第7話
「――おかえり、ロバート」
4人の仲間を得て、とりあえずは成人の日に備え、準備を進めてくれと告げた夕暮れ。
どうやって船を用意しようか。どう親父に説明しようか。それを考えていた。
考えていたのに、いざ家で待っていた親父の顔を見るとこの考えが徒労だと分かってしまった。
「ただいま、父さん……」
父さんは夕食を用意していた。俺とレベッカの好物である鶏肉のトマト煮込みを。
その優しい匂いに、心が安らぐ。
「……10年前、あのクリスという人が来てから、この日が来ることは覚悟していた。
逆によく成人まで待ってくれたとさえ思っている」
「耳が早いね。誰から?」
居間のテーブルに腰を下ろし、父さんを向かい合う。
……何度もこうしてきたというのに、やはり今日に限っては緊張するな。
俺と同じ黄金色の髪、透き通るような青い瞳。自分でもよく思う、やっぱり俺は父さんに似ているなって。
「――レベッカと、バネッサちゃんの父さん、ベル君の母さんから」
「ふふっ、やっぱり早いな。今日のうちに話が回るなんて」
一瞬、静寂が訪れる。次の話をどう切り出すかを悩んだのだ。
昔からの約束を、持ち出すか、どう持ち出すか、それを悩んだ。
「お前の船出を、成人まで待てと言ったのは俺だ。そしてその代わりに……」
「――外に出るための船を用意してくれる、だったよな? 親父」
こちらの言葉に柔らかな笑みを浮かべる父さん。
「用意してもらってる。それ用の船を。頑丈な奴だ。成人の日までには出来上がる」
「……本当に、叶えてくれるとは」
「嘘はつかないさ、そういうところを母さんに見初められたんだ」
相変わらずの惚気話。けど、これも最後かと思うと寂しいものがある。
島を出れば、ここには戻って来られないと考えるべきだろう。
……ただの1人も”この島から外に出て戻ってきた人間”はいないのだから。片道の旅となる。
「外の世界なら、母さんを治す方法もあったのかな」
「――分からない。母さんやレベッカみたいな人が他にもいれば、その可能性もあるんだろう」
今更どうしようもないことを、この島の中で生きることを選んだ父に提示することの残酷さを、言ってから自覚する。
けれど、そういうことを思わざるをないのだ。短命に終わるサータイトの神子という血筋を思えば。
既にレベッカを蝕みつつある運命を思えば。
「そういう方法を見つけたところで、俺は戻って来れないんだろうな」
「……本当に行くのか? ロバート」
「行かないと言ってほしいのか? 俺に」
――欲しいね。
ただ真っすぐにそう答える親父を前に、俺は一瞬、言葉に詰まった。
答えは変わらない。10年前に彼女に出会った時から、彼女の駆る竜に乗ったあの日からずっと、俺は……
「……すまない。それはできない。俺の一生は、この島じゃ終われないんだ」
「これもまたサータイト様のお導きか……」
「かもな。俺に女神の声は聞こえない。けれど確かに俺を突き動かす何かがある。もしかしたら、これがサータイト様の声なのかもな」
氷停神サータイト、か……
「そんなこと言われたって俺にも女神の声なんて聞こえないんだから分かりっこないよ。
けど、お前がそうだと思えばそうなんだろうさ。お前が本当に外の世界に行きたいというのなら、俺はその背中を押す。
……バカ息子め、大バカ野郎め」
親父の言葉に、何も返せなかった。確かにそうだと思うからだ。
俺はバカだ。けど、このバカを貫かなければ生きていけない。
胸から湧き続ける熱を黙らせて生きていくことなんて、俺には出来ない。
「――大工に話してくる。夕食までには戻る」
「ありがとう。父さん……」
走るように去っていく父さん、その背中が少しだけ小さく見えた。
……俺は、息子が旅立つことを悲しむ男に、その準備をさせているのだ。
ああ、本当に、なんて大バカ野郎なのか。
「――言ったでしょ? お父さんは船を用意してくれるって」
「ああ、その通りだったよ。レベッカ」
機を見計らったかのように、レベッカが降りてくる。
青い髪と青い瞳、記憶の中の母さんによく似てる。
「それにしても、まさか1日で仲間を集めるなんて流石だね」
「なに、俺たちはそういう世代なんだ。クリスとマリアンナ、そしてマキシマ。俺たちは外を垣間見る機会が多かった」
「ふふっ、私はクリスさんだけ知らない。どういう、人だったの?」
――どういう人か。
「竜に乗って、空を駆けてた。
あの日、この島に来た敵を追って、俺たちを守ってくれた。母さんを、まだ生まれていないレベッカを。
とても優しくて、強くて、憧れたんだ。あの人の背中に、あの人の全てに」
あの時の敵が何だったのか、そもそもクリスの姉ちゃんはどうやってここに来たのか。
何も分からない。何も。それでも、だからこそ俺はもう一度会いたいと思っているのだろう。
あの日に言われた”待っているよ”という言葉を信じ続けているのだろう。
「……お母さんと、私を」
「そうだ。もしかしたら、サータイト様が遣わせてくれたのかもしれないな」
当時のことを、もう少し詳しく覚えていれば何かしらの推測を立てられるのかもしれない。
けれど、あの時の俺はまだ5歳だったんだ。そんな小賢しさ持ち合わせてはいなかった。
正直なところを言えば、あの時に託されたものがなければ、あの夜のことを夢と思ってもおかしくはなかった。
常に肌身離さず持ち歩いている、これを。ドロップの宿る宝石とはまた別の、この虹色に輝く宝石がなかったのなら。
「それ、10年前に託されたって宝石だよね?」
「そうだ、ドロップでも使えない”何色にでも変わる宝石”だ」
「……ドロップとお兄ちゃんの青色とは違う、宝石」
レベッカの確認に頷く。今の俺とドロップは、水と氷を操ることができる。
ドロップの話では、別の色の宝石があればまた別のことができるはずだと言っていた。
けれど、この”虹色”は使えない。その理由は分からない。いつか使えるようになるのかさえも。
「……それに何の意味もないってことはないと思うよ」
「神子の力か……?」
「さぁ? 私の直感、サータイト様の神子であるこの私のね」
くすっと笑うレベッカ。
まったく我が妹ながら、どんどん底が知れなくなっていくな。
「――サータイトの神子としての神託は、成人の日に。
兄さん、たとえ貴方がこの島を去るとしても”氷停神”の神託は与えられる。
その勤めとどう向き合うかは、兄さんの自由だよ」
そうか。俺にも神託が与えられるのか。
……通常であれば、島の中でどの仕事を果たしていくのかを告げるのが神託だ。
とはいっても事実上、生まれた家や成人前までに過ごした時間でどんな仕事をしていくかなんてことは見え切っている。
けれど、俺たちの場合は違うものになるんだろう。この島から出ていく、俺たちにとっては。
「楽しみにしているよ、その日を」




