第2話
――漂流していた男を助け、謎の触手から逃げ延びて辿り着いた小島。
酷い熱を出している彼を救うためには、この振り続ける大雨を凌げる場所を見つけなければいけない。
そう思いながら進み続けた森の中、俺たちは丁度いい洞窟を見つけることができていた。
「……ここって無人島、じゃないんだろうか」
この”丁度いい洞窟”というのが、本当に気持ち悪いくらいに丁度良くて、複数人分の毛布が放置されていたのだ。
奇妙だとは思ったが、完全に濡れ切って体温を奪うだけの服を着ているよりはマシだと思い、危険がないかを確認してから有難く使わせてもらった。
うなされている男の服を脱がせ、毛布で包み、俺自身も上着を脱いだ。下着の方は体温で乾かした方が早い。
『んー、どうだろ? とりあえず服の水、抜いておく?』
「頼めるか?」
『カピカピには乾かないと思うけどね』
ドロップの言葉に、構わないと答えて、服の脱水作業を彼女に任せる。
そしてうなされている男が掛けている眼鏡を取り上げた。このままでは寝返りで壊してしまいそうだったから。
「……王国でも、眼鏡は作れるってことか」
この男がスカーレット王国の人間であるという確証はないが、少なくともマキシマ博士のような日本人ではないだろう。
顔立ちの種類が違う。マキシマよりは俺たちに近い。
しかし、冬の島に眼鏡というものを持ち込んだのはマキシマだった。
生まれつき目が悪かったクラリーチェのために、魔術師だったマリアンナと共に眼鏡を造り上げていたのだ。
(そういえばマリア姐、元々眼鏡ってものの存在自体は知っていたもんな……)
しかし、この男は何故たった1人で小舟に乗って漂流していたのだろうか。
いったい何があってあの状況に追い込まれたのか。
『……ねむってるね』
「ああ、呼吸も安定してきたし、しばらく安静にしておけば何とかなるだろう」
深い溜め息を吐き出すと、全身に疲労が回ってくる。
今まで気になっていなかった疲れや痛みが、全身から伝わってくる。
……かなりの無茶をしたのだ。これで済んでよかったと考えるべきだろう。
しかし、これからどうするべきか。仲間たちの元へ帰ることができるのだろうか……
「――あの、すみません」
聞きなれぬ男の声に身体が反応し、自分が意識を失っていたことに気づく。
そして、瞳を開いたことでもうひとつ理解した。
俺が助けた男は、無事に目を覚ましたのだ。
「そこに水筒が置いてあるだろう? 飲んでくれ、酷い熱だった。汗で喉が渇いているはずだ。
眼鏡もそこだ、壊れてしまわないように外しておいた」
「えっ……あ、ありがとうございます……あなたが、助けれてくれたんですよね?」
眼鏡をかけ直した男の顔を見つめる。なかなかに端正な顔立ちだ。
短い黒髪が艶やかで、飯に困っているということはないように見える。
「ああ。いったい何があったんだ? アンタみたいな病人がたった1人で小舟に乗っているなんて」
「っ……あの避難艇だけ、でしたか? 近くに他の避難艇や大きな船の残骸は、なかった……?」
記憶を手繰り寄せるように、恐る恐る質問をしてくるその姿を見ていると理解する。
何か、とてつもなく恐ろしいことに巻き込まれたのだと。そして、彼が想像している現実と俺が見た現実は全く違う。
彼が彼の置かれていた状況から未来を予測した場合、彼が言ったような状況になっているはずだということか。
「ああ、なかった。大雨だったからそれほど遠くまで見通せていたという訳じゃないけれど、近くには何も」
「……っ、そうなると、まさか……」
「ちなみにアンタが意識を失っている間、真っ白な触手に襲われた。だからアンタの小舟を壊してしまったし、俺たちはここに逃げ込むしかなかった」
俺の言葉を聞いて男の顔が一気に青ざめていく。
「……夢じゃ、なかったんだ。悪魔だ、悪魔に襲われた、クラーケンだ!」
「クラーケン?」
「イカです、巨大な、腐りかけのイカだ。逃げるときに見たんだ、きっと死霊の類いだ、ベインカーテン……」
イカという単語は理解できる。クラーケンが”悪魔のようなイカ”を指しているということも。
しかし、なんだベインカーテンという聞き慣れない単語は何を意味している?
「今は近くにあった島に逃げ込んだから大丈夫だろうが、そのクラーケンとやらはまだ海にいるはずだ。気が変わっていなければ」
「っ……なんてことだ、すみません、巻き込んでしまって、よく助けてくださいました……」
「気にするな。あれだけデカい奴なんだ、どっちにしろ出会っていたはずだ」
しかし、この先をどうするべきだろうか。
俺がこの島に辿り着いたということは、おそらくスノードロップの連中なら分かってくれる。
助けに来てくれるはずだ。けれど、問題はあのクラーケン。あいつに狙われて4人が無事に済むか?
「……このご恩は一生忘れません」
「ふふっ、大げさだよ。けれどそう言ってもらえると助けた甲斐もある」
毛布から白い腕が伸びて、男が水筒を口に運ぶ。
顔色も先ほどまでよりはよくなってきたように見える。
しかし、見知らぬ半裸の男と2人きりというのは自覚してみると異様な状況だ。
「……僕は、デミアン・リースマンと申します。アカデミアの学院生です」
アカデミアというのは、いったいどこだ? スカーレット王国の人間なのか?
そういう疑問がありつつも、この色白で細身な男の名前は分かった。デミアン・リースマン、俺が助けた男の名前だ。
「よろしく、デミアン。俺の名前は、ロバート・サータイトだ。
もしかしたら知らないかもしれないが、ここら辺より少し遠い冬の島から来た」
「……サータイト、ですか?」
青ざめた顔で俺の名前を聞き直してくるデミアン。
なんだ? 何かマズいことでも言ったのか? 俺は。
「ああ、俺は神子の家系でね。神子としての力は何も持っていないが、氷停神に仕える一族ではある」
「……氷停神? その名前が、サータイト……?」
「なんだ? サータイトの名前がそんなに珍しいのか?」
デミアンがガバッと飛び起き、その身を縮める。
その動きだけで分かる。こいつは格闘などの技術を全く身に着けていない。
「冷えるだろう、毛布くらいくるまっておけ」
「っ~~~!!!」
「男同士で恥ずかしがることもないんじゃないか?」
服を脱がせた時以来にデミアンの半裸を見たが、その手のことを気にする部類だったか。
悪いことをしてしまったかもしれない。
しかし、こいつはなぜ、サータイトに反応する? スカーレット王国の人間は知っているのか? サータイトを。
「……本当にサータイトの家系の生まれなの……?
助けてくれたのに! 僕を、あのクラーケンから助けれてくれたんでしょう……?」
どうも俺の知るサータイトと、デミアンの思っているサータイトには随分と大きな開きがあるらしい。
「それとこれと何の関係がある? あの触手と俺たちの女神に繋がりはない」
「嘘だ! だって、サータイトだよ? あの、死の女神だ、ベインカーテンが祀る、死を広げる女神がサータイトじゃないか!」
――サータイトが、死の女神だと?
なんだ、いったい何が、どうなっているんだ……?
「っ、なんだよ、それ……サータイトが死を広げる……? いったい何を言ってるんだ、お前……?!」




