第9話
「――おかえり、みんな」
成人の儀を終え、それぞれがそれぞれに受けた神託を胸に秘めた俺たち。
それを迎えてくれたのは、ベルの兄貴だった。
……1年前、彼が受け取った神託は何だったんだろうか。あの日、教えてくれなかったものを聞き出そうとするほど野暮ではないがそれが気になった。
「ただいま、兄貴。1年遅れで受け取ってきたよ、神託」
「うん。表情が変わったよ、ロブ。そして、みんなも」
フッと笑みを浮かべてみせる兄貴。
そうしてから彼は踵を返した、俺たちと同じ方向を向いた。
「――船の用意は終わってる。あとは最後の荷物とあいさつを済ませれば、出航だ。
それぞれ、悔いのないようにね」
告げたベルの兄貴は、家族の元へと向かった。
妹と弟たち、そして両親の待つ場所へ。どうせ成人の日だ、島の大半は神殿の近くにまで来ている。
一種のお祭りなのだ、今日は。そして俺たちはこの祭りの中に出航する。
「ねーちゃんによろしくな! あにき!」
「マリアさんと仲直りしてくださいね、兄さん」
「……うん、頑張るよ。ありがとう」
ベルの兄貴が妹と弟たちの頭を撫でている。
こんなのどかな光景を見るのも、これで最後か。本当に。
「……ドラーツィオ家の鍛冶技術、全てを託せなくて惜しいよ」
「父さん……」
「だけどな、ベル。お前はお前の鍛冶を学べ。それができるだけの基本は教えたつもりだ」
スッと背筋を伸ばすベルの兄貴。そして、自分が鍛えた剣を掲げた。
「はい。貴方の教えを受け継ぎ、僕は僕のドラーツィオ流を見つけます。
今までの恩を返せないこと、お許しください。父さん――」
「……いいや、そんなことはない。お前が生きていてくれるだけで、恩は返してもらっているよ、ベルザリオ」
ドラーツィオ家の別れを、見つめていた。
そんな最中だった。バネッサの親父さんに声を掛けられたのは。
「とうとう船出か。坊ちゃんよ」
「……すみません、バネッサのこと、連れていきます」
「おいおい、なんでアンタが謝ってんのさ。行くのは私の意思だよ。ロバート」
確かにバネッサの言う通りではある。けれど、俺はこの旅路の発起人だ。
これくらいの責任は感じている。
「――これ、持ってってくれ。サルーアの塩漬けと干物だ。日陰においておけばかなりもつ。
水はロバート君とドロップちゃんで何とかなるだろうから、あとは塩気だよ」
「ありがとう。大切に使わせてもらいます」
バネッサのお兄さんから受け取るのは、サルーアの保存食。
陸地に辿り着くまで、かなり貴重になるだろう。食糧は食糧で用意していたけれど、これだけ追加で貰えるとありがたい。
「ケッ、サルーアに飽きたから外に行くってのにこれかよ、兄貴」
「ふふっ、これで最後かもしれないんだ。そう言うなよ、バネッサ。きっとこれが恋しくなる日が来るさ」
「……ん。悪いね、兄貴。跡目とか色々任せちゃって」
スッとお兄さんの肩に持たれるバネッサ。
「――いいや、良いんだ。分かってた、お前が外に行くってこと。なんとなく。
けどね、バネッサ。俺はいつでもお前を思っている。帰って来れられない旅だとしても、いつでも帰ってきていいように、待っているから」
兄妹の別れに水を差すのも無粋だと思い、俺は一歩退く。
すると親父さんがすぐ横に立っていた。
「……うちのバネッサを頼むぞ、坊ちゃん。なんなら嫁に貰ってくれ」
「ハッ、あいつは俺の嫁に収まるような女じゃないですよ」
きっと、もっと大きなことを見つけていくだろう。
彼女には彼女の人生があるのだから。
「まぁ、かもな。とにかくだ、うちの娘を頼む」
「もちろん。大切な俺の仲間ですから」
――そう親父さんと拳を交わした。
ああ、この人ともお別れなのか。寂しいな、本当に。
「行っちゃうんだね、クラリーチェちゃん」
「ええ。このたびは船の手配、ありがとうございました」
「いいや、君から教わったことは多い。色々と使わせてもらった。流石、魔法使いだよ」
船を用意してくれた大工さんと話しているクラリーチェ。
あまり外に出ることのない生活を送っていたが、持っていた技術は確かだった。
その分、彼女を認める人間も多い。
「――わっ、最後だからって。順番だぞ、順番」
……アドリアーノの奴は、島の子供たちを両腕にぶら下げてクルクルと回っている。
あいつ、どれだけ子供に好かれてたんだか。
「お待たせしました、兄さん」
「……レベッカ、父さん」
「おう、行っちまうんだな、ロバート」
成人の儀を執り行う神子としての役割を果たしたレベッカと、それを支えるように親父が傍らに立っていた。
これで最後だ。本当に、これで最後の別れになる。
戻ってくると言った。戻ってきたいと思う。けれど、俺はそれを果たせるだろうか。サータイトの神託を、レベッカへの誓いを、全うできるだろうか。
「――ああ、長い旅路になる。けど戻ってくるよ、きっと」
「レベッカから聞いたよ、外の世界を記して帰ってくるって」
父さんの言葉に、静かにうなずく。
『――じゃあね、レベッカ。また会おう?』
「うん、ドロップ。兄さんを、よろしく」
レベッカと共にいたドロップが、俺の元へと戻ってくる。
「満足したか? ドロップ」
『ううん。けど戻ってくるんでしょ? だから大丈夫♪』
「……言ってくれるな、まったく」
どいつもこいつも、俺の約束に重りを乗せやがって。
果たすしかないじゃないか。外の世界を知り、その全てを持ち帰るしか。
「――お待たせしたね、船長」
「あとはアンタだけだよ、ロバート」
「まぁ、そう急かすこともないでしょう」
いつの間にか俺の後ろに仲間たちが集まっていた。それぞれに別れを済ませたみんなが。
「そういえばよ、俺たちに名前はねえのか?
チームだかサークルだか、何に当たるか分かんねえけど”俺たちの名前”が必要だと思うのよ」
……名前、か。そういえば考えていなかったな。
船を用意してもらった後も、食糧の準備とか積み込みとかで考えてる暇がなかった。
『それなら用意してるよ♪ 私とレベッカで――』
「――ええ、この私、ただのレベッカから兄さんたちへの祝福です」
そう言いながらレベッカは、ひとつの花束を取り出した。
雪解草・スノードロップ、この島に始まる短い春を告げる純白の花だ。
「今日からみなさんは”スノードロップ”だ。その旅路が”希望”に満ち溢れることを祈っています」
言いながらレベッカは神子としての御業を使う。
花束が静かに凍り付き、枯れない花へと変わっていく。
「――兄さんの旅路の傍らに」
「ああ、ありがとう。スノードロップ船長、ロバート・サータイトとして、ありがたく頂戴する」
そして俺たちは、船に乗った。本当に、これで終わりだ。
今から、スノードロップは”スカーレット王国”を目指す!
「さぁ、碇を上げよう――」
アドリアーノが錨を巻き上げる。
船がぐらりと揺れて、島から離れていくことを肌で感じる。
「操舵は問題ないな? 兄貴」
「ああ、大丈夫だよ。流石はクラリーチェの設計だ」
船が動き出す。島に残る家族たちが、手を振ってくれるのが見える。
そして、バネッサがそれに旗を振り返している。白い雪の紋章が刻まれた俺たちの旗を。
こんなものまで用意してくれていたとは。本当にありがたい。
「……私さ、旗ってものの意味が分からなかったんだけど、今になって分かったよ」
「ああ、目に焼き付けておけ。これで最後だ、これで」
――胸の中に渦巻く不安を振り払うように帽子を被る。
「流石は海の上、日差しが強いですね」
「……これからもっと強くなるぞ、冬が終わるからな」
「これは何か、対策を考えなければいけませんね? 船長」
”任せるよ、クラリーチェ”と答える。
……しかし、こいつに船長と呼ばれると何故だろう、緊張する。
『ふふっ、おめでとう♪ ロバート、君の旅はようやく始まる!』
俺たちの間を飛び回るドロップ。
そして、大きな風が吹いた。俺たちの背を押すような、船出には最高の風が。
「ああ、スノードロップ出航だ! 行くぞ、外の世界へ! スカーレット王国へ!」




