぎる。
明確に数えてはいませんが、人間が生まれて死ぬよりは遙かに永い』
なるほど、妖精らしいというか、この島に1人で生きているのなら時間という尺度も曖昧になるか。
『そして私が彼女を知ったのは、いいえ、見たのは本当に昔のことです。
彼女は傷ついていて、深い眠りに着くと言っていた。
邪な者が、近づくことの無いように守って欲しいとも』
――?! この人は、サータイトに会ったことがあるというのか?
「邪な者とはなんだ? なぜサータイトは傷ついていた?」
『……彼女は何かしらの敵と戦っていたようですが、詳しいことは教えられていません。
私も辺境の妖精でしたので外のお話には疎くて。
ただ、彼女に力を与えられた恩もありましたので、昔からずっとこの島で冬の島を守り続けてきました』
力を与えられたから、冬の島を守り続けてきた。
その言葉の意味するところが何なのか、俺は分かりかねていた。
推測を立てるのならば、冬の島にスカーレット王国の人間が入って来ないようにしていたのではないかとは思うが、確証はない。
「力を与えられたというのは? 冬の島を守り続けてきたというのは?」
『この姿になるだけの力を与えられたということです。
島を守り続けてきたというのは、冬の島に不用意に人々が入らないようにしています。これらの力でね』
スッと提示される7つの宝石。
白、赤、青、緑、琥珀、黄、黒の7つ。
そうか、俺の持つ青とクリスの姉ちゃんがくれた虹色以外にもこんなに。
「……7つもの種類が」
『ええ、光・炎・水・風・土・雷・闇、この7種類が私の扱える宝石の全てです。
それ以外にもあるのかもしれませんが、基本はこれで網羅しています』
この7つの宝石を使って、冬の島を隠し続けているのか。
いったいどういう組み合わせでどれだけ高度なことをしているのか。
こちらが出てくるときに何の障害もなかったことを考えると物理的なものではなく、幻覚の類いだろうか。
「……私はひとつ、それ以外のものを持っています」
『ほう、流石は女神の息子。いったいどのようなものをお持ちですか?』
興味を示してくれたリーチルに応えるため、腰巻に仕舞っていた虹色の宝石を取り出す。
10年前、クリスの姉ちゃんが俺に託してくれたもの。
俺とドロップでは扱えないものだ。
『……ほう、虹色ですか』
「今の俺とドロップじゃ扱えないものなんだ」
リーチルが虹色の宝石を手に取る。
『……随分と複雑に絡み合っていますね、どの色にも輝くとは。
私にもこれを扱えるかどうかは。いったいどこで手に入れたものなのです?』
「10年前に、とある人に貰ったんだ。竜に乗って空の上から来た人に」
竜という単語を聞いてデミアンの表情が歪んだのが分かる。
けれど、話に首を突っ込んでくる気はないらしい。
……なんだ、サータイトが死の女神であるということ以外にも決定的な認識のズレが存在するというのか。
『竜ですか……少なくとも私が関知している相手ではなさそうだ。
……空からの来訪は確かに考えていなかった』
「リーチル、あなたは冬の島に流れてきた人間の全てを把握しているのか?」
こちらの問いに対し、緑色の視線を静かに向けてくるリーチル。
人間離れした瞳が本当に美しい。
『把握しています。と言いたいところですが、気付いていないものがないとは言い切れません。
それこそ竜に乗った人というのは全く知りません』
「じゃあ、10年前に小さな女の子が来なかったか? 俺の少し上くらいの歳なんだ」
リーチルの表情が少し柔らかなものになる。
『マリアンナ・ヴィアネロ、でしょうか。ちょうど少し前にもあいさつに来てくれました。
あの日、助けてくれてありがとうと。彼女が王国に戻るということは決して楽な道ではないのでしょうが、彼女の決意は固かった。
人間というのは素晴らしい生き物です。あの日の幼き少女があんなにも強く輝く存在になる。彼女はここにあるどの宝石よりも輝いて見えた』
ッ……この人は、出会っているのか。
マリアンナが冬の島に来た時も、そして冬の島から出ていった時も……!!
「どうして、マリアンナは冬の島に通したんだ?」
『彼女は逃げてきていた。王国で命を狙われていると言っていた。
私はそれを信じたのです。だからこそ冬の女神へと案内することが最善の手だと思った。
まさか、大きくなって再び王国へ乗り込むとは思っていませんでしたが』
冬の島への出入りを管理しているのは、彼女なんだ。
特に王国から海路を使った時には彼女が門番をしているんだ。
「……冬の島には、冬の島から出て行って戻ってきた人間はいないという言い伝えがある。
それも貴方が仕組んだことなのか?」
『出ていった人間を決して帰さないということを決めている訳ではありません。
ただ、王国の領軍などを連れて開拓しようとする人間は通してはいません』
なるほど……だいたいではあるが概要が分かった気がした。
冬の島への帰還者がいないこと、マリアンナが流れ着いたこと、リーチルが冬の島の守護者であること。
なんとなくではあるが話が見えてきた。
「俺は、戻って来いと言われている。サータイトの神子に、世界の始まり、全てを知り戻って来いと」
『それが真にサータイトの望みであるのならば、私が貴方を止めることはないのでしょう。
ただ、その時の状況次第だ。天運がどう転ぶか、そしてあなたがどう生きてどう戻ってくるのか。
もう一度ここへ、あの島へ戻るときに全てがあなたを試すのだろう』
――けれど、もしもあなたが今ここで冬の島に帰るというのなら止めるつもりはありません。
そうリーチルが続けた。
まだ、帰れる。何に試されることなく、冬の島に戻ることができる。
「忠告ありがとう。けれど俺はまだ帰れない。俺は持ち帰らなければならない。
外の世界の全てを、その全てを記し、帰るんだ」
『信じた神が、死の女神とされる世界で生きるのは苦難を伴いますよ』
俺の信じてきたもの、冬の島で培われた価値観、信念。
その全てが試されるのだろう。我が女神が否定される世界では。
それでもだ。俺は外の世界を知りたい。
かつてクリスが待っているといった場所、かつてマリアが来てはいけないといった場所、なぜそこで俺たちの女神が死神として扱われているのか。
眠る前のサータイトを傷つけた相手は何なのか。その全てを知りたい。知らなければならない。
「――苦難は承知の上だ。それでも俺は外の世界を知りたいと思った。だから今ここにいる。だから先へ行く」
『ふふっ、本当に人間というのは素晴らしい。私もあなたが帰ってくるのを待ちたくなった。未来のあなたを見てみたい』




